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第1話 シンデレラストーリー

プロローグ


「それでは、本日の主役、佐伯璃子様から、ご挨拶頂きます。」


司会の女性の明るい声とともに、華やかなパーティー会場は盛大な拍手に包まれた。


進み出る美しい令嬢の顔を確かめようと、集まった人々は会場の中央に視線を注いだ。


群衆の中に、自分を見つめる月島の姿を見つけ、千智は微笑んだ。






「月島、ちょっと。」


佐伯ホールディングス副会長の佐伯玲子は、かけていた眼鏡をゆっくり外し、自分の秘書を呼んだ。


「はい、副会長。」


月島は、書類を整理していた手をとめ、玲子のデスクに歩み寄った。


「このふたり、似ていると思う?」


玲子に問われ、月島はモニターに映された、2枚の写真を見比べた。


写真にはそれぞれ女性が写っている。


少し思案しながら、月島は慎重に口を開いた。


「直接確認するまでは分かりませんが…写真を見たとき、直感的に似ていると感じました。」


「そうね。私もそう思った。」


玲子はうなずくと、遠くを見るように窓の外を見つめた。


夕日が高層ビルを赤く染めながらゆっくりと沈んでゆく。


「調べて。すぐに。」


「わかりました。」


月島はいくつかの連絡と車の手配を素早く済ませ、足早にオフィスを出て行った。


玲子はノートパソコンをデスクの引出しにしまい、鍵をかけると、副会長室を後にした。


待機していた送迎車に乗り込み、兄であり会長の佐伯理人に電話をかける。


「兄さん、近いうちに食事でもどう?話があるの。」






「ついてないなぁ…」


午後最後の講義が終わり教室を出ると、予報外れの雨が降りはじめた。


千智はため息をついた。


傘を持っていない。


アルバイトに遅れる訳にはいかないが、校舎の近くにコンビニはない。


そもそもビニール傘を買うお金が惜しかった。今月も余裕はない。


家賃、光熱費、食費、その他生活と学業に関わる全てのお金を、千智はアルバイトで賄っていた。


奨学金を得て、何とか大学に通っているが、生活はとても苦しい。


降りしきる雨を眺めながら、千智は思った。


“疲れた…”


良い成績で大学を卒業し、よい会社に就職し、貧しさから抜け出すことを目標に、必死に頑張っているが、こんな日は少し、くじけそうな気持ちになる。


雨はしばらく止みそうにない。


弱気を追い払うように頬をたたき、雨の中へ歩きだすと、誰かにそっと腕を掴まれ引き留められた。


「…っ!?」


突然のことに驚いて振り返ると、腕を掴んだ男は手を離し、傘を差し出しながら微笑んだ。


「驚かせて申し訳ありません。こちらを差し上げたくて。」


千智は目をみはった。


雨の中、千智を見つめる男は、映画の中のワンシーンのように完璧だった。






数日後、大学近くのカフェで、千智は男と向き合っていた。


緊張で喉が渇き、運ばれてきた紅茶を何度も口に運ぶ。


千智の前で優雅にコーヒーを飲む男は、月島と名乗った。


「月島さん。」


「はい。」


「月島さんは、私の父と、どういったご関係なのでしょうか。」


月島は背が高く、スーツがよく似合う、とても美しい男だった。


整った眉と大きな切れ長の目。


通った鼻筋は精悍な印象だが、口角の上がった唇は、いたずらっぽさと同時にセクシーさを感じさせる。


甘いマスク、という表現がぴったりだ。


モデルや俳優だと言われても、誰も疑わないだろう。


渡された名刺には、“佐伯ホールディングス、副会長秘書、月島はじめ”と書かれていた。


佐伯ホールディングスといえば、国内有数の資産家である佐伯一族が経営する有名な財閥だ。


多数のグループ会社を抱えており、ホテル、不動産、商社を中心に、多岐にわたる事業を展開している。


その副会長秘書を名乗り、おまけに信じられないようなイケメン。


“ちょっと、いや、かなり怪しい。”


千智は警戒した。


しかし、月島は、千智の実の父親のことで話がある、と言った。






千智は母子家庭で育った。


19歳で千智を産み、学歴のなかった母親の美香は、朝から晩まで工場で働いて、千智を育ててくれた。


生活は苦しく、貧しさから抜け出すため、千智は必死に勉強をした。


しかし、3年前、高校2年生だった千智を残して、美香は交通事故で亡くなった。


美香には親類もおらず、美香の亡骸とふたりきりの葬儀だった。


実の父親のことはよく知らない。


美香は決して父の話をせず、聞くことさえ許さなかった。


だから、実の父親と聞いて、千智はどうしても月島の話を聞いてみたくなった。


父親のことを少しでも知りたかった。






「順を追って、ご説明します。」


月島は手にしていたカップを置くと、ゆっくりと話し始めた。


「私は、佐伯ホールディングスの副会長であり、会長の妹である、佐伯玲子様の秘書をしております。佐伯家は長年、ある人物の捜索を続けてまいりました。行方不明となった女の子、佐伯ホールディングス会長の佐伯理人様の娘である、佐伯璃子様です。」


月島はスーツの内ポケットから取り出した写真を、そっとテーブルの上に置いた。


写真には、少しはにかみながら笑う可憐な少女が写っていた。


「15年前、当時5歳の璃子様は一家で向われた海外旅行先で失踪しました。懸命な捜索を行うも、有力な手掛かりは得られず、現地での捜査は打ち切られました。理人様夫妻は報奨金を設けて捜索を続けましたが、寄せられるのは詐欺まがいの情報ばかりでした。しかし…」


月島はもう1枚写真を取り出し、行方不明の璃子の写真の隣に並べた。


それは、撮った覚えのない千智の写真だった。


はにかんだ笑顔が、写真の中の璃子と重なる。


知らぬうちに撮られた写真と、璃子との奇妙な一致に、千智は居心地の悪さと戸惑いを覚えた。


「あの、この写真はどこで?失踪事件と私に、何の関係が?」


月島は少し微笑んだ。


その笑顔は蠱惑的に見え、千智は一瞬どきりとした。


「あなたの写真は、璃子様の情報を募るインターネットサイトに匿名で送られてきました。写真を見て、感じませんか?あなたと璃子様は似ています。そして調べたところ、あなたの過去は、璃子様の失踪と一致する点が多い。」


行方不明の大富豪の娘が実は自分だった。


そんな妄想を、誰でも一度はするものだろう。


千智も例外ではなかった。


貧しく余裕のない家庭で育った千智の娯楽は、図書館で借りる本だけだった。


母に隠れて、恋愛小説に夢中になった少女時代、千智は幾度も、自分のシンデレラストーリーを妄想した。


だから、これはきっと、いや、間違いなく、


“詐欺だ。”


魅力的な男が現れ、自分は特別な存在だという、恋愛小説のような展開。


自分の内なる欲望を見抜かれ、利用されたように感じ、千智は恥ずかしくなった。


しかし次の瞬間、月島の言葉が、千智を現実に引き戻した。


「単刀直入に申し上げます。DNA鑑定を受けて頂けないでしょうか。」

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