第9話 予感

 咲がこちらの世界に来て、あっという間に時が過ぎた。その頃には咲の住まいについてやっと話が進み、アーキーの住むマンションの一室を借りることに決まった。

 咲が最も心配していたのは家賃についてだったが、なんでも、転移者には補助金がある程度出るのだと聞いて、ほっとしていた。部屋の持ち主の引っ越しや、部屋のクリーニング等が落ち着くのが今週いっぱいという話で、咲の仮眠室生活は今日で終わりだった。

 オーナーは気ままな人ではあるが、きちんとしている人なのだな、と咲は思いながら今日も厨房に立つ。

「最近は午前中の客も増えたよなあ」

 と、スープの仕込みをしていたソアが言う。今日はじゃがいものポタージュスープだ。とろりと濃厚な口当たりでコンソメの味わい深くも、ジャガイモのほくほく感や甘味を楽しめるこのスープはひそかに人気なのである。

「ああ、それは俺も思った」

 アーキーが、成形したハンバーグを冷蔵庫に入れながら相槌を打つ。ハンバーグはこの店の看板メニューの一つで、ソースがいろいろ選べるからランチタイムにはよく出る。

 咲はデミグラスソースを仕込みながら話を聞いている。

「なんか、うちの料理を食べた後は仕事がはかどるとかいう噂もあるとか聞いたな」

「特別何か変わったわけでもないんだがなあ……」

 そこまでつぶやいたところで、アーキーは咲に視線をやる。

「サキ、まさか何かやったか?」

「なにもやってませんよ!」

 思わず少し声が大きくなってしまった咲に、アーキーは「冗談だ」と笑う。

「いや、変わったことといえば、咲が来たことくらいだからな」

「確かに。それは一理ある」

「ありませんよ……私は一介の料理人です」

 そうこうしているうちに、開店の時間となる。客足が増えたというが、開店直後はさほど忙しくはない。咲は注文を受けたハンバーグを焼き、盛り付けをしながら思う。

(……お客さんが増えたっていうけど)

 デミグラスソースは香ばしくほのかに甘い。ハンバーグにももちろん合うのだが、付け合わせの野菜にもよく合う。

(でも、未だにコース料理は作ったことないんだよなあ)

 フルン・ダークのようなみせであれば、コース料理の一つや二つはありそうなものだが……と咲は思う。

「ハンバーグセット、デミグラス。お願いしまーす」

「はーい」

 咲がハンバーグセットのプレートを準備すると、シイナがさっそく客席に持って行く。厨房には回収された食器類を置くスペースと、完成した料理を置くカウンターがある。あまり忙しくないときは、カウンターに置く間もなく給仕されていく。

(そういえば……メニューにないか?)

 どうしてコース料理がないのか、アーキーに聞いてみようか、と思った時、シイナが厨房にやって来た。

「あの、ギルさんがいらっしゃったんですけど。サキさん、あなたに話があるんですって」

「え? 私?」

 騎士団に所属するギルは、持ち帰りを注文することが多い。いつもは注文された品を給仕の誰かが渡してくれるので、咲とはあまり接点がないはずだった。時々、言葉を交わす程度である。

「何だろう……ちょっと行ってきます」

「ああ」

 アーキーに断りを入れ、咲は厨房を出る。その後ろ姿をアーキーはじっと見つめていた。

「あの、ギルさん」

 ギルは店の前で待っていた。今はまだ人通りの少ないレストラン街には二人しかいない。ギルは咲に声をかけられ、振り返る。

「すまないな、忙しいときに」

「いえ。それより何か……」

「先日、君が作ったという料理を食したのだが――」

(……味の感想を言いに来たのかな?)

 咲は思ったが、どうやら話は違うらしい。

「君、回復魔法が使えるのだな」

「……回復魔法? 私が?」

 突拍子もない言葉に咲が聞き返すと、ギルは「やはり、無自覚だったか」といって話を続けた。

「別世界から来た者には、たまにそういった才能が開花する者がいる。君の場合は、回復魔法だろうな。微々たるものではあるが、人が活力を取り戻すには十分なほどだ」

 そういえばさっき、ソアが言っていた。うちの料理を食べたあとは仕事がはかどるという噂がある、と。

(まさか本当に、自分が原因だったとは……)

 アーキーの指摘が間違っていなかったことに、咲はいたたまれない気持ちになった。

 ギルは穏やかな声音で言った。

「人を害するものでもない。むしろ、この店にとっては朗報だろう。気に病むことではないからな」

「あ、ありがとうございます……」

「おかげで俺も、いつも以上の力を発揮できている。その礼が言いたくてな」

 ギルとの話を終え、咲は厨房に戻る。先ほどまでの話をすると、ソアが納得したように頷いた。

「つまり、君の回復魔法が付与された料理が、少しずつ人気になったというわけか」

「確かにそれは分かる」

 そう言うのはルシアだ。

「サキさんが作ったまかないを食べた日は、疲れないのよ」

「そうだったんだ……」

「なんにせよ、お客さんが増えるのはありがたい。サキ、ありがとうな」

 アーキーに言われ、無自覚に回復魔法を使っていた身としては何ともいえない咲であった。むずがゆい気持ちをごまかすように、咲は笑って見せたのだった。


 今日も今日とて、ディナータイムの客は少ない。誰もいない客席を厨房から見ながら、咲は思わずつぶやいた。

「ディナータイムは、ほんと、人が少ないなあ」

 その言葉を聞き逃すアーキーとソアではなかった。

「とうとう気付いたか、サキ……」

 ソアの言葉に、咲は振り返る。

「とうとうっていうか、割と早い段階で気付いてましたけど。言わなかっただけで」

「いつかは話さなければならないとは、思っていたんだがな……」

 と、アーキーも言う。咲は思わず押し黙る。手持無沙汰だったアーキーとソアは視線を交わして何かを確認すると、咲に視線を向けた。口を開いたのはアーキーだった。

「この店を開いたのは、先代の料理長でな。その頃は従業員も多かった。それくらい客の入りがよかったんだ。客が減ったのは、先代が亡くなって、俺たちが店を継いでからのことだ」

 それを聞いて、咲は驚かなかった。店主が変わり、料理人が変わり、客が減るのはコお店だけに限らない。そこで終止符を打つ店だってある。それは、レストランだけに限らず、多くの店に言えることである。

「ランチタイムはなんとかなったんだけどね」

 と、ソアがアーキーの言葉を継いで話す。

「どうにも、ディナーはうまくいかない」

 アーキーはポケットから古びたメモ用紙を取り出す。

「どうにかできるといいんだがな……」

 そのつぶやきの後、厨房には静寂が広がる。

 咲はそのメモの内容が気になったが、軽々しく聞けそうにもなかったので、いつか見られるといい、と思った。


 その晩、咲は夢を見た。

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