35.自分はまだ──

   

 そんな日が五日続いた。

 食堂で待ちぼうけし、あてもなく校内をうろつき、書房で本を読みながらも彼を探し……いや、本を読んでいる間は集中しすぎて周りなど見えていないが。

 とにかくソラはソラなりにプラドを探し回ったのだ。

 けれど一向に彼に出会えない。同学年だけでも千人を超す名門校を前に、ソラはなす術がなかった


 そういえば今まで、自分はどうやってプラドに会っていたのだろう。

 自分は今まで、頻回に彼と話をしていたはずなのだ。

 そう考え、プラドとの思い出を振り返る。

 そのどれもが胸を張った仁王立ちの姿で、ソラに声たかだかに言うのだ。

 やれ技術で最高点を取っただの、やれ参考書より精密な魔法陣を描けただの、とにかく己はソラより優秀なのだと張り合い自慢しに来ていた。


 そうだ、いつもプラドから、ソラに話しかけていたのだ。

 世間話などという穏やかなものでは無かったが、とにかく彼からいつも話しかけてくれていた。


 では、今はなぜ、話しかけてくれないのだろうか。

 もう自分と話したくないのか、会いたくはないのか、必要ではないのか。

 またジワリと、嫌な感情が滲み出てくる。

 様々な意欲を削ぐような、世界から色を奪うような、そんな嫌な感情だ。

 プラドを探して何になるのだろう。彼は自分に会いたがってなどいないのに。


 ソラは、自分の行動にあまり疑問を持った事が無い。やりたいからやる、ただそれだけだったから。

 けれど今は、自分で自分が分からない。なぜこんなにも躍起になって彼を探しているのか。

 無理に会ったところで、また、嫌われるだけなのではないのか。


「……」


 今日も懲りずに校内を歩き回っていた。けれど、プラドを探していたはずの視線は、だんだんと地面に落ちていく。

 学園は今日も賑やかなのに、彼らの笑い声も聞こえてこなくなった。

 そんな時だ。


「メルランダさーん! 今回も素晴らしい成績ですね!」


 明るい声が、ソラに話しかけてきた。

 顔を上げれば二人の女子生徒がキラキラとした尊敬の眼差しを向けている。

 いったい何の話だろうと考えて、彼女らが歩いてきた方に視線を向け、気づく。

 大きな看板に群がる生徒たち。明るい顔もあれば悔しそうな声を上げる生徒もいる。

 登校初日に行われた試験の結果が、どうやら今日発表されたようだ。


「不動の首席! やっぱりすごいです!」


「憧れますぅ! 今度勉強を教えてくださいね!」


「あーずるいー、私も私も!」


 あまり見覚えの無い顔なので、おそらく後輩だろう。

 ソラを置いて二人でキャッキャと盛り上がり、そしてキャッキャと去っていった。

 元気な子たちだな、とぼんやり彼女らが去って行った廊下を眺めて、ふと思う。

 成績が発表されたのだ。

 こんな日は、絶対に黙ってない人物が居た。プラドだ。


 すべての科目の細かな点数まで把握し、ソラとプラドが何点差なのかまで把握してからわざわざソラの前に現れていた。

 その後は何やかんやと偶然負けてしまった言い訳をのべ、次は勝つと宣言するまでが一連の流れだ。

 今なら、今日なら、彼は来るのではないだろうか。

 沈んでいた気持ちが少し上向きになり、期待を込めて皆が集まる場所へソラも向かう。

 そしてそこには──


「プラド……」


 ──案の定、プラドが険しい顔で発表された成績を睨んでいた。


「あっ!」


「ソ……ソラ・メルランダ……っ!」


 ソラがプラドに近づくと、プラドより先に友人達が気づく。

 プラドの友人、トリーとマーキはギクリといったような顔をする。

 そして二人の声でソラの存在に気づいたプラドは、少し目を見開いた後に、また眉間にシワを寄せた。


「えっ、あ、プラドさん!?」


「お前らも来るな!」


「は、はいぃっ」


 ソラを確認したとたん、背中を向け歩き出してしまったプラド。

 トリーとマーキも慌てて付いていこうとしたが、険しい声で来るなと言う。

 プラドの指示に従い直立不動で立ち止まった二人を抜いて、ソラはプラドを追いかけた。


 プラドは“お前らも”と言った。つまり、ソラにも来るなという意味だ。

 それを理解していたが、どうしても追いかけずにはいられなかった。

 プラドは大股で逃げるようにソラから遠ざかろうとする。逃がすわけにはいかない。今、このチャンスを逃したら、次はいつ会えるのか。


「プラド……っ」


 人だかりから離れ、廊下を抜け、ほとんど誰も使わない階段の踊り場まで来て、プラドはやっと立ち止まった。

 足を止めてくれたプラドに安堵し、ソラは手を伸ばそうとした。

 しかし、その手を振り払うように避けられ、暗い瞳が一瞬だけソラを写した。その視線はすぐにそらされる。


「プラ──」


「──お前も馬鹿にしに来たのかよ」


「……馬鹿に?」


 プラドより一段低い位置にいるソラは、プラドと同じ場所まで上がろうとして、足が止まる。

 こちらを見もしないプラドの瞳が、ソラを止めた。

 拒絶されている。

 ソラでも息を呑むほど、暗い瞳がすべてを拒絶する。

 久しぶりに聞いたプラドの声は、ソラには分からない話をする。

 いったい何の事なのか、そしてなぜそこまでソラを避けるのか。

 知りたい。知らなければならない。


「プラド、少し話がしたい……」


 意図せず、声が震えた。それでも言わなければと声を出した。

 言わなければ、話をしなければ、行動しなければ、何も変わらない。

 けれど、ソラの懸命な願いは、やはりプラドによって断ち切られた。


「俺はメルランダと話す事なんかない」


「だが──」


「しつこいっ!」


「……っ」


 鋭い怒声に、ソラは声をつまらせる。

 するとプラドも、わずかに顔を歪ませ、さらにソラから視線を逃した。


「……もうほっとけ。どうせお前は俺のことなんて……──」


 唸るように、プラドの口からこぼれる。

 うつむいたまま、悔しそうに、でもどこか悲しそうに。

 プラドの足が、再びソラから背を向け歩き出す。

 しかしもう、ソラは追えなかった。ここまで拒絶されて、どうして追えようか。

 ポツリと一人残されたたずむ。

 どれだけそうしていただろう。

 帰ろう、とにかく部屋に帰らなければ。

 そう本能が告げてふらふらと足を動かした。

 もと来た道を戻り、成績が発表された場所にまで来たが、もう人だかりは無く見ている生徒もまばらだ。

 ふと、ソラは看板を見上げた。

 そこには、一番上に自身の名前が書かれている。

 そして下には、プラドの名は無かった。


「……え」


 目を見開きもう一度見ても、やはり他生徒の名前がある。プラドの名は、そこから更に二つ落ちた場所。


「……」


 今まで成績発表の看板をまじまじと見た事など無い。

 しかしプラドはいつも、あと少しで首席なのだと息巻いていた。

 それが、なぜあんな場所に居るのか。


 しばらく眺めて、しかしやはり自分には分からなくて、またふらりと足を進めた。

 私室に戻り、ローブを脱いで机に向かう。

 ソラが一番心落ち着く場所。ここに来れば、何も考えずに魔術に集中できるから。

 しかしレンガのように重い参考書を開いても、大好きな文字が一つも入ってこない。


「……」


 ソラは黙って参考書を閉じ、バッグを漁って本を取り出す。

 それは自宅から持ってきた、自慢の魔術書だ。

 プラドにも自慢した、いつも夢中になって読みふける珍しい魔術の本。

 両親の残した、大切な大切な本。いつもソラを救ってくれる心の安定剤。

 なのに、なぜだろうか。

 やはり本の内容が頭に入ってこない。

 かわりに浮かぶのは、あの日、王都でプラドと自慢しあった、どれだけ珍しい魔術書があるか競い合った、賑やかな記憶。


「……」


 楽しかった。あんなにはしゃいだのは初めてだった。

 大切な本の価値を分かってくれた。深い魔術の話にも乗ってくれた。同じだけの熱量を返してくれた。

 初めてだった。あんなに楽しかったのも、時を忘れるほど語ったのも。

 プラドと居ると楽しかった。

 プラドの姿を思いながら、ソラは思う。考えてみれば、プラドに壁を感じた事はない。

 なんだか怒られる事は多々あるが、ふんぞり返って真っ直ぐ向き合う彼は、壁も住む世界の違いも感じなかった。

 けれど最後に見たプラドからは、途方もない距離を感じて、怖くなった。


 ねぇプラド、なぜ目を合わせない?


「……っ」


 やはり話がしたい。怒られても、叱られても良いから、プラドと話がしたいのだ。

 “当たって砕けろ”

 なるほど、それほどの精神が必要だ。

 たとえ嫌悪されようと、もう一度だけでも、向き合って話し合いたい。

 迷惑だろうか? 自己中心的な考えだろうか?

 それでも、どうにもキミとの関係を諦められない。


 “当たって砕けろ”


 自分はまだ、砕けていない。


 

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