第三十七話 どちらが早いか
――えっ?
俺はしばらく状況が呑み込めずに呆けてしまった。
女性の声は聞き覚えがあったし、名前も初めて耳にするものではない……どころか俺のよく知る配信者と同じだ。
駆け寄るようにして前に出た。
見えてくるのは、綺麗な黒髪に理知的な印象の黒メガネの女性。画面を見つめるその横顔すら既視感がある。
ということは十中八九、いや、間違いなく本人だろう。
配信者の多くの憧れ……超有名配信者のMOEが、そこにいた。
「どうしたの加寿貴さん、そんな魂が抜けたみたいな顔して」
俺に問いを投げてくる光留に答えを返す余裕もない。
目を疑うし耳を疑うし、なんなら夢か何かではないかとさえ思う。
けれどもここはSSランクダンジョンなのだ。考えてみれば、最高位のSSSランクでも活躍している配信者とはいえ、彼女がここにいてもおかしくはないではないか。
『みーひめ』の時以来、コラボの予定を入れた覚えはないので、ここでのバッティングは誰一人として意図してして演出ではない。
あまりにも思いがけない、配信者同士のバッティングだ。
すぐに向こうもこちらに気づいたらしい。
「あ」と呟くなり、俺の方へと顔を向けて……口パクで何か伝えてきた。
俺には何を言っているかわからなかったが、花帆が解説してくれる。
「撮影していいですか、ですって。わたし的には嫌ですけど」
「………………うーん……」
やばい。これはやばい。
画面越しにしか見てこなかった相手がすぐそこにいることへの戸惑いもそうだが、それより何より彼女がこのダンジョンにいるということ自体も大変まずい。
だって――せっかくダンジョン踏破したのに財宝を全て横取りされた、花帆との出会いの時の二の舞になる未来しか見えないから。
ダンジョンで他の配信者と鉢合わせた時に取るべき行動は三つ。
一つ、突発コラボ配信する。二つ、構わず突き進む。三つ、引き返す。
突発コラボができれば一番いいが、そううまくいってくれるだろうか? MOEがコラボ配信しているのを、俺は見たことがない。
まさしく一匹狼と呼ぶべき彼女は、お得意の武器と配信器具だけを相棒として過酷なダンジョンを生き抜いてきた強者。俺程度がコラボできるならば他のそこそこ有名な配信者たちもできているはずだ。
協力できないなら今日のところは諦めて引き返すべきか? 幸いというべきかまだ配信していない。
でも、傍の光留を見てやはりダメだと首を振る。ここまで来たのが無駄になるし、光留としては強くなるために頑張っているのだから一日だって無駄にしたくないはず。せっかくの初のSSランクへの挑戦をこんな理由で取りやめるわけにはいかないのだった。
そうなると構わず突き進むしかなくなる。
数少ない超上級者の頂点とも言える相手と、超上級者が一人と上級者が一人おまけ一人の三人組であるこちら。どっこいどっこいどころか、向こうの方が
じゃあどうするべきか。
考えを巡らせた結果、俺が出した結論は――。
『いいですよ』
こちらも口パクで伝えると、MOEはにっこりと微笑んだ。
「えー、カズです。今日はSSランクダンジョンの前に来てまーす」
遠くからおぞましいモンスターの鳴き声がかすかに漏れ聞こえてくる、ダンジョンの入り口。
そちらへカメラを向け、配信を始めた俺だったが、背中におびただしい量の汗をかいていた。
MOEがどんな存在かまるで知らないらしい光留や、知っているのかいないのか澄まし顔の花帆が羨ましくなるくらいの激しい緊張。
だがそれをどうにか押し込めて、なるべく明るい口調で、いつも通りを心がける。
「このまま攻略していく……つもりだったんですが。ついさっき思わぬ大物と遭遇してしまいまして」
「ふふ、大物だなんて大袈裟な。私はただの流れ者ですよ?」
「絶対ただものの風格じゃないでしょう……」
『SSランク!?』
『ひかるたん見にきたのに誰この人。配信聴き始めたら急に別の声がしてびっくりした』
『あっ!!!!!』
『またコラボ配信かと思ったら違うんだな』
『てかこの人まさかw』
『え、、、どーゆーこと?』
『スライムと機械人形だけじゃなく最強配信者ともエンカウントしてて草』
『この綺麗なお姉さん、MOEだよな? な??』
『MOEキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』
『マジかよ』
『突発コラボするの?』とか、『どうやって弱みを握ったんだよw』とかのコメントが次々にやって来る。
それを花帆が横目で呆れたように見て、つまらなそうに呟いた。
「わたしたちのことは皆さんすっかりお忘れなのですね。まあその方がわたしにとっては都合がいいですが」
「MOEさん?って人、そんなにすごいの?」
「超上級者です。わたしほどではありませんよ、きっと」
「へえ〜! 花帆ちゃんと同じくらい強い人がいるんだね……!」
驚いたように言いながら前のめりになる光留。純真な眼差しが眩しい。
きっと共闘を望んでいるのだと思うが、そうはいかない。だって――。
「さて。この方……MOEさんと俺たち、どちらが早くダンジョン踏破を果たせるか、競ってみようということになりました」
『は?』
『無茶すぎだろそれは』
『何も知らなそうなヒカルたん最高にかわええ』
『自分が最強と信じて疑わない姿勢、それでこそ師匠だよ』
『カズやめとけ、相手は超有名配信者だぞ』
『カズはMOE推しなんだよな?』
『実力がわかってなわけではないはず』
そう。推しというほどではないにせよMOEをよく知っている。だからこの手段を選んだ。
ある程度のルールを定めた上で、競争として配信を盛り上げる形ならば俺たちにも勝ち目があるかも知れない――そんな風に俺は思ったのである。
そしてMOEは面白そうだと言って、こちらの提案に乗ってくれた。
きっと少しくらい遊んでも確実に踏破できる自信があるからだろうが、だからこそ、その油断と隙を狙う。
SSランクは、超上級者たちには相応しくても、光留も、ましてや俺などは苦戦を強いられるレベル。
MOEを出し抜く以前に、きちんとモンスターを倒せるのだろうかという不安はあるが……。
「行くぞ」
この時の俺は知らなかった。
覚悟を決めているのは俺だけで、相手はまるで本気ではなかっただなんて。
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