第2話:大好きな幼馴染みの裏切り

「おいッ! 豚、今からお前はオレ様のサンドバックだ」


 イジメはヒートアップする。

 机や椅子に落書き、シューズや弁当をゴミ箱に入れられるのは当たり前。

 毎日毎日理不尽な暴力をふるわれる。

 だが、苔ノ橋は決して反抗しなかった。

 幼馴染みとの約束を守るために。

 もしも、暴力をふるったら、嫌われてしまうから。


(はぁ……ちくしょう……ち、ちくしょう!!)


 奴等を倒したい。

 その場で殴り殺したい。

 その気持ちは日に日に増す一方なのだが。


「はいっ! お弁当持ってきたよ」


 人気ひとけがない屋上にて。

 苔ノ橋剛は、西方リリカから弁当を受け取った。


「ありがとう。僕のために作ってくれて……」

「ううん。いいよ、別にこれぐらい。剛くんのためだもん」

「……本当にありがとう。リリカだけだよ、僕の味方は」


 苔ノ橋剛と西方リリカは、別のクラス。

 だからこそ、彼女はまだ詳しく知らないのだ。

 苔ノ橋剛が教室内でどんな理不尽な被害を受けているのか。

 もしかしたら、それを薄々気付いて優しくしているのかもしれない。


「それなら今日も残さず全部食べてね、剛くん」

「う……うん」


 苔ノ橋剛は弱目の声を出した。

 というのも、リリカの作った弁当はあまり美味しい代物ではなかった。

 美少女の幼馴染みと言えども、弱点はあるものだ。

 西方リリカは、ドが付くほどの料理下手なのである。

 どこから薬品っぽい味もするのだが……。

 幼馴染みが折角作ってくれた弁当を食べないわけにはいかない!!


「剛くん、何を犬みたいにムシャムシャ食べてるの〜? あはは」

「……いやぁ〜。だって、リリカが作ってくれたんだもん。早く食べたくて」

「うふふふ。でも、ちゃんと味わって食べてほしいよなぁ〜。お口の中に入れたら、最低でも三十回ぐらいは噛んでもらわないとねぇ〜」

「う……う、そ、それもそうだね……」


(……マズイからさっさと胃袋に入れてしまえばいい。そう思っていたが……味わって食べろと言われてしまった!! こ、これは辛いぞ……)


「あ、それよりも今日もこんなに傷付いたってことは……?」

「う、うん……ちゃんと我慢したよ、リリカ。言われた通りに約束守ったよ」

「そっか。偉い偉い、ちゃんとあたしの言いつけを守ってくれたんだ」

「……うん。だって、リリカに嫌われたくないから」

「うんうん。その調子だよ!! 暴力をふるったら、嫌いになるからね!!」

「……うん。僕、頑張るよ。リリカのために我慢するよ、これからも」


 廃進広大に目を付けられてから、苔ノ橋剛の学生生活は終わっている。

 毎日理不尽な被害を受けているのに、何故学校に通っているのか。

 その理由は、大好きな幼馴染み——西方リリカが褒めてくれるから。

 彼女の無邪気な笑顔が見れる。

 ただ、それだけで、今日も学校に来てよかったと思えるのだ。


 しかし——。


 楽しい二人だけのお忍びお昼休みは、終わりを告げてしまう。


「ちぃーす。お二人さん、こんなところで何やってるのかなぁ〜?」


 誰も来ないはずの屋上。

 苔ノ橋剛と西方リリカだけの幸せな空間。

 そこに、廃進広大とその取り巻き連中がやってきたのだ。


「もしかして、今は豚の餌やりの時間帯なのかなぁ〜?」


 廃進広大の声に、取り巻き連中がゲラゲラと笑った。


「楽しい楽しい幼馴染みちゃんから餌をもらえてラッキーだったね」


 苔ノ橋は無視することにした。

 西方リリカは廃進広大たちを見て、睨みをきかせている。


「おいおい、無視すんなよ。悲しくなるだろぉ?」


 喋りかけられても無視。

 相手にした時点で負け。

 苔ノ橋は自分にそう言い聞かせ、平静を保つのだが。


「無視すんじゃねぇーって、何回言ったら気が済むんだよッ!」


 廃進広大の蹴りが炸裂し、苔ノ橋は倒れてしまう。

 手に持っていた弁当箱が地べたへと落ち、ぐしゃぐしゃになってしまう。


「あらら〜。残念だねぇ〜。幼馴染みからもらった弁当がグチャグチャに」

「ふ、ふざけるなよ……お、おいッ!」


 殴りかかりたかった。

 今すぐ殴ってこの怒りを抑えたかった。

 だが、リリカとの約束で行動できない。


「リリカ? 大丈夫?」


 西方リリカの肩が震えている。

 隣で笑顔を見せてくれた少女が手で顔を覆い、震えているのだ。


「頑張って作ってきたのに……頑張って作ったのに……」


 弁当を作ってくれたのは、一週間前が始まりだった。

 それから毎日のように弁当を作ってくれたのだ。

 来る日も来る日も、苔ノ橋のために。

 弁当箱をゴミ箱に投げ捨てられ、食に困った苔ノ橋のために。


「ふ、ふざけるなよッ!!」


 我慢の限界だった。

 苔ノ橋剛は廃進広大の胸ぐらを掴んで、思い切り引っ張った。


「おいっ! 殴ってみろよ、おい、殴れるものならな。ほら、殴ってみろよ」


 挑発してくる廃進広大。

 だが、その近くにはカメラを向けた取り巻きがいる。

 殴った瞬間を押さえて、暴力行為をふるわれた。

 そんな動画でも出すつもりなのだろうか。


「ビビってるのか? おい、豚くん。さっさと殴ってみろって。ほら、さっさとオレを」


 でも、今はそんなの関係ない。

 リリカが涙を流しているのだ。

 その姿だけは決して見たくない。

 そう思って、苔ノ橋が拳をグーにした瞬間。


「ダメっ!! 剛くん、そ、そんなことしちゃダメッ!!」


 リリカが叫んだ。


「こんなことしても、相手の思う壺だよ……だ、だからやめよう。ねぇ?」


 もう行動を止めるしかない。

 握った拳を緩め、胸ぐらを掴むのも止める。


「逃げ腰だなぁ〜。殴ることもできないなんて、ただの腰抜けじゃねぇーかよ」


 取り巻き連中が笑うが、苔ノ橋は決して動じない。


「てか、この弁当。どこからどう見ても、豚の餌じゃねぇーかよ。マズそうだな」


 廃進広大は言ってはならないことを口に出した。

 西方リリカは、料理が上手くできないのだろう。

 大変、見た目からして弁当が美味しそうに見えないのだ。


「…………ひ、ひどい……マズくないよね? ねぇ、苔ノ橋くん」

「う、うん。美味しいよ、リリカが作ってくれた弁当は」


 嘘だった。

 本当は超絶マズかった。

 でも、西方リリカという美少女が作ってくれたのだ。

 それだけで美味しい気がした。


「なら、食ってみろよ。この汚くてマズそうな飯をよ」


 廃進広大は地べたに落ちていたご飯やおかずの数々を踏みつぶした。


「美味しいなら食えるだろ? なぁ、食ってみろよ。ほらさっさとよッ!」


「た、食べたら……ダメだよ。絶対食べたらダメ……ダメだからね」


 ダメだと言われても、食べるしかない。

 今まで優しくしてくれた幼馴染みを裏切るわけにはいかないからだ。

 リリカが必死に作ってきてくれたのだから。


「おいおい……マジでやるのかよ……」


 苔ノ橋剛は落ちている物——もう既に踏まれてしまい、ご飯ともおかずとも言えない代物を摘んで、口のなかに放り入れた。


 普通の人ならば、絶対に食べないはずなのに。

 それでも、幼馴染みが朝から必死に作ってくれたから。

 たったそれだけの理由で、言いつけ通りに何度も咀嚼しながら、苔ノ橋剛は満面の笑みで言うのである。


「美味しいよ、リリカ」と。


 その瞬間、廃進広大とその取り巻き連中は腹を抱えて爆笑した。

 苔ノ橋剛の姿が、本物の豚に見えて仕方がなかったのだろう。

 でも、ひとりだけ笑わない者もいた。

 その女の子は目元を擦りながら。


「あ、ありがとう……う、嬉しい、嬉しい……ほんと……ほんとうに、うれ、うれし、うれし……うれし——っぷっぷぷうぷぷ、あっっはははははあはははははははははあっは。もうダメ……これはもうダメだ、あたしもう限界」


「えっ?」


 西方リリカが豪快に笑いだしたとき、苔ノ橋剛は戸惑ってしまった。


「おいおい、何やってんだよ。リリカ、最後の最後まで笑いを堪えないとダメだろうが!」

「ごめ〜ん。広大くん、だってあまりにも面白かったんだもん。豚の行動がさぁ」


 豚?

 誰のことを言ってるの?

 リリカは、剛くんと呼んでくれていたはずなのに?


「なんて顔してやがるんだよ、豚」

「鳩が豆鉄砲食らった顔って言うよね〜」

「おっ! リリカ、いいこというじゃねぇーか」


 廃進広大はそう言い、


「でも、コイツは鳩じゃなくて、豚だけどな」


 廃進広大、取り巻き集団、そしてあのリリカさえも笑っていた。

 どんな状況なのか、さっぱりで意味が分からない。

 そんな苔ノ橋に答えを教えてくれた人物がいた。

 苔ノ橋剛が片思いしている幼馴染みだった。


「実はね、豚くん。あたし、広大くんと付き合ってるんだよ」


(リリカがこのクズ男と付き合っている……?)

(ウソだよね……? そんなはずないよね……?)

(えっ……? どういうこと? 意味が分からないよ)


「えっ? ぶ、豚くん、どうしちゃったのかなぁ〜?」

「リリカ……お願いだから……否定してよ。違うよね?」


 救いを求めて、苔ノ橋剛は愛しの幼馴染みに救いの言葉を向ける。

 だが、しかし——。


「知らなかったでしょ? そうだよね、意図的に隠してたし」


 クスッと笑みを漏らしながら、西方リリカは言った。


「ていうか、あたしのことをリリカって呼び捨てしないでくれる? マジで気持ち悪いんだけど……あたしとアンタじゃ住んでる世界が違うの。鏡見たら、それぐらい分かるでしょ? ねぇ、マジで気持ち悪いからやめてくれる?」


(リリカじゃない。いつものリリカじゃない……一体これはどういうこと?)


「まぁーそういうことなんだわ。オレとリリカは恋人だってことだ」


 廃進広大はそう言うと、西方リリカの唇を奪った。

 求められたほうも応えるように、熱いキスを交わすのだ。

 くちゅくちゅと耽美な音が聞こえ、お互いのベロを入れては、唾液の交換までしているのだ。

 大好きだった幼馴染みの唇が、イジメっ子の廃進広大に奪われる。

 それだけで、苔ノ橋の頭のなかがグシャグシャになる。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああ」


 苔ノ橋は頭を掻き毟った。

 愛しの幼馴染みが、よりにもよってこのクズ男に奪われてしまったのだ。

 大嫌いな男に。自分をイジメている張本人に。

 嫌いで嫌いで仕方なくて、殺したいと思っていた強者に。


「広大くん。もっと……は、激しく……お、お願い」

「リリカ。お前もしかして、ここで欲情してるのか?」

「……人に見られながらのキスって最高なんだもん❤︎」

「ったく……お前って奴は……まぁ、仕方ないか」


 何度、彼女の唇に触れようと思ったことか。

 何度、彼女の唇を奪ってしまおうと思ったことか。

 でも、できなかった。

 今の今まで大好きな幼馴染みに手を下すことができなかった。


 もしかしたら——。


 西方リリカに嫌われてしまうんじゃないかと思って。


 もしかしたら——。


 幼馴染みという関係性も壊れてしまうんじゃないか。

 そう思って、何度も躊躇ってきていたのに。


「リリカは……ぼ、僕を騙してたってこと?」


 苔ノ橋剛だけは知らなかったのだ。

 最初から、幼馴染みという関係性が壊れていたことに。


「騙してたわけじゃないよ? 元々、あたしは広大くん側だったってこと」


「ちょっと待ってよ!! それじゃあ、昔の約束は……? 大きくなったら結婚しようねと言ったこと……そ、それは……それさえも全部嘘だったわけ??」


「ぜ〜んぶ、嘘に決まってるじゃん? 剛くんはバカなのかなぁ〜? あたしが剛くんと結婚するメリットって何もなくない?」


「それじゃあ……それじゃあ……待ってよ。今まで優しくしてくれたのは?」


「決まってるじゃん。アンタみたいな気持ち悪い男子にも優しくする超絶美少女——西方リリカを演じるために決まってるでしょ? ねぇ、それぐらいも分からなかったの? てかさ、普通に考えて、誰がアンタのことを好きになるの? Vtuberとかいう気持ち悪いコンテンツを見てるキモオタを好きになるわけないじゃん。てか、今まで騙されてきていたとか……マジでバカすぎでしょ」


「そんなの嘘だ……全部嘘だ……リリカは違う。リリカは優しい女の子なんだ。昔から……昔から……僕を助けてくれた……優しい幼馴染み……」


「お前に良いことを教えてやる。リリカが優しくしてくれたのは、これも全部、オレたちの動画企画なんだわ」


 そう言いながら、廃進広大は懇切丁寧に企画説明をしてくれた。

『イジメられっ子のバチャ豚くんが、超絶美少女に優しくされたら……』という夢企画。

 最後の最後で全部ネタバラシして、全て嘘だったと知ったときの反応を楽しむものだと。

 つまり、西方リリカが優しくしてくれたのは、全て演出上だったのだ。

 全部全部、廃進広大の手のひらで泳がされていたってわけだ。


「ねぇ、今どんな気持ち? ねぇ、教えてよ。大好きな幼馴染みに裏切られて、挙げ句の果てには、床に落ちた弁当食ってさ。ねぇ、教えてよ。教えてくれよ。オレの登録者アップのためにさ」


「あ、実はね、豚くん。あの弁当、実は致死量以下の洗剤入れといたの。知ってた?」


「ぎゃははははははは。容赦ねぇーな、リリカは。洗剤入れるとか悪魔すぎるだろ」


 その後、何が起きたのか。

 苔ノ橋剛はもう覚えていない。

 ただ、カメラを向けられ、感想を聞かれ続けた。

 途中で反応を失った苔ノ橋に飽きたのか、奴等は殴る蹴るの暴行を食らわせ、彼を汚い洗剤入り弁当の上に倒した。

 その後、廃進広大、西方リリカ、取り巻き集団は屋上を出ていくのだ。

 一方、苔ノ橋剛は視界から輝きを失いつつも、地べたに転がったスマホを手に取った。

 そして、癒しを求めて、『天使のツバサ』の曲を聴くのであった。


(……ぼ、僕を癒してくれるのは……ばっさーだけだ……)

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