「。」

河村 塔王

第1話

 色の無い紙束に綴られたこの手稿には、如何なる題名も著者名も記されてはいない。未発見の草稿か、或いは手記なのかも定かではない。だが、このお話はそんな些事に付き合う心算は無い様だ。

 何故なら、このお話は「わたし」と言う読者を得た事を機に、中断していたお話の続きを語り出したからである。しかも、このお話の主人公は「わたし」であり「今この瞬間」の「わたし」の様子を、ここにこうしてリアルタイムに著している。

 亡き祖父の書斎に埋もれていたこの紙束は祖父、或いは祖父の敬愛する作家の手跡かと思ったが、筆触も文体も重なる所は無い。

 幼い頃「わたし」は自身の事を、誰かのお話の登場人物のひとりなのだ、と思っていた。現にヒトと言うものは皆、この世に存在する誰かのお話の登場人物のひとりである、と言える。今この文章を読んでいる「あなた」もまた、このお話の登場人物として、その存在をここにこうして書かれている。

 だが、このお話には少少奇妙な点があった。

 このお話は、主人公であるこの「わたし」が生きた分だけ、進行する訳ではない。リアルタイムに「わたし」を活写するかと思えば次の瞬間、幾つかの文章、或いは幾つかの言葉、或いは幾つかの文字のみを紙葉に出来させ、数日の後に前後の文章、前後の言葉、前後の文字を著す事があった。

 もし「わたし」がこのお話を読むのを止めたら、このお話はどうなるのか。このお話はここで終わるのか。或いはここで語る事を止め、また新たな読者が登場するのを待つのか。

 そんな想像をした所為だろうか。何の前触れも無しにこのお話は突然沈黙し、「わたし」はこのお話の中に取り残されてしまった。

 数日を経ても、数か月を経ても、数年を経ても、数世紀を経ても尚、このお話は押し黙ったまま、何も語ろうとしなかった。

 お話は何時か終わる。

 どんなお話にも必ず終わりは存在する。

 このお話は自ら沈黙する事で、お話を終わらせる事を拒絶したのかも知れない。

 そもそも、何故お話は終わらなければならないのか。永遠に終わらないお話は、存在しないのか。終わり、とは何だ。何が終わるのか。最後の文章、或いは最後の言葉、或いは最後の文字の後に「。」が穿たれているのを目にする度「わたし」は何時も憂鬱になる。

 ふと『不思議の国のアリス』の終幕が脳裏を過る。夢から醒めたアリスの元には、現実を負った大人が迎えに来る。けれども、大人になった「わたし」を迎えに来る者は誰も居ない。そう。最早「わたし」は「お話を聞かせて」とせがむだけの子供ではないのだ。

 神は中心を欠いたものだ、と言われる。

 この「わたし」は神ではないが『子宮』なる『空の器』を抱えた造物主たる存在である。お話が語るのを止めたなら「わたし」がお話の続きを産み落とせば良い。

 そう思った次の瞬間「わたし」の喉元を何か得体の知れないものが這い上がって来た。そして、もうひとつの『空の器』たる『口』から「。」が転び出た。

「わたし」はその「。」を壜に封じ込め、生と死に満ちた母なる海へと還した。

 何時しかそれは、今この手紙を読んでいる「あなた」の身体に宿り、このお話の続きを語り出すに違いない。

 思考可能なものは実在する。

 だが、思考不可能なものもまた実在する。

 想像の果てのその先のその向こう側で「わたし」と「あなた」の想像の及ばない、この世界を揺らぎ震わす、このお話の続きを。

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「。」 河村 塔王 @Toh_KAWAMURA

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