君に永遠の純潔を捧ぐ

咲樂

1節 奪われた純潔(物理)

 雨が降り注いでいるのに、身体はひどく熱かった。熱は人が生きている証だ。つまり、私はまだ生きている。

 自分が今どんな状態になっているのかは分からない。いや、分かることが怖い。四肢の感覚なんてとっくになくなっているし、ちゃんとそこについているのかどうか、それを確認する気力も残っていなかった。

「あ……え……あ……」

 助けを呼ばなければ。最後の力を振り絞って、今ここで助けを呼ばなければ。死ぬのは嫌だ。死ぬのは怖い。そう思うようになったのも、騎士としてあまりに多くの死をその目にしすぎたからだ。

 つくづく運がない。そもそも騎士なんて向いていなかったんだ。私はただ、私の信ずる主に仕え、この身も魂も教会に捧げて生きていければ満足だった。


 母親が熱心な信徒だった私は、生まれてこのかた毎日のお祈りも、週末のミサも、1日たりとも欠かしたことはない。物心がついてからはじめて自分の足で教会に向かった時、私はトイレが我慢できずに失禁をしてしまった。恥ずかしさと、申し訳なさと、惨めさと、色んな感情がぐるぐるまわって泣きじゃくることしかできなかった。しかし周りの大人たちはそれを怒るでもなく、やさしく私をあやしてくれて、知らせを受けた神官さまがすぐにバケツと雑巾でもって綺麗にしてくれた。

「恥じることはありません。あなたがこの場所に失禁を致してしまうほどの安心を覚えたのだとしたら、それは主があなたの来訪を歓迎しているからに他ありません」

 神官さまの言葉に、子供心ながらにいたく感動したのを覚えている。その時の温かな笑みが忘れられず、私も笑顔で人を包み込む人間になりたいと願ったのだ。

 慈愛と奉仕。それこそが、始祖の預言者さまが導いた基本にして絶対の教えである。


 朝起きて神前に祈りを捧げては、教会を隅々まで磨き上げる。それから孤児院へ出向き、子供たちに読み書きと算術を教え、一緒に経典を朗読する。日が暮れれば、教会への捧げものの中から痛みはじめた食材を選びスープを仕立てて、僅かな給金で買ったふかふかのパンと一緒にいただく。それから一日の穢れを濡れた布巾で綺麗に落としたら、今日という日の無事を感謝し、穏やかな眠りにつく。

 そんな清く温かな奉仕生活が理想だったけれど、たった今私は、雨と泥にまみれたまま生涯を終えようとしている。


 異端審問官の席を与えられ、教会に仇成す魔女を征伐していた。神に尽くして人を助ける道を選んだはずが、神を軽んじる人の命を奪う任務に就く。その結果が、魔女を追う道中で足を滑らせて崖から転落なんて、業の天秤はうまく釣り合うようにできている。

 きっと、私は生まれながらに大罪を負ってしまっていたのだろう。この世に生まれ落ちたことを主に感謝するなら、そこから生じた咎はすべて私自身の責任だ。

「あ……う……」

 これが最後のチャンス。もうこれ以上はうめき声すら上げることができないのは、私が一番よく分かっていた。

 ガサリ。茂みが揺れたような気がした。

 血の匂いに魅かれた野犬か何かだろうか。何者の役にも立てなかったこの身体だ。腹をすかせた彼らの血肉となれるのなら、それはそれで悪くない最期なのかもしれない。

 そろそろ意識を保つのも辛くなってきた。その身が食われていくのを体感するのは流石に気が引けるので、このまま意識を手放してしまいたい。

 身体の熱を天からの恵みに溶かす。雨は神の祝福だ。雨に抱かれて死ねるのなら、少しは報われたような気がした。

 

 

 

 だというのに、目が覚めた。

 せめてもの聖職者の誉れだったと、良い感じに締めくくろうとした私の人生のセンチメンタルごと、すべて無かったことにして叩き起こされた。

 本当に叩き起こされたわけではないが、気持ちとしてはそういうアレだ。

「ここ……私、生きて……?」

 木製のベッドに横たわったまま、ゆっくりと視線を動かす。ずきり。刺すような痛みが走った。ほんの少し動かすだけで、体中が悲鳴をあげるようだった

 だが痛みがある。熱もある。つまりそれは、私が生きているということだ。身体を痛みに慣らすように、少しずつ可動域を確かめる。

 首、肩。なんとか動かせる。

 腕、足、腰。とても動かせたものではない。

 目、口、嗅覚や聴覚。特に差しさわりはない。

 痛覚。耐えがたい。

 かけられた翠色の布団がいやに重く感じるほど、体力も気力も衰えている。どうやら、見て口を動かす今の私の精一杯のようだった。

「誰か……誰かいないのか……!」

 ベッドに横たわっているということは、少なくともここには人の営みがあって、私を助けてくれた何者かがいると言うことだ。ここはどこなのか。私が意識を失ってからどれほどの時間が経ったのか。助けてくれたことへのお礼もしなければならない。

 窓から差し込む木漏れ日が、水面のようにきらきらと輝いて見えた。部屋の中には大小さまざまな瓶や、そこに詰まった何種類もの干し草。窓辺に吊るされた、まだ干している途中のもの。机の上にはすり鉢と山積みになった書物もある。

 お医者様に拾われたのだろうか。はたまた、心優しいだれかが医者のもとまで運んでくれたのか。となれば私は、これまでの苦労を帳消しにしてもいいくらいに運がいい。

「……あれ、起きたのお?」

 不意に耳元で声が響いた。若い、それでいて艶やかな女性の声だった。かかっていた布団がむくりと起き上がる。いや、布団だと思っていたそれはローブを纏った人間の女性だった。

「ふあああ……ごめんなさあい。汗を拭いてあげようとしたのだけれど、温かくて気持ちよくなっちゃって、そのまま眠っちゃった」

 彼女は、ぼんやりとした眼で私を見下ろして、にへらと笑った。そして布団――と思っていたものが身体から離れて、私は初めて自分が服を着ていないことに気づいた。

「えっ……ああっ……ええっ!?」

 上も下も、大事なところはすっぽんぽん。隠そうにも身体は動かないものだから、ただ羞恥だけが血液と一緒に全身をかけめぐる。

「なんっ……わたっ……何を!?」

「何って……だからあ、身体を拭いてあげようと。だって少し匂うんだもの」

「なああああ!」

 羞恥の上塗りで頭がゆで上がる。何というか……もう……死にたい。

「おまっ……私を神の徒と知ってのことか! すっぱだかにひん剥いて……まさか私の純潔を散らしちゃいないだろうな!?」

「じゅんけつ……? ああ、嬢膜のこと?」

 流石にストレートに言うのは憚られて、咄嗟に言葉を濁してしまう。しかし彼女はそれでも合点がいったのか、ポンと手を打って頷く。

「それならお駄賃代わりに貰っちゃった。あっ、変な意味じゃないわよう。物理的に、素材として必要だったの。レアものなのよねえ。処女の嬢膜」

「なああああああああ!?」

 人畜無害そうな笑みを浮かべながら、この女は今なんといいくさった?

 ひとつだけ確かなのは、私は寝ている間に聖職者としての資格を失ったということだ。

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