ネコを水先案内人として実装するということ

藤原くう

第1話

「何か御用かにゃ、くそバカ御主人」


 メロウと鳴きながら、ヨシノが言った。


 私の目の前にいるのは人ではなくネコ。茶と黒と白で構成されたもふもふは、三毛猫というやつの特権。ぺろぺろ前足を舐めているそいつがまたしても口を開く。


「どうしてそんなに驚いておるのじゃ?」


「そりゃあ、驚くだろ。愛猫が話し始めたんだぜ」


「そうかの? 童としてはごく自然なことにゃのじゃが」


 ヨシノがすっくと立ちあがり、周囲に目を走らせる。


 あたりはメガネをかけていないときみたいにぼんやりとしている。モノがダブって見えるのは気のせいでも錯覚でもない。


 今この瞬間、私は世界の重ね合わせ状態を認識している。エヴァレットが言うところの多世界というやつだ。


「エヴァレットって誰にゃのじゃ」


「量子力学の研究者」


「ふうん、童たちを毒殺しようとしやがった連中か」


「おい、別に毒殺したわけじゃないぞ。それに死んではないじゃないか」


「生きてもいないがのう」


 シュレディンガーが生み出した思考実験に対して、ヨシノは怒り心頭らしい。こいつにそんな知性があるとは意外だった。道理で、背中にピーナッツバターを塗りたくろうとしたら毛を逆立てるわけだよ。


「当たり前じゃろ。誰がモルモットになりたい」


「お前はモルモットじゃなくて三毛猫だけどな」


「噛むぞ」


「もう噛んでる!」


 ガブガブ噛みつかれている腕を振れば、しなやかな体が宙を舞って、体をひねる。一瞬のことに、脚は上を向いた状態と下を向いた状態とが重なって見えた。背中がくっついたいびつなネコ。エンタングルメント猫。


 音もなく着地したヨシノは、前足でくしくし額をかいて。


「どうじゃ。見とれたかの?」


「だれがお前みたいなじゃじゃ馬娘に見とれるかっ」


「御主人様は目も腐っているようじゃの」


 なにおう、と私が睨みつけても、ヨシノはそっぽを向いて耳を傾けてはくれなかった。ネコ特有の、何もないところを食い入るように見つめている、あのしぐさだ。澄ました瞳はこの世界ではない世界を羽ばたく蝶に気を取られていると私は考えている。

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