第30話 訪問者2

 聞き慣れない言葉を前にして、リンリエッタの形の良い眉がピクリと動く。


「宰相、それは国王陛下への不敬に当たりますよ」


 咎めるようなリンリエッタの声が部屋に響いた。宰相は慌てながら、額から溢れる汗を拭う。涙で湿ったハンカチーフが汗で更に濡れた。国王を蔑ろにするような物言いに、リンリエッタが頷けば、彼女も同罪だ。


 リンリエッタの身分を考えれば、王位を狙っていてもおかしくはない。それに加えて宰相が後ろ盾になれば、彼女の人生は百八十度変わるだろう。その代わり、命の危険もついて回る。リンリエッタはそんな危険を冒してまで王位につく気は毛頭ない。だからこそ、彼を窘(たしな)める。


「いいえ、そうではございません。国王陛下は、御崩御されました」

「え……?」

「今、宮殿では死病が流行っております」


 宰相は力なく項垂れた。


 ガルタの村で蔓延(まんえん)した死病は、村を超え文字通り馬車に乗って王都までやってきたのだという。春乞の宴の為に呼びつけた旅芸人が死病とは知らず、王都にまで入ってきてしまった。


 馬車に乗ってやってきた死病は、王宮に乗り込み、素晴らしい舞で皆を魅了し、死神の如く参加した王族を一人残らず死の淵へと追いやった。


 クライット公爵が倒れてから数日のことである。


 リンリエッタは、父親が倒れてからその対応に明け暮れ、屋敷からは一歩も出ていない。件の春乞の宴も欠席の書状を送った。そして、彼女はそれから一度も社交場に顔を出していない。情報など手に入る状況ではなかったのだ。


 そして、リンリエッタの書状は王宮に寄せられる大量の報告書に埋もれていった。国王は、クライット公爵が倒れたことも知らず、息を引き取ったのだという。


 王族の死は、世間には未だ伏せられている。


「一つ、聞かせて頂戴。アルベエラも、死病に掛かって亡くなったの?」

「その通りでございます。最後の苦しむお顔は見ていられませんでした」

「そう」


 リンリエッタは素っ気なく返事をすると、宰相から顔を背け窓の外を見上げた。しかし、アクアマリンの瞳から、一滴の涙が零れる。


「しかし、リンリエッタ様に何もなく、本当に宜しゅうございました」


 宰相はもう一度涙した。宰相の後ろに控える者達も、揃って涙を流す。


「これで、この国は安泰でございます。安心なされませ。この私が側におります」


 宰相は涙を拭きとると、ゆっくりと口角をあげる。


 アルベエラの死にとらわれていたリンリエッタは宰相の言葉に我に返る。玉座など一欠けらの興味もないリンリエッタにとっては迷惑以外の何物でもなかった。このままでは全ての予定が水の泡になってしまうのだから。カインと二人で遠くに行くことも不可能だ。


「宰相。父は直(じき)に神の身元へと旅立つでしょう。その時、私は公爵位を失ったただの娘。見ての通り、ここを出ようと思っております」

「それはなりません! 今や尊き血が流れているのは、御身のみ。騒動が落ち着くまで、この屋敷に留まり下さい。王宮から健康な者を派遣致しますゆえ」


 リンリエッタは眉を顰(ひそ)める。宰相には彼女が王位を継承する以外の選択肢は無いと思っているようであった。


「私は、庶子の娘。王位継承権は生まれる前から与えられていないわ」

「今は緊急を要します。国王陛下も、神も咎めはしないでしょう」


 リンリエッタが何と言おうとも、宰相は頑として頭を縦には振らない。それは決定事項であると言うが如く。彼女は頭が痛いと言いたげに、真っ白な指をこめかみに当てる。


「今日のところは帰って頂戴。突然の事で考えがまとまりません」

「畏まりました。護衛の為に数名の兵士を置かせて頂きます。御安心下さい。どれも死病の気がない者達です」

「嫌だと言っても置いていくのでしょう? 好きになさって」

「ご理解頂き、感謝致します」


 宰相は、含みのある笑みを見せて帰っていった。リンリエッタは、彼を見送りながら奥歯を噛み締める。


「何が護衛よ。監視の間違いでしょう」

「追い返しますか?」

「いいえ、騒げばもっと人を寄越されるわ。好きにさせておきましょう」


 リンリエッタは、踵(きびす)を返すと屋敷の奥へと向かった。何も言わずとも、後ろにはカインが付いてくる。リンリエッタは彼の足音を聞きながら、口角を上げた。


 金の長い髪が揺れながら、カインを導く。


 リンリエッタの向かった先は彼女の自室。寝る為のベッドと、窓を覆うカーテン。それ以外は殆ど何も残っていない。公爵家の令嬢の部屋だと思えるような点があるとしたら、その広さくらいなものであった。


 彼女は一際大きな鞄を取り出すと、急ぐように着替え等を詰め込んだ。


「リンリエッタ様……?」


 カインは呆然とリンリエッタを見つめる。彼女の行動が意味する先をカインは掴めないでいた。


「カイン、貴方も早く準備をして。すぐに監視の目が増えるわ。そうなれば逃げられなくなってしまう」

「何を言っておいでですか?」

「このままでは、私は女王になってしまうと言っているの!」


 リンリエッタはその美しい顔を歪ませた。彼女の透き通るようなアクアマリンの瞳が不安気に揺れる。カインが困ったように眉尻を下げると、彼女は小さくため息を吐いた。理解を示さないカインから目を逸らした彼女は、揺れる金の髪を適当に一つにまとめる。そして、物を適当に鞄へ詰め込んでいった。


 焦っているのか、上手く荷物が纏まっていない。それも仕方のないことだ。リンリエッタは自身の身支度すらしたことがないのだから。衣類のたたみ方も知らなければ、鞄にどう詰めれば良いのかも分かっていない。焦っていたら尚更だった。リンリエッタは目に涙を溜めながら、言い訳のように呟いた。


「ドレスをどうするか悩んでいたせいよ。私が悩んでいなければ、今頃私はただのリンリエッタになれていたのに……」

「リンリエッタ様」

「早くしないと。今夜にはここを出るわ。それから隣町に向かって……」

「リンリエッタ様!」


 カインが声を荒げ、リンリエッタの肩を掴む。彼女の肩が小さく震えた。不安げに揺れるアクアマリン。彼女はカインを仰ぎ見た。


 堪えることのできない感情は、涙となって零れ落ちる。


 カインは小さく頭を横に振った。


「嫌よ、私は嫌。女王になりたいなんて、一度たりとも言っていないわ」

「貴女はこの国の誰よりも女王に相応しい」


 今度はリンリエッタが頭を振る番だ。


「ほんの少し王家の血が流れているだけじゃない。皆と同じ赤色よ」


 止め処も無く流れる涙を拭うこともせず、リンリエッタはカインの胸に頭を押し付ける。カインは苦しそうに眉根を寄せながらも、彼女の肩を抱きしめることしか出来なかった。

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