セレナ2
「まかないお願いします」
「あ、はい。任せてください。何にしますか?」
「オニオングラタンスープはできますか?」
「あ、いけます。少々お待ちください」
すっかり客足も落ち着き、オーダーストップが掛かる21時30分。
セレナはキッチンスタッフにまかないを頼み、店内の掃除に掛かった。
客は残り二人だけで、ホールの端の席で静かに話していた。
千春とセレナがファミレスでバイトを初めて、早くも一ヶ月が経つ。
二人が働くファミレスは、店が定めるピークタイムである11時から14時、18時から20時まで勤務していればまかない制度を利用できる。
セレナはいつものように、キッチンスタッフに軽食を注文した。
「
「先輩は昨日作ったでしょ! 今日は僕が作りますよ!」
セレナがまかないを依頼した時は、きまってキッチンの男衆が誰が作るかで争いだす。
掃除用具を片手に、千春は温かい目で男衆の争いを見守っていた。
凛太朗と呼ばれた中肉中背の大学生は、普段は大人しいのにセレナのまかないを作るためならば激しく自己主張する。
千春たちとは別の高校に通う男子と、三十代の中年の男も、見苦しく「じゃんけんで決めよう」だの「くじで決めよう」だの引き下がらない。
全ては、まかないの品を手渡した時の、セレナの「ありがとうございます」のためだけに行われる争い。
全ては、セレナの半径五十センチに合法的に接近するために行われる争い。
セレナは美しすぎる。
美しすぎて、多くの人間に悪影響を及ぼしていた。
何人もの客から連絡先を渡され、ナンパされ、盗撮され、セレナと話したいがために無理くりなクレームをつけられ……皆が彼女に狂わされていた。
クラスでもそうだ。
言語の壁と、千春の存在で遠巻きに眺めることしかできないソフィアと違い、浅上 セレナは手が届く範囲にいる。
セレナの友人である
「千春くんは何か頼まないの? 私が代わりにまかないお願いしてくるよ」
まだ残っている客に気を遣わせないように遠くのテーブルからじっくり掃除していた千春に、ホールスタッフの
蜜姫は近場の
長い黒髪を後ろで大きな三つ編みにしているのが特徴の、素朴な雰囲気の美しい少女である。
ソフィアとかセレナみたいな規格外の化け物が居なければクラスで一番可愛いと言われるくらいには顔立ちが整った女の子で、身長が150そこそこの割に胸がでかい。
威圧感で精神的弱者を跳ね除けるセレナとは真逆の、男性の加虐性を刺激するような空気を纏っているため、よくカスな男性客にちょっかいを出されている不憫な少女である。
「じゃあ、パフェで」
「パフェいっぱい種類あるよ~」
蜜姫は眉尻を下げて、困ったように笑いながら突っ込んだ。
たったそれだけなのに、愛嬌に溢れている。
こういった細かい所作が、男性の独占欲やら加虐性やら庇護欲やらを刺激するのだろう。
「なんでもいいです」
「分かった。後から、これじゃないのが良かったとか言わないでね!」
「言わないっす」
三つ編みを大きく揺らして去っていく蜜姫の後ろ姿を見送り、千春は止まっていた掃除の手を再び動かした。
最後に残っていた客の会計を担当し、食器を下げようとした所で蜜姫が戻って来る。
「千春くん、会計ありがとね。パフェ、私が作っておいたから」
「ありがとうございます」
「後は私がするから、休憩室行っておいで」
「お願いします」
千春は軽く頭を下げると、蜜姫の言葉に甘えてバックヤードに下がった。
カウンターに置かれた豪勢なパフェを手に取って休憩室へと向う。
休憩室では、先に休憩に入っていたセレナが、オニオングラタンスープを静かに食べているところだった。
セレナの対面の椅子を引き、腰を降ろす。
「いただきます」と手を合わせて、パフェに手をつける。
パフェを一口処理した所で、目の前の少女に語り掛ける。
「セレナさん、今週の日曜日バイト終わったらデート行こうよ」
「遠慮しておくわ」
「えー」
今まで何回かセレナをデートに誘ってきた千春だが、そこら辺の男と同様に撃沈していた。
とにかくガードが堅い。
「ナンパから助けたりさ~、クソ客との間に割って入ったり、盗撮止めたりしたんだから、一回ぐらいデートぐらいしてくれてもよくなーい?」
「恩着せがましいわね」
恩に着せる作戦も敢え無く失敗する。
打つ手がない。
「……でも、あなたに恩があるのは確かだから……そうね……前向きに検討しておくわ」
「それ検討しないやつじゃん」
肩を落としながら、パフェの中層部にあるシリアルを咀嚼していく。
会話が終わり、まかないを片づけるのに集中し始めた千春を、密かに盗み見ながらセレナは思案顔をする。
バイトを始めてから一ヶ月。
セレナは、確かに千春に助けてもらったことが何度かあった。
隙だらけの蜜姫と比べて鋭い雰囲気のセレナは、厄介な男性客からあまり絡まれない。
だが、ゼロではない。
彼女の持つ絶対零度の空気を貫通して突撃してくるクソ客は、命知らずなだけあってとにかくしつこかった。
そういった状況の時、真っ先に駆けつけてくれたのは店長でも先輩でもなく、千春だった。
金髪で、ピアスをしていて、目付きが悪くて、おまけに長身の千春がセレナの前に出れば、客はたいてい大人しくなる。
恩着せがましいとは思うけれど、困っていたところを何度も助けられたのに、何も返さないのもセレナ的には問題だ。
女子の三倍くらいのスピードでパフェを平らげていく千春を眺めながら、セレナは密かにため息をつく。
休憩を終えた二人は蜜姫やキッチンスタッフと共に閉店作業に取り掛かり、その日の業務を終えた。
「じゃあ、お先失礼します」
「お疲れさまでした」
「お疲れ~」
まだ残っているキッチンスタッフに軽く挨拶して、千春とセレナは店を後にする。
セレナはデートのお誘いこそ断るものの、千春と肩を並べて帰るのは当たり前のように受け入れていた。
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