第8話 料理人・神名咲

「夢?」

 唐突な咲の言葉に、アーキーは聞き返す。

「どういうことだ?」

「それが……」

 咲は、昨日見た夢の内容を話す。人がたくさん溢れる厨房、ひときわ目立つ老齢の男、やがて色が抜け、男は一人、厨房に立っている――

 話している途中から、咲は、自分は何を言っているのだろうと思った。こんな突拍子もないことを言われても、アーキーが困るだけだ、と。

 しかし当のアーキーは、咲が言うことをバカにするでも笑い飛ばすでもなく、ただ真剣に聞き、ついには何やら考えこんでしまった。

「……そうか、そんな夢を」

「はい。あの、あまり気にしないでください。ただの夢ですし」

 咲は言うがアーキーは「そうだな」とは言わない。

「いや、ただの夢とは言い切れない」

「えっ?」

「もしかすると――」

 と、アーキーの言葉を遮るように、客席の方から賑やかな声が聞こえてきた。

「カフェ、満席で残念だったねえ」

「また今度行きましょう。今度は朝早くに行った方がよさそうね」

「私何飲もうかなあ」

「ソアさん、今日は何を買ったんです?」

「この本、新刊が出てたんだ」

 どうやらほかの面々が帰ってきたようだ。アーキーは続きを話したそうにしていたが、それは諦め、厨房を出た。咲も気になりながら、後に続く。

「早かったな」

「どこもかしこも人が多くて、戻ってきた」

 三人娘たちはショッピングを満喫したようで、両手いっぱいに荷物を抱えている。それでも疲れた様子が見えないので、咲は思わず感心してしまった。仕事はいくらでもできるが、ショッピングに対する持久力がないのが咲だ。

「ねえ、料理長。私たち帰りに話してたんですけど」

 そう言いだしたのはシイナだ。五人は目配せし、シイナが代表して口を開いた。

「サキさん、うちで雇ってあげたらどうです?」

 その言葉に、咲とアーキーは目をぱちくりとさせ、思わず顔を見合わせる。二人が何も返事をしないでいると、シイナは続けた。

「ほら、料理人って言ってたじゃないですか、サキさん。うち、ランチタイムの人手が足りてないでしょう?」

「そうそう。ちょうどいいんじゃないかなって思って」

 と、リツも言った。

 みんなのまなざしを一身に受け、咲は少し笑ってアーキーを見上げる。

「……考えることは一緒、ってことか」

 ちらりと咲を見て、アーキーは苦笑しながら言うと、咲の背に手を添えて続けた。

「実はもう提案したんだ。うちで働かないかって。そうしたら、快く承諾してくれたよ」

 それを聞いて、三人娘は歓声を上げ、ソアとリツは納得したように頷いた。少なくとも皆、歓迎してくれているのだろう、ということが分かって、咲はほっと胸をなでおろし、アーキーも安堵の表情を見せた。

「それともう一つ。住む場所も探さないといけないから、皆、心当たりがあったら教えてくれ」

「あー……」

 盛り上がっていた空気が、一気に落ち着く。それは面倒だから、というわけではなく、自分たちが持っている情報が芳しくなかったからだった。

 シイナが頬に手を当て、困ったように眉を下げて言う。

「私が住んでいるところは、空きがあったんですけど、この間新しい住民の方がいらしてて……満室なんですよ」

「私のところは、引っ越す予定の方がいたんです。でも、取りやめになっちゃって」

 タキも申し訳なさそうに言う。ルシアとリツは家族とともに一軒家に住んでいるのだという。

「ソア、お前のところはどうだ?」

「あいにく、満室だ」

 アーキーの問いに、ソアも困ったように笑って答える。

「料理長のところはどうなんです?」

 そう聞くのはリツだ。

「あそこ結構、部屋数も棟数もありますし、空いてるところあるんじゃないですか?」

「数が多すぎて把握しきれないんだよ」

「オーナーに確認すれば?」

 ソアが言うと、アーキーはますます困ったような表情を浮かべ、頭を抱えた。なんだか申し訳ない気持ちになりながら、咲はアーキーに視線を向ける。それに気づいたアーキーは、安心させるように笑って「いや、それがな……」と口を開く。

「うちのオーナー、今、長期休暇中で連絡が取れないんだ。そろそろ帰ってくるとは思うんだが、気ままな人でね」

 結局、咲の住まいについては保留となった。決まるまでは仮眠室をずっと使っていいという話なので、咲としてはありがたい話であった。

 それから解散した後、咲は仮眠室に戻った。手にはさっき貰った制服がある。

 真っ白な上着に黒のズボン。胸元には濃い緑色の糸で、レストランののエンブレムが入っている。龍をモチーフとしたエンブレムは力強くも優雅だった。

「……よし!」

 咲はぐっと顔を上げ、気合を込めてこぶしを握り締めた。


 とはいえ、別世界での仕事には、さすがの咲も緊張していた。しかしそれは杞憂で、実に順調な滑り出しだった。

「さすがだな」

 ある日の朝、仕込みを終えて開店までのつかの間の休憩時間。アーキーが先に声をかける。隣にはソアもいた。

「調理もそうだが、仕込みも見事なものだ。無駄なく丁寧で、感心したよ」

「そうそう。手際はいいし、気も利くし。来てくれて助かったよ」

「それならよかったです」

 と、咲は少し得意げに笑う。いくら料理人として働いたことがあるとはいえ、こちらにはこちらのルールというものがある。今まで培ってきた経験と感覚をフル稼働しながら新しいことになじんでいく、これはとても大変なことであったが、咲には全く苦痛ではなかった。むしろ――

「楽しく働かせてもらって、感謝してます」

 嘘偽りのない笑みとその言葉に、アーキーとソアは思わず顔を見合わせる。

 いくら厨房が三人になったとはいえ、激務であることに変わりはない。むしろ最近では少しずつ客が増えているので、もっと忙しくなったともいえる。その状況を「楽しい」と言ってのける咲に、二人は思わず笑ってしまった。

「えっ、何ですか。私何か変なこと言いましたか」

 なぜ二人が笑いだしたのか分からない咲は、いぶかし気に二人を見つめる。

「いや、なんでもないよ。いやー、サキってすごいねえ」

「頼もしい限りだな」

「ちょっと、なんだかよく分からないですけど、笑い過ぎですよ!」

 まったく……とぶつぶつ不満げに言いながらも、咲もつい笑ってしまった。

「そろそろ開店しまーす」

 客席の方から、タキの快活な声が聞こえてくる。

 フルン・ダークの扉に、看板が掲げられる。龍をモチーフにした、深い森のような色をした気高く優雅な看板が、朝日に照らされて美しくきらめいた。

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