うらぶれた画家が描く幻想奇譚

ぶり。てぃっしゅ。

第1話

「これ、竜の絵ですか?」


額縁に飾られた絵を見て、女性客が私に話しかけてきた。あまり絵の解説はやらないが、求められれば答えるのも画家の努めだろう。


「そうです。ファンタジーの絵本をお願いされた時に書いたものです」

「えー!絵本ですかぁ?何てタイトルです?」


 一瞬この絵のタイトルなのか、絵本のタイトルなのか、迷ったが絵本のタイトルを答える。


「え!?あの絵本の絵を書かれていたんですか?」


 私が手掛けた絵本は、それなりに世に知れ渡っている。だが、絵本自体は有名であってもそれを書いている作者達には中々目を向けてもらえないのが実情だ。現に目の前の彼女も絵本は知っていても作者達までは知らなかったのだから。彼女はらんらんとした眼差しで私の書いた絵を見ている。


 縦80センチ、横120センチのカンバスに草原から翼竜を見上げる少年と少女を描いた私の代表作の一つを。


 私は微笑みを一つなげると、今回の個展における自身の定位置へと戻った。


 本来だったら、個展に顔を出すことは無いのだが、今日は最終日。休日とあっていつもよりかは人の入りが良い。人の入りが良いと言っても、大きな美術館とは違い、一日数十人ぐらいでも人入りが良いと言える。


 寒空の下、私なんぞの個展に来てくれた人々に感謝し、帰り際お礼を言って見送る。


 最後のお客さんを見送ってから、私はアトリエ内に入り携帯電話を取り出し、ある人物へ電話をかける。


 電話の相手はこのアトリエの持ち主である、吉田健太郎である。


「もしもし」

「あ。斎藤です」


 斎藤は私の名前だ。下の名前を翔太という。太く翔べるようにと今は亡き両親がつけてくれた名前だ。


「お。斎藤さん。終わったか?」


 スマホからは野太い声がする。


「あ、はい。終わりました」

「じゃあ、そっちに行くから…」


 吉田さんはそういうと一方的に通話を切った。

 私は、再び自身の定位置の椅子に腰かけ、展示されている絵たちを眺めた。

私は絵画を生業としていた。絵画を売ってそれで生計を立てている。

だが、それらは大量に売れるというわけではないから、私の財布はいつもさみしい限りだった。


 ぼんやりと今回の個展の見どころの一つである竜の絵を眺めた。初めて絵本の絵を担当させてもらえるとあって心を込めて描き上げたもので、私の名前を知らずともこの絵は知っていると言ってもらえる代表的な作品となった。


 はぁ、とため息が出る。この絵がどんなに頑張って有名になってくれても、私の仕事は増えることは無かった。あくまで必要とされているのはこの絵であって、私ではないということなのだ。


 ガラガラと引き戸の音がした。このアトリエの入り口の扉だ。視線を上げると、そこには先程の電話の相手、吉田さんがいた。


 剃り上げて髪の毛一本も無い頭に、洋服の上からでも分かるほどの筋肉の盛り上がり、その体にエプロン、という奇抜なファッションの中年、いや、もう初老と呼べる歳だったと思うが、それが吉田さんだ。


「どうだった?」


 フレンドリーに話しかけてくる。十年来の付き合いだ。


「まあまあでしたよ」


 十年来の付き合いでも私から敬語が取れることはない。


「よかったな」

「ありがとうございました。場所を貸していただいて」


 私は立ち上がり深々と一礼した。


「よせよ。今更だろうが」


 吉田さんは照れ臭そうに鼻で笑った。

 しかし、私からすると無料で場所提供してもらえるというのは何よりも有り難いことで、礼を言って然るべきことである。


「ほら顔を上げろ」


 促されて私は顔を上げた。このやりとりは毎度行っている。個展の最終日に行う儀式の様なものになってしまった。


「お前が有名になってくれれば、俺もあの『斎藤翔太』に場所を提供してたんだぞって威張れる。子供たちも喜ぶ」


 ここでの子供達とは、吉田さんの子供ではなく、吉田さんの美術教室に来ている子供達のことだ。

 彼は美術教室の月謝で生活している。


「なれるといいんですけどね……」


 願望はあっても中々思う通りにはならない。大学時代に同じ志を持った友人達と切磋琢磨していたが、そんな彼らは既に筆を折り、サラリーマンの道を選んで、結婚し、子供が産まれ、管理職になり、それなりの苦労をしながら、人生を謳歌しているようだ。


 私は、未だに結婚もせず、好きな時に絵を書いて、好きな時に酒を呑んで、画家といえば聞こえはいいが、実態は俗に底辺といわれる人種である。


 時折ぶらりと街へ出て、街行く人の似顔絵を描いて日銭を稼ぐ事もあった。

 そんな私を見かねてか、吉田さんが教室を手伝ってくれと言ってくれることもあったが、人に教えることが壊滅的に下手である私には荷が重く、断っていた。


「ま、気長に行こう」


 気長……ね。もう悠長に構えている時間は正直、私には無かった。もちろん、吉田さんは私を慮ってそう言ってくれているのは伝わってくる。

 私も彼も悠長な時間は残されていないのは理解していた。ただ私はそんな現実から目を背け、吉田さんはそれに付き合ってくれているだけだ。

 私はここが会話の一段落だとみて、話題を変えた。


「明日、ここは片付けます。いいですか?それで」

「ああ。いいよ。次の教室は来週だからな」


 今日はもう、陽が傾き外は暗くなっていた。都内は陽が落ちるのが早い。


「じゃあ、出ます」

「おう。何もねえとは思うが一応一通り見て、鍵閉めとく」

「お願いします」


 私はまたもや深々と頭を下げ、アトリエを後にしようとした時、

「斎藤さん、たまには今度、呑みに行こう」

と照れ臭そうに言った。


 私も照れ臭くて、はにかんだ笑顔で、「よろこんで」と言って、アトリエを出た。

 商店街の一角にアトリエはあった。商店街は未だに人で賑わっていた。夕食の時間が近づいているためだろう、多くの人が袋を携え行き交っている。


「寒っ」


 私は外の寒さに思わずブルリと身を震わせた。今迄温かい部屋でぬくぬくと横着をしたせいで、外の気温が身に染みる。もう、中年の終わりに入ろうとする身体には応える気温だ。


 近所のスーパーに顔を出す。私が真っ先に行く所はカップラーメンのコーナーだ。

 比較的安いカップラーメンを一つ手に取ると、次に惣菜コーナーへと足を運ぶ。惣菜コーナーでは消費期限が近づき、安くなっている物が無いか確認する。

 時間が時間な為、まだ安くなっている惣菜は無かった。


「もう少ししたら安くなるな」


 そう独り言ちて、店内をブラブラすることにした。缶詰コーナーを物色、しばらく見た後、サンマの缶詰を手に取る。次は、お酒のコーナー。本来お酒のコーナーは見るだけだが、今日は個展がそれなりに盛況に終わった事を記念してビールを手に取った。私が好きなビールは少々値が貼るが、個展での身の入があるため奮発する。 普段は発泡酒で誤魔化している。


 今日は特別だ。

 そろそろ割引シールが貼られているだろうと再び惣菜コーナーへと戻る。案の定、全ての品に割引シールが貼られていた。


 美味しそうなものを一つ手に取り、私はレジへと向かった。品物をレジに出す。細い指が商品を取り上げたので、顔をあげるとレジ打ちのバイトの娘と目があった。

彼女は優しく微笑んで、慣れた手付きでレジ作業をする。


 意識していないのだが、いつも同じレジ打ちの子にあたってしまう。

 ほぼ毎日顔を合わせているせいで少々恥ずかしい。

私も結婚していたら、このぐらいの歳の娘がいたかもしれないと思うとその恥ずかしさに更に暗澹たる何かが、ない混ぜになり、私の存在を矮小化させる。


 私というカンバスは、必要以上に黒と赤を塗りたくったとても芸術とは呼べない代物になっていく。


「ビニール袋……必要ですよね?2円になります」


 そんな私とは対象的ににこやかな、それこそスカイブルーが似合いそうな笑顔で彼女はそう言った。


「あ、はい」


不意を突かれた私は、促されるままに頷いた。

一体自分は何をしているのだろうか、そういう後ろ暗い気持ちで、彼女からビニール袋を受け取り、店を後にした。


 そこから10分ほど歩くと私の家へと辿り着く。死んだ両親が残してくれたそこそこに大きな一軒家。家族で住むには丁度いい大きさだったが、独り身の私には途轍もなく広い屋敷のようである。


 門扉を開くと、キィと寂しい声を上げた。庭に入ると私は丁寧に音がならないように門扉を閉めた。その丁寧な動作は門扉の為でもあったし、私自身の為でもあった。

玄関まで続くアプローチを通る。その道中は枯れた木々が出迎えてくれる。昔は母が手入れをしていた花達。今はもう誰も手入れしないためか、イジケて花を咲かせなくなってしまった。母には申し訳ないと思いつつも手入れをすることは無かった。


 玄関ドアに鍵を差し込み開け放つ。誰もいない家からはヒンヤリとした暗い影を伴った風が吹いた。外よりも家の中の方が寒く感じる。外にはまだ人々の温もりが残存しているからだと結論づけ、私は中へと入った。

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