第9話:敵か味方か、悪魔の放送

 鳥城彩花の援助もあり、苔ノ橋剛は普通の生活を取り戻していく。

 大切な家族が死んだところで、時は流れる。

 それでも、心に残る悶々とした感情は留まることを知らず、未だに見ることが叶わない犯人の顔を思い浮かべ、憤怒の限りに拳を握りしめてしまうのである。


 鳥城彩花が苔ノ橋剛の家に通い始めて1ヶ月が経過した。

 この日も、母親が死んだ真相を掴むために、学校終わりに駅前へと向かい、情報提供者が現れるのを待った。でも、依然として、有力な情報は掴めなかった。


 結局、何も掴めずに、天使のツバサが奏でる音楽を聴きながら自宅に帰ろう。

 そう思っていると——。


「よぉ〜。久しぶりだな、バチャ豚!!」


 廃進広大とその一味が現れたのである。

 だが、彼等の声を無視して、苔ノ橋は耳にイヤホンを付ける。


「おいおい……無視かよ。バチャ豚さんよぉ〜。ちょっとは人の話を聞こうぜ」


 廃進広大がそう口にした瞬間、視界が真っ暗になってしまう。

 後ろから誰かが自分の目を覆っているのだ。


「だれ〜だ?」


 イヤホン越しにも聞こえるこの世で一番聞きたくない甘ったるい声。

 何度この声に騙されきたことか、何度この声に恋心を抱いたことか。


「…………この世界で一番嫌いな幼馴染み」

「ご名答だねぇ、豚野郎の剛くん❤︎ あたしをもっともっと尊くて可愛い存在にしてくれる、最高の脇役くん❤︎ 今後も、もっともっとあたしを可愛く演出してね」


 それにしても〜と呟きながら、西方リリカは苔ノ橋の隣に近寄ってきた。


「豚のくせに……結構良いイヤホンを使ってるんだねぇ〜」

「…………お前には関係ないことだろ?」

「ううん、関係あることだよ? これは、もうあたしのものだから❤︎」


 イヤホンを奪われ、天使の美声が聞こえなくなってしまう。

 ただ、そのせいで、この騒々しい駅前の音が聞こえるようになった。


「おいッ!! か、返せよッ!!」


 声を少しだけ荒げ、西方リリカの腕を奪い取る。

 怒り任せに握りしめると、彼女は口の端を僅かに歪めて。


「何を反抗的な態度をしてるのかなぁ〜? また強姦魔になるのかな?」


 ここで彼女が叫べば、全てが終わる。

 またしても、謂れなき罪を被せられ、次こそは本当の犯罪者になるだろう。

 苔ノ橋は手を離して、悪魔にしか見えない幼馴染みを睨みつけて。


「………………お、お前……ど、どれだけ……」

「この世界はね、あたしを中心にして回ってるんだよ? 知ってる?」


 容姿だけは可愛い幼馴染みは、だから、と更なる言葉を紡いだ。


「だから、出来損ないの豚は、あたしの一生奴隷になってればいいの❤︎」


 イヤホンを奪い取ったリリカは、廃進広大たちの元へと向かう。


「ったく……リリカ。お前は何やってるんだ? 今日の目的を忘れたのか?」

「覚えてるわよ、言われなくても。でも久々に豚くんに出会ったら、ちょっとイジワルしたくなっちゃったんだもん。もっとイジメてって顔してるし」


(こんな奴等と関わる必要もない。さっさと家に帰ろう)


 苔ノ橋は踵を返して、廃進広大一味から離れていく。

 だが、すぐに両腕を掴まれてしまった。一味の子分が掴んできたのだ。

 欺くして、苔ノ橋剛は、廃進広大と西方リリカの前に顔を出すことになる。


「今回の件は残念だったな。バチャ豚」


 予想外の一声が飛び込んできた。

 今回の件とは、母親を亡くしたことだろうか。

 通り魔事件として話題にもなったから、知っているのだろう。


「オレたちも心配してるんだぜ、あの件はな」

「あたしだって心配してるよ。剛くんはどうしちゃったのかなと思ってさ」


 ちなみに、リリカはお通夜に参加し、「おばさん……ど、どうして? どうして……? あたしにいつも優しくしてくれていたのに……こんなの酷いッ!」と涙ながらの演技を行っていた。

 でも、『美少女』の肩書きを作るためには何でも利用する。狡賢い女である。



「どんな冗談を言ってるんだ……? お前らは僕を……」

「何を固いこと言ってるんだよ? オレたちは友達だろ……?」

「誰が友達だ。僕は、お前らを一度足りとも友達と思ったこともない」

「へぇ〜。そんなことを言っててもいいのかなぁ〜?」

「別にいいさ。お前らを友達と思ったことはないから」

「もしも、オレたちが特大のネタを掴んでいるとしたら……?」


(特大のネタ……?)


「ま、まさか……知っているのか? 何か、犯人の手がかりを!!」


 嬉々とした声を出す苔ノ橋に対して、廃進広大は笑って。


「今日、オレたちの放送を絶対に見ろ。お前に面白いものを見せてやる」

「……イイから答えろッ!! 何か犯人の手がかりを見つけたのか!!」


 廃進広大は、質問の答えを言わない。ただただ笑うのみ。


「悪いことは言わない。今日の配信だけは絶対に見ろ。オレから言えるのはそれだけだ。お前が欲しい情報が……必ず手に入ると思うからな」


◇◆◇◆◇◆


「ちょっと待っててね。今すぐに夕ご飯を作るから」


 自宅に帰ると、鳥城彩花が出迎えてくれた。


「…………お願いします」

「ううん、いいんだよ。今の私にできることはこれだけしかないから」


 担任の教師ということもあり、今まで黒のスーツを着る彼女しか見たことがなかった。でも、平日休日問わず毎日のように家に訪れる彼女はラフな格好である。教師という職務の方は休職し、母親を失くした苔ノ橋に付きっきりだ。


「はい、できたよ。たくさん食べてね。おかわりもあるから」


 鳥城彩花が作ったのは、カレーだった。

 母親が何者かに殺されなければ、あの日食べていたはずの料理。


「どうしたの……? 食欲が湧かないかな……?」

「いや……何でもないです」


 苔ノ橋はスプーンを掴み、ルーだけを口に含んだ。


「……辛い」


 料理は作る人に応じて、味が全く異なる。

 例えば、カレーの場合ならば、辛口、中辛、甘口の三種類があるだろう。

 母親が作ってくれたカレーは甘口だった。昔から慣れ親しんだ味だ。


「ご、ごめん……。もしかして、苔ノ橋くんは辛いの苦手だった?」


 でも、今回先生が作ってくれたものは、辛口なのだろう。


「いや……ちょっとまだ慣れなくて……」


 苔ノ橋剛は、ここ最近細かな料理の違いに驚かされている。

 生まれてきてから一番食べてきたのは母親の料理だ。

 だからこそ、母親が作ってくれたものが、苔ノ橋剛の基準になっているのだ。

 故に、鳥城彩花が作るものは舌がまだ慣れず、小さな違和感が残っている。

 それでも彼女が作ってくれた料理には、心に沁みる美味さがあるのだ。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉を述べる鳥城彩花。

 反省の色を浮かべ、頭を深々と下げてくる。

 別に謝ってほしいわけではなかったのに。


「今すぐに作り直すね。ごめん……この辛口は私が全部食べるから」


 鳥城彩花は椅子から立ち上がり、キッチンへと立った。

 エプロンに身を包んだ彼女は唇を固く閉じ、冷蔵庫の食材を確認している。


「……大丈夫です。母が作ったものと違いますが、先生のカレーも美味しいです」

「で、でも……私は、苔ノ橋くんから大切なお母さんを奪ったから。そのお母さんの代わりに……私は苔ノ橋くんが納得できるカレーを作らないと……」


 あぁ、そうか。

 この人は、母親代わりになろうとしているのか。

 本来ならば、母親から受け取るはずだった愛情を。

 この人はそれを全部肩代わりして与えようとしているのか。


「先生、僕にこれ以上関わるのはやめたほうがいいですよ」


 苔ノ橋剛は忠告する。

 やり場のない怒りは消えることなく、日に日に巨大な炎に変わっている。

 今はまだ理性が正常な判断を下しているが……。


「……この先、僕は……もっともっと壊れていくと思いますから……」


 口元の端を不気味に歪め、苔ノ橋はそう口にした瞬間——。


 スマホのバイブ音がけたたましく鳴り響いた。

 友達も彼女もいない苔ノ橋剛。

 彼に電話をかけてくる人なんて、誰もいないはずなのに——。


『はぁ〜い。剛くん、今から放送があるから絶対に見てねぇ〜』

『絶対にアンタは後悔しない配信になると思うから、お楽しみに』


 西方リリカだった。

 そういえば、奴等は何か手がかりを掴んだようだった。

 どうせつまらない情報なのだろう。

 そう思いながら、苔ノ橋剛はLIVE配信が行われるのを待った。

 そして——。


 遂に奴等の配信が始まるのであった。


◇◆◇◆◇◆


『はい、実は今——緊急で動画を回しています』


 動画に映っているのは、廃進広大と西方リリカのみ。

 他の一味連中の姿はどこにもなかった。


『というのも、今、ニュースで話題になっている通り魔殺人事件を知っているか? 知らない人のためにも説明すると——』


 廃進広大は事件の概要とその被害者のことを説明した。

 リアルタイムで動くチャット欄では——。


「まだ犯人が見つかってないんだろ?」「さっさと犯人が捕まって死刑になってほしい」「知ってる!!」「犯人、死ね」「マジで最低じゃん、犯人」


『で、今——SNSで話題になっているバチャ豚の動画を皆んなは知ってるか?』


 配信上には、苔ノ橋剛の姿が映し出されている。

 一人駅前に立ち、必死に紙を配っている姿である。


「バチャ豚……早く死んで欲しい」「バチャ豚ってリリカちゃんに手を出したんだろ?」「強姦魔は死ね」「死ぬべき人間だろ、コイツは」「マジで死ねよ」


『おいおい……チャット欄が荒れてるなぁ〜。まぁ、バチャ豚の話題を出すのは悪かったと思ってる。でも、実はこの行動には意味があったんだよ』


 廃進広大は画面の向こう側で、声を強めて。


『実はな、大切な視聴者に教えなければならないことがあるんだ。今、ニュースで話題になっている通り魔殺人事件の被害者は——実はオレたちの仲間——【バチャ豚】の母親なんだよッ!!』


「えっ……?」「これマジ?」「バチャ豚の母親が被害者?」「強姦したから……罰が当たったんだよ」「まぁ、仕方ない」「ゴミを育てた親には、それなりの罰を与えるのが当然」「死んでもいいだろ、こんな奴の親なんて」


『うう……おばさんは本当にイイ人だったのに……ど、どうして……?』


 涙を流す超絶美少女西方リリカ。

 彼女の肩へとゆっくりと手を置き、ぽんぽんと叩く廃進広大。

 それだけでは飽き足らず、西方リリカは更なる号泣を繰り返す。


『本当におばさんは……おばさんはイイ人だった。おばさんは……いつも』


 美少女が涙を流す姿というのに、視聴者は大変弱いようである。

 先程までのコメントとは一変し、一気に違う内容へとなった。


「リリカちゃん、マジでイイ人すぎる」「これはもう国宝級美少女に認定するべき」「リリカちゃんが言う通り、バチャ豚の母親はイイ人だったんだろうな」


『許せねぇよな? なぁ、皆……許せねぇよな?』


 廃進広大の声に対して、チャット欄の怒りは爆発する。


「許せねぇ!!」「犯人は血祭りッ!」「絶対に殺すべき!」「許せない!」「リリカちゃんを泣かした奴は絶対に許さん!」「許せるはずがない!」「犯人を見つけたら……地獄へ突き落として欲しい」


『だから、オレたちは自分たちで犯人に関する情報を掻き集めたんだッ!! オレたちの仲間が必死になって毎日駅前で紙を配って頑張ってるんだぜ? こんな頑張ってる姿を見て、オレたちも何かできることはないかと思ったんだッ!!』


「流石ッ! 廃進広大ッ!」「カリスマは違う!」「人の上に立つべき存在」「仲間想いの最高のリーダー」「今後、日本の動画界隈を担う重要人物ッ!」


『そして——遂にオレたちは犯人を見つけ出しましたッ!!!!!!!!』


(は、犯人を見つけ出しただと……?)

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