第40話 おとり2
リンリエッタは、カインを見てにっこりと笑う。カインは目を細めると、彼女のドレスに手を伸ばした。
ドレスを作るカインにとって、脱がせることも着せることも、恥じらうような行為ではない。これまでも、試着の際にはリンリエッタにドレスを着せたこともある。
カインはスルリとドレスの紐を解く。己が作ったドレスだ。脱がし方もコツも誰よりも知っている。
ドレスが緩み、リンリエッタの肩が露わになると、カインは身体を捻って彼女に背を向けた。
重力に負けたドレスが、リンリエッタの足元に散らばっていった。
「後はよろしくお願い致します」
「……何だかあっさりよね」
至極残念そうにリンリエッタがため息を吐く。リンリエッタは不満げだ。カインは訳もわからず首を捻った。今振り返る訳にもいかず、背を向けたまま。
「普通、好きな人のあられもない姿を見たら、緊張するでしょう? 胸が高鳴るものでしょう?」
「……はあ」
カインは抜けた返事を返す。その声にリンリエッタは唇を尖らせた。衣擦れの音が部屋を満たす。それでもリンリエッタは喋るのをやめない。
「良いのよ。私はカインのそういうところも好きよ。でも、ちょっとくらいドキドキしたいじゃない?」
「善処致します」
「はいはい。貴方の『善処』なんてお父様の『いつか』と同じ」
リンリエッタは全て脱ぎ捨てると、真新しいワンピースを頭から被った。彼女は物珍しそうにスカートをめくったり、袖を引っ張ったりする。
そして、満足したリンリエッタは背筋を伸ばしてカインの後ろに立つと、顔に満開の花を咲かせた。
「カイン、もうこちらを向いても構わないわよ」
「はい」
「どうかしら?」
「お似合いです」
簡素なワンピースは、町で若い女性が着ている物と同じような形をしている。カインはリンリエッタの側によると、ワンピースと同じ生地で出来た紐を腰に巻いた。
「これで完成?」
「はい」
「こんなに簡単なのね」
「ドレスのように難しくては、一人で脱ぎ着できませんから」
リンリエッタが納得の様子で頷く中、カインは床に投げ出されたドレスを拾う。全て綺麗に畳むと、鞄の中に押し込んだ。
最後に布を一枚取り出すと、リンリエッタの頭にかける。
「貴女の金糸は人の目を引きます」
「何だか変装みたいね」
「何だかではなく、変装ですね」
カインの簡素な返事にリンリエッタは訴えるように上目遣いで睨んだ。しかし、彼には少しも通用しない。どこ吹く風、涼しい顔をしている。
「さあ、行きましょう」
カインは左手に大きな鞄を持ち、右手をリンリエッタに差し出した。リンリエッタの視線は、彼の手と己の手を行き来する。少しだけリンリエッタの頬が緩む。
「リンリエッタ様?」
カインが首を傾げる。リンリエッタは大きく頭を横に振って、慌てて彼の手を握った。
「何でもないのよ。早く行きましょう」
二人は裏口からこっそりとジェイの家を抜け出した。裏口から出ると、ジェイの作業場である、小屋に続く。カインは家と家の間、人一人がどうにか通ることのできる道を見て、ため息を漏らさずにはいられない。しかし、リンリエッタには、同じ道でも違って見える。
「まあ、冒険みたいね」
リンリエッタの弾んだ声を耳にして、カインはため息を飲み込む。
「気を付けてください。擦れると汚れます」
カインは何度も肩を汚している。重みのある言葉だ。
「ええ、わかったわ」
リンリエッタも、カインの言葉に真剣に頷いた。ドレスを脱いで、大きな鞄1つ持って狭い道を歩く。リンリエッタはカインの横顔を見上げながら、小さく笑った。
「ねえ、カイン」
「はい」
「私、貴方が好きよ」
「突然どうしたのですか?」
「何度だって言いたいの。だって、言葉にしなければ伝わらないでしょう?」
リンリエッタが笑う。カインは言葉を返す代わりに、彼女の手を強く握りしめた。
繁華街にあるジェイの家から幾分か歩いた所に二人の目的地はある。白い壁、赤い三角屋根の小さな教会だ。クライット公爵家の寄付で建てられたこの教会は、然程大きくはないが、まだ新しく綺麗であった。
教会の入り口では、神父が真っ白な服に身を包んで佇んでいた。
「お待ちしておりました。リンリエッタ様」
「神父様。今日は無理を言ってごめんなさい」
リンリエッタが申し訳なさそうに眉尻を下げると、神父は小さく首を横に振った。
「何を仰いますか。私は神の御意志のまま、見届けるまで。さあ、部屋でご準備を」
神父は、ゆっくりと教会の扉を開いた。
教会の奥に、神父や孤児達が生活する家がある。二人はその一室に通された。簡素なテーブルと一人がけの椅子が一つ。板張りの床が歩くたびにギシリと鳴く。
カインは床の上に大きな鞄を置くと、すぐさま部屋の扉に手を掛ける。
「では、私は教会の周りに怪しい者がいないか、確認して参ります」
カインの言葉にリンリエッタは不安げに瞳を揺らす。本当は、「行かないで」と叫びたい。しかし、その気持ちを抑え、リンリエッタはどうにか口角を上げた。
「ええ、お願いね」
カインは、いつもの様に頭を下げる。今から婚姻をするとは思えない姿だ。リンリエッタはそんな彼の姿に肩を竦めた。
「カイン、くれぐれも気を付けて」
「勿論でございます」
カインは部屋を抜け出すと、ゆっくりと辺りを捜索した。
『私がおとりになります』
カインがそう伝えたのは、クライット公爵らと四人で宰相の悪事をどう明るみにするか相談していた時のこと。
カインの提案した策は、非常に簡単なものであった。宰相にカインとリンリエッタ婚姻の情報をわざと掴ませるというものだ。婚姻の計画を知れば、宰相は必ずカインを狙う。婚姻は神の導きによって成されるもの。離れることは許されなかった。離縁するということは、すなわち神の加護から離れるということだ。国の上に立つ女王が神に逆らうようなことをできる訳がない。
宰相は婚姻が成立する前に、カインの息の根を止めようとするだろう。その際、きっと死病の薬を使用するとカインは考えた。何らかの言いがかりをつけ、平民一人を殺すことは、宰相にとっては容易いことだ。しかし、リンリエッタの反感を買うことは絶対に避けるであろう。ならば、死病という不幸こそが丁度良いと考えるのだが妥当だ。
カインは自らおとりとなる為に、慎重に行動した。外では飲食物を一切取らない。食事は全てリンリエッタと同じ物を食べた。一人では行動せず、婚姻の日まで過ごす。宰相は苛立っている筈だ。今日を逃せば後はないのだから。
カインは隙を作るように、一人で教会の周りを見て回る。此度の婚姻は秘密裏に行うものだからと、子供達は事前に少し遠くの公園へと避難させてある。
カインが教会の裏へと差し掛かった頃だ。黒い布で頭と口元を隠した男が、カインの背後を襲った。頭を打たれたカインはその場に倒れ込んだ。男がカインの上に馬乗りになる。カインは呻き声をあげ、苦しそうに頭を押さえるばかりだ。反撃がなされないことを良い事に、懐から小さな瓶を取り出した。
小さな瓶。中では赤く染まった液体が揺れる。
「ジェイ!」
カインは叫んだ。
「はいよっ」
陽気な声と共に、ジェイは空から降り立つ。そして、手に持つ木の棒を振りかざした。
鈍い音が鳴る。驚いた鳥たちが逃げるように飛び立った。不意をつかれた男は、ジェイの一振りにより、頭を強打し白目を向けて地に倒れている。
「やっべ。死んだか?」
ジェイが肩を竦める。カインが殴られた所を押さえながら、倒れる男の首筋に触れた。
「いや、生きている」
「あっぶね~あっぶね~」
ジェイは茶目っ気たっぷりに笑いながら、男を縄で拘束していった。カインは暫しジェイを物言いたげな目で見つめる。
「ほら、あれだろ? 死病の薬ってやつは」
男を縛りあげながら、顎で地に転がる小瓶を示す。ジェイはカインの関心を他に向けることに成功してホッと胸を撫で下ろした。
カインは死病の薬を握り締める。頭の痛み等どうでも良い程に、カインの気持ちは高揚していた。
ジェイは男を布をかぶせると、肩に担ぐ。そして、カインに背を向けた。
「すまない」
「良いってことよ。お姫さんとお前にはずっとお礼がしたかったんだ」
ジェイが歯を見せて笑う。
「じゃあ、俺はこいつを連れて行くぜ。お前はさっさと神の前でお姫さんを貰ってこい」
カインはジェイの無神経な言葉に眉根を寄せた。しかし、すぐに頬を緩ませる。カインは誤魔化すように、大きなため息をついた。
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