1人部屋。10畳。2人。

めかけのこ

第1話 変わらない日々

 帰宅した俺は直ぐに階段を上がる。台所でする包丁の音、その音を奏でる母親にも目をくれずに。

 逃げ込んだのは10畳の王国リトルキングダム。鍵も付いていないドアを閉めて一息。

「ふぅ…。」

 学校での気苦労と共に学ランを脱ぎ捨て…ることはなくハンガーラックに掛ける。

 明日の朝まで、束の間の自由。…規定演技はもう終了!今は放課後!俺はこうたろう!今月10日の生まれの俺、独壇場!」

「いや、こうたろうでも今月10日生まれでもないでしょ…。」わ

「おや。いつから聞いていた?」

「いつからも何も、全部口に出してるからね?」

 部屋に居たのは一人の女。呆れ顔は語る「こんなもんか?」。姓は紫耀しようで名は華陽はなび。韻で分からすラガ魂。

「”女”はやめてくれない?」

 痺れるリリックが思わず口から言ノ葉おもいのたけという形で現れていたようで、彼女の耳にも届いてしまっていたらしい。だが、恥ずべきこともない。この声は俺の魂のマイソウルボイスだ。

「そのとんでも重複文は恥ずべきだと思うよ?」

 Soulが零れ出してしまったか。Realな言葉には熱が籠る。これは仕方がないことだ。込めたPassionは枯れようが無く。余計なお世話は言いたかないが、俺の前では誰もが霞む。

「これ、結構一発ネタに見えるけど?大丈夫?」

「N.P. N.P. It's real.」

仕込みは抜群。これじゃ作文?違う。勝てば官軍。見てろ、背中で語る俺のHow to。

「あのー?引くに引けなくなってない?」

「何が?いつもこうだけど?リアルだし。」

「もう動揺隠せてないから。半べその小学生みたいな口調になってるから。」

 どうやら彼女は現代に蔓延はびこるディープフェイクに飲まれているらしい。私の様なクリアリアルが彼女には眩しすぎるのかもしれない。

「一人称くらい決めとこうよ。」

 なにやら先ほどから訳の分からないことを言っている。俺の魅力にやられちまったか?

「あ、戻った。」

 ナチュラルに心読んでない?

「幼馴染ですから。」

 愛してるよ。華陽はなび

「うん。知ってる。」

 …今は放課後!俺はこうたろう!今月10日生まれの俺、独壇場!

「え?無かったことにした?」

「…さっきから君。ベラベラとやかましいな。」

 と、口に出したところで気が付く。自身の失言に。

「あっ、ふーん。そういう態度なの?」

 ニヤニヤとしながら華陽が取り出すスマホ。

「…動画?ってまさか!?」

『…はこうたろう!今月10日生まれの…』

「すいませんでした。調子乗ってました。」

 あー、冷えたフローリングでおでこが気持ちいいなー。昔から床の板目覗き込むの好きだったんだよなぁ。え?土下座じゃないのかって?いやいや、大和男子の誇りにかけてそんなことするわけ…

「猫の動画のお礼に友ちゃんに面白い動画でも送ってあげようかなぁ〜。」

「土下座です。完膚無きまでの土下座です。言葉だけでは誠意が伝わらないと思い、このポーズをとっています。」

 心の中だけでも高潔に、そんな願いも叶わないみたいです。お父さんお母さんごめんなさい。僕は産んでもらった恩も忘れて、生殺与奪の権を目の前の女の子に握らせてます。

「口調変わった?こうたろうくん。」

「…こうたろうじゃないです。」

「え、でも…」ピッ

『俺はこうたろう!』

「すいませんでした。」

「すいませんじゃなくてぇ〜、名前教えて欲しいなぁ〜。」

「僕の名前は…」

「さっきみたいにラップして欲しいなぁ〜。」

「いやちょっと、それは…。」

「…」ピッ

『俺はこうたろう!』

「分かりました。」

 文明を否定する自然主義の人の気持ちが分かったよ。きっと彼らも秘密を撮られて脅されたんだ。スマホが便利すぎるのが悪いんだ。今の僕も逃げ出したら、あぁなるんだ。

「…YO!YO!僕の名前は安土圭太あづちけいた!今はまだ潜む水面下!目指すは天下!限界知らずの天才少年。天涯てんがい孤独も詮無きことさ!YO!」

 エアマイクを握り、即興でライムを紡ぐ。見てわかるほどに手は震え、まるで本番前のませた娘。だがもう大丈夫、終えた全て。

「…おぉ〜。ほんとにやるんだ。」

「…僕は文明の中でしか生きれない非力な現代人だからね。」

 パチパチと手を叩く華陽の顔は少し引き攣っていた。

「じゃあ、今日は帰るね?バイバイ圭太。」

「…明日も来る?」

「…明日も先に待ってるよ。」

 下校して直ぐにこの部屋に来ていたのであろう、制服のままの華陽がドアの向こうに消えていく。

自分の家もすぐ隣なのに、そのまま来てくれていた華陽が…。




「…僕、圭太じゃないよ?」

 呟いた言葉は誰にも届かない。凪陽向なぎひなた。16歳の夏。




「って16歳でも夏でもないからー!!!」

「あ、華陽お帰り。」

 暖房のない廊下は寒かったのだろうか。少し頬の赤くなった華陽が勢いよく戻ってきた。

 多分、ツッコミがちょっと恥ずかしいのもあるんだろう。

「ちょっとくらい引き止めてくれたっていいのに!」

「いや、コートもバッグも置いて帰るわけないのは流石にわかるよ。」

 それに、もう長い付き合いだ。あんなことで気まずくなるわけもない。

 さっきより遠慮気味にベッドの端に座った華陽の前、床にあぐらで座り込む。

「毎回茶番が凝ってますねぇ。陽向くん。」

 芝居がかった口調で語る華陽。恥ずかしさを紛らわすように「あっつ〜。」と火照った顔を手で仰ぎながら、本当の僕の名前を呼んでくれた。

「いつも五六限はこれのことしか考えてないからね。」

 数学の板書を取るフリをしながら、毎日毎日ネタを仕込む。そんな15歳の冬。これは本当。

「もう来年から高校生なんだから、そろそろ大人になりなさい。」

「華陽だって毎日僕の部屋に直帰でしょ?幼馴染のために楽しい時間を演出してあげようっていうキャストの頑張りを褒めてよ。」

 今回はラップ。前回はヒットソングのオペラアレンジ。前々回は落語の食事表現と録音による心情描写でのエア孤独のグ○メ。かなり体を張ってる。

「茶番に付き合ってあげてる分でチャラよ。」

 腕も脚も組んで、ふんっと言い放つ華陽。実際、今回のオチは華陽の協力(即興)あっての賜物だし、チャラと言えなくもないかも。

「付き合ってるといえばさぁ…。」

「あー、あの話ね。確かにしつこいんだよね。2組の橘くん。」

「えっなに!?その話!」

 僕の話の腰を折るどころか、撃ち落としながら自分の話題を僕にぶつける、正に一石二鳥の話題転換を見せる華陽。この会話に芸術点があれば、僕との距離は4馬身ほど離れていただろう。

「射撃なのか演技なのか競走なのかくらいはっきりしない?」

「いや違うから!会話だから!ハッキリすべきなのは華陽!橘くんをキッパリ断ろうよ!」

「断ってほしいの?」

 ニヤニヤと、ではなく、素直な顔で僕の目をのぞき込むようにして聞いてくる。

「…いや、ほら、僕は別に彼氏でもなんでもないし?でも口振り的に?華陽にはその気がないのかなぁー?って。橘くんも可哀想だし?お互いのためって言うかっ?」

「声上擦ってるよ?」

「ぜ、全然っ?まぁ華陽、顔と声と性格とスタイルと頭は良いからね?胸は無いけどね?悪いところと言えば、幼馴染の冴えない男子(オタク気質)に付き纏われてるところくらいだもんね?ごめんね?僕死のうかな?」

 友達がいないから家に直帰するしかない僕vs友達は多いけど幼馴染の情けで僕に付き合ってくれてる華陽。ダブルスコアどころかクワドラプルスコアで僕の負けです。ごめんなさい。

「ご、ごめんって…。ちょっとからかっただけじゃん。あと胸の話はやめようね?」

「悪いところには含めてないよ?」

「セクハラって言うんだよ?」

「幼馴染でも?」

「幼馴染をなんだと思ってる?」

「魂で繋がった運命共同体。」

「死ぬまで一緒にいるつもり?」

「そりゃ、そうだけど?」

 あれ?華陽が黙り込んじゃったけど?俯いてプルプルしてるけど?本日二度目の「あっつ〜。(小声バージョン)」出ましたけど?

「って、そんなことより橘くんだよ!何もされてない?いや、告白されたんだっけ?いや、そんなこと言ってない?あれ?僕は何を言ってるんだっけ?」

「…断ってるんだけどしつこいだけだよ。」

「う、うん。いや?華陽に付き合ってあげてただけじゃん?分かってたし?」

「分かったから。1回深呼吸しな?」

「…うん。」

 胸に息を入れると、頭に昇っていた血がすぅーっと引いていくのを感じる。空気で膨らんだ胸は夢以外詰まっていない華陽のより少し大きいくらいだ。

「殴ってもいい?」

「ちょっと動揺してるからさ。許してよ。」

「分かった。」

「ちょ、いたっ。言葉と裏腹に右手が止まってないよ?華陽さん?」

「私はいいけど、体は許さないってさ。」

 え、革命軍?兄弟の死を知って記憶蘇ったりした?僕は兄弟の形見を奪おうとしてコテンパンにされてる?死んだ兄弟をバカにして…

「っていたいよ!モノローグの時は普通時が止まるもんじゃないの?」

「陽向のモノローグなんて私に伝わるわけないでしょ?」

「さっきまでの読心術は!?」

「知らない話は分からないからね。」

「知らずにあんな似たセリフ喋ってたなら、逆にすごいけどね!○○○○の右腕たる資質に満ち溢れてるけどね!」

 知らない話って言ってる時点で聞こえてますよね?聞こえてるで合ってるか分からないけど!

「ってそんな話じゃなくて!」

「あぁ、2組の…」

「そう!それ!」

「…林先生に告白されたって話だっけ?」

「何してやがる!あの野郎!今すぐ行ってぶん殴ってやる!」

「ごめん嘘。」

「純情な青少年の心を弄ばないで!?」

 短時間で心を揺さぶられすぎて情緒が不安定。片脚を切り取られたくるみ割り人形くらい不安定。

「片脚だったら皆不安定だと思うよ?」

「…2組の橘くんの話ね?」

「あ~、そうだっけ?」

「何その反応!?それも嘘だったの?もう何も信じられない。」

「冗談じゃん。そんな剣幕でまくしたてなくていいじゃん。」

「本当にしつこいの?」

「まぁ多少ね。何かやってくるわけじゃないんだけど、ふとした時にこっち見てるとかくらいで。」

あかりに頼んで止めさせようか?」

 燈っていうのは友達の空乃燈そらのあかりのことだ。サッカー部キャプテンでフィジカルエリートだから大体のことは任せられる。

「…こういう時って『僕が助けるよ!』って言うもんじゃないの?」

「いやー、僕じゃ舐められちゃうだろうからね。むしろ普段そういうことしない僕がでしゃばっちゃったら華陽と僕との関係が疑われちゃって逆に迷惑でしょ?普段も幼馴染ってだけで弄られてるのに。」

「…はぁ。」

「ため息つくほど気苦労なの?やっぱり誰かに相談…」

「んーん。違うの。」

 ん?どうしたのかな?疲れとかってより呆れてるように見えるけど…。やっぱ僕が情けないからかな?

「前半は正解。」

「何ポイント?」

「40HP」

「体力制!?」

「いや、華陽ちゃんポイント。」

「溜まるとどうなるの?」

「100ポイントで愛想を尽かす。」

「まさかの減点法!?」

 減点されるような事だった?正解だったんだよね?後半の間違いで40ポイントだったってことかな?…女心はむつかしい。

「『むつかしい』やめて?」

「あっ、はい。」

 ちょっと呆れ通り越して軽く怒ってない?

 でもこういうのって下手に喋ると逆に良くないよね。推理小説でアリバイを得意気に話す犯人くらい墓穴掘っちゃいがち。

 …明日までに必死で考えてみようかな?

「…まぁ、いいよ。これは今に始まったことじゃないもんね。」

 少し落ち込んだように顔を伏せる華陽。

 冗談めかしてはいたけど、もしかしたら精神的に少し参ってたのかも。それで僕も追い打ちをかけちゃったのかも。何が悪かったかは、まだ分からないけど。

「…ごめんね?」

 これは楽になろうとした。良くない謝罪だ。華陽が「別にいいよ。」って言ってくれるのを期待してた。

「謝らなくていいよ。」

 あぁ、この謝罪も胸に刺さる。くだらない保身で、華陽がこれ以上の悩みを口に出し辛い雰囲気を作っちゃった。

「…橘くんのことはほんとに大丈夫?」

「うん。でも…」

 華陽の声音は少し震えている。

「でも?」

「…言いにくいんだけどね?」

 良く見ると、その肩も少しだけ震えていた。

「何でも言ってよ。」

「…あのね?」

 決心したように顔を上げる華陽。

 僕はその顔で全てを悟った。

「…っ、嘘なのっ。ふふっ、陽向、っ良い奴すぎでしょ。ふふっ。」

 必死で笑いを噛みこらえながらの大どんでん返し。今の僕の顔が”鳩が豆鉄砲食ったような顔”の語源だと思う。

「そもそも、橘くん同じクラスの高橋さんと付き合ってるでしょ?」

 お腹を抱えて、ヒィヒィと笑いながら僕の動揺が故に起きた間違いを指摘する華陽。テスト後の『落ち着いて考えれば分かったと思うよ?』くらい腹立つ。

 でも、まぁ…

「まぁ、何も無いにこしたことはないかぁ。」

「…ほんとに優しいね。」

 華陽は少し嬉しそうに微笑んでいた。

 なんとなく、これで悪くない気がした。

「でも、ほんとに気まずかったからね?」

「長い付き合いなのに?」

「ああいう、センセーショナルな気まずさは感じたことがないからさ。」

「どれくらい気まずかった?」

「僕の自己紹介ラップの時を”先生をママと呼ぶ”くらいの気まずさだとしたら、今回のは”える絶景スポットで女装踊ってみた撮影中にダブルデート中の担任団に遭遇する”くらい。」

「その例え、ピンと来ないよ?」

「想像を絶するほど気まずいってことだよ。」

「それは分かりやすいね。」

 2人で顔を見合わせて、笑う。

「あ、だいぶ脱線しちゃったけど、付き合ってると言えばって話は?」

「いや、ただの雑談のタネだったからね。もう十分笑えたし、今日はいいかな。」

「勿体ぶるねぇ。いずれの機会を楽しみにしててもいい?」

「そりゃ、もちろん。」

楽しみは後に残っていたっていい。明日も明後日も僕はここにいる。待っているのが楽しみなら、今日は惜しくない。




夜の帳が街を覆ってしばらくした頃、華陽は帰って行った。

ようやく1人になった思春期中学生男子。今まで幼馴染の美少女がいた部屋で僕は…

「(…ぁぁぁぁあああああ!!!!かんっぜんにバレてるよね!?ヤバくないか?僕。もう華陽のこと大好きじゃん。無理じゃん。今まで普通に遊んでた幼馴染が…とかキモくない?)」

普通に恥ずかしすぎて死にたくなってた。

ベッドに飛び込み、枕に口を押し付けながら叫ぶ。言葉じゃなく、悲鳴にも近い声でただ叫ぶ。

「イメージだと上手く行くんだけどなぁ。」

もう半月くらいこの調子な気がする。思いと態度だけはいっちょ前で、肝心な言葉が出てこない。

「…漫画とかだと『思わず出ちゃった。』みたいなのあるけど、全然無理だよ…。」

決心から時間を経ても、何も変わっていない。

変わらない日常が、終わらないわけじゃないって気付いた日に、全てを変えようと決意した。

その日は突然だった。僕は明日も明後日もここにいるわけだけど、華陽がここに居てくれるわけじゃないって。ある日、そう気付いた。

華陽にとっての1番が現れて、そいつのためにお洒落をして、そいつのために笑顔を向けて、そいつのために生きることになったらって、想像してしまった。

僕のためにお洒落をしなくても、僕のために笑わなくても、僕のために生きなくても、僕は別に良かった。

でも、放課後部屋に戻って、華陽がいないのは嫌だ。僕が華陽を1番にできなくなるのは嫌だった。

だから、華陽を褒めようって思った。華陽を笑わせようって。華陽のために僕の時間を使おうって。そう、決めた。

「…そう、決めたんだけどなぁ。」

部屋にあるカレンダー。その3月のページ。卒業式の日に付いた二重丸を見ながらため息をついた。

「『バレてるよね?』ってさぁ…。」

それでも華陽が部屋に来てくれることに甘えてる自分が嫌だ。このまま何となく関係が続いてくれるんじゃって思ってるところが。

「うん。明日はもっと…。」

何度目かも分からない反省会を終えて、カレンダーの今日、12月1日に‪バツ‬をつけた。


これは、卒業までの物語だ。

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