第5話 営業車

今日はいよいよ訪問だった。

先方の自宅は、車で1時間のところにあった。

2人で営業車に乗り込み、出発した。



車の中で、望月はネクタイを緩めた。

よっぽどネクタイが嫌いなんだろう。


バーで話を聞いてからは、課長と望月を見ても、勝手に慌てることは無くなった。

事情を知らずに悶々とするよりは、知って「そういうこともあるよね」と思えた方が楽なんだろう。



「早坂さんは、訪問は緊張しますか?」


「自分は、割と訪問でおしゃべりするのが好きなんで、緊張はしないですね。」


「羨ましい。俺は緊張します。」


「意外ですね。」


「用件だけならいいんですが。性格が単刀直入なんで。その後の信頼関係を決める、初めての訪問は正直苦手です。」


バーでの会話も単刀直入だった。

まさに心臓をひと突きだ。



「どうしたら早坂さんみたいに、おしゃべりが上手になりますかね?」


「別に私も上手なわけでは…。強いていえば、相手に興味を持つ…くらいですかね。」


「たとえば?」


「まあ、ご自宅には色々思い入れのあるものも多いでしょうし、そこきっかけで話をしますかね。やっぱり、あちらが気分良く話せる話題がいいと思うので。まあ、基本的なことですが…。」


「相手に興味を持つのは大事ですよね。俺は、相手の事情にしか興味がなくて。有効な提案だからあちらも食いついてくれますが、いわゆる愛される営業マンではないです。俺が逆の立場だったら、俺みたいな営業には来てほしくないですね。」


意外だった。



「お客さんからは信頼されてると思いますけど…。」


「資料の上ではね。接待ゴルフとか、あるじゃないですか。ああいうの、無理なんです。『なんとなくいい感じ』の会話ができなくて。」


確かに、望月が愛想笑いやよいしょをしているのは想像がつかない。



「だから、俺は出来る限り『奥様』と仲良くするようにしてるんです。」


なるほど。

意外と決定権自体は奥さんが握っていることが多い。

望月のミステリアスな雰囲気と容姿は、相手が女性ならアリだろう。



「別に、寝とってるわけじゃないですよ。」


「思ってませんよ、そんなこと。」


「もしかして誰とでも寝るような奴だと思われてるかな、と思って。」


「思ってないです。」


「なら、よかった。まあ、話は戻りますが、奥様世代からすれば、俺くらいの歳は息子と同じくらいだし、多少上手くなくても、あちらが汲み取ってくれることが多いんです。奥様に気に入られれば、フォローしてくれるので。」


トップセールスマンでも悩みがあり、そんな対策をしているのかと感心した。



「早坂さんには無用の長物ですけどね。」


こんな風に望月と長々と話すことは初めてだった。



「そろそろ着きますね。終わったら、お昼はちょっと付き合ってくれませんか。帰り道に、行ってみたいお店があるんです。」


外回り営業は、こういうちょっとした楽しみもある。

もちろん、寄ることにした。


望月はネクタイを締め直した。

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