Episode 63 - 相談相手
「……さてと」
クロエたちを見送り、〈ハレーラ〉居住区のキッチンで洗い物を済ませたリエリーは、いつも通りほとんど無意識にユニーカを使ってグラスを乾かすと、短く息を吐いた。
頭の中では、クロエたちが訪れる前の不快な思考がじわじわと、戻ってきていた。
課題は相変わらずそこにある。
自分のことはもちろん、セオークのこともある。
そのうち彼らが帰ってくることを考えると、胃の辺りがギュッと締め付けられる感覚があった。
それでも、クロエと話せたおかげか、幾分は冷静に考えることができるようになっていた。
腕のコンソールを見ると、まだ正午も過ぎていない。連絡を報せる通知は当然のようになく、もちろん出動要請も届いてはいない。
「しっかりしろ、あたし」
頬を何度かひっぱたたいて気合いを入れなおし、リエリーは機内を進みはじめた。
(あたしは威療士だ。だれよりも速く、命を救える。一人でだって、できる)
元より、切り替えの速さには自信があった。というより、それくらいの気概がなければ威療士はやっていけない。
救命現場では、容易に命が失われる。
もう安心だと思っていた相手でも、わずかなきっかけで命が失われる経験は何度もしてきていた。
(それでも、あたしは、命を救うんだ)
その度、リエリーは歯が砕けるほどの悔しさを嚙みしめてきた。そして次こそはと、砕けた歯を呑みこんで救命活動に向かってきた。
威療士たちの中には、そんなリエリーを『麻痺している』『感情がない』『生者贔屓』などと揶揄する者がいることは知っていた。
自分でも不思議だが、そういう評価に苛立ちを覚えることはなかった。
(消えた命は二度と帰らないんだ。消えさせてなるもんか)
第三者の意見など、どうでもいいことだった。
命を救えたか、救えなかったか。
それだけがリエリーにとっての
逆を言えば、命を救えない自分は無用だ。
だからだれが何を言おうと、リエリーは救命活動に出る。――出なければ、ならなかった。
自室へ通じる階段を上がっていたリエリーの頭の中では、そのことだけが渦巻いていた。
「コンソール、新しい
部屋に着くなり、リエリーは〈ユニフォーム〉の充電さえも後回しにして、そう命じた。種々雑多なパーツ類が散らばる机に風を吹かせ、一掃すると、タイミングよく腕のコンソールから無味乾燥な文字列が、机上に投影される。
「直近の変更点をハイライト。関連資料を併記」
リエリーの指示に合わせ、ホロウィンドウが淀みなく資料を整理していく。
(上の連中、どこを変えやがったんだ?)
気まぐれ者で通っているカシーゴ・レンジャーの本部長ならともかく、〈威師会〉の規則は早々変更されるものではない。
実際、リエリーが威療士ライセンスを取得してから約5年、〈コード〉の改定は一度だけしかなかった。それも、ライセンス取得に年齢制限を設けるという、ほとんどの関係者には縁がない小さな変更だった。
だが、今回は違うと、リエリーの勘が告げていた。
セオークを知っていた謎の軍服の女性といい、本部長の態度といい、あからさまに変だった。そもそも、完璧に準備を整えたはずの開業届が却下された時点で、ただの改定であるはずがなかった。
「……A.I.R.会長のプレス?」
ホロウィンドウに整理された資料の一つが目に留まり、リエリーは手を伸ばしてその動画を眼前に拡大表示させる。
そうして自動的にイヤコムから流れはじめた記者会見の音声を聞くうち、ただでさえ寄りがちなリエリーの眉間が、ピクピクと痙攣をはじめていた。
「あいつら……ッ!」
リエリーを知る相手が見ていたなら、その仕草が彼女の怒りの臨界点突破を意味しているとわかったことだろう。
鬼面を保ったまま、リエリーは動画の再生を一時停止させると、読まれることを待っていた文面に目をやった。表情を除けば、実に静寂な閲覧時間だった。
そうして三度、通しで条項を読み終えたリエリーは、無言のまま自室に背を向けた。
部屋のドアも閉めず、一直線に操縦席へ向かうと、何の躊躇いもなくエンジンに火を入れた。
「……」
ひたすら無言のまま、だが、地面から浮き上がった〈ハレーラ〉のアクセルレバーを普段にも増して急激に引き倒す。
瞬間、直方体の機体が、物理法則を無視するように空の彼方へと、突っ込んでいった。
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