六章 ムーンレット

001 白日の下

 月光に照らされながら、和歌はハイツ針姫の外階段を上る。

 一歩踏み占める度に軋んだ音が上がる。この音を聞く度に惨めな気持ちになる――三年前までは、こんなボロアパートとは無縁の暮らしをしていた。針姫山の麓にある広々とした屋敷で、次期当主として宝物のように扱われていた。食事も、今下げているビニール袋の中のコンビニ弁当とは比較にならいくらい温かく豪勢な物を口にしていた。

 そんな暮らしを崩壊させたのは一枚の紙切れに書かれた一文である――和歌と自分の容姿が少しも似ていない事に疑念を抱いた父に受けさせられたDNA検査の結果を記したその紙には、『被験者同氏は生物学的親子関係にない』と書かれていた。

 検査結果を眼にした父は激高し、あろうことか針姫家の本家と分家の代表者が集う総会で公表した。その結果、和歌は『次期当主』の権利を剝奪された――それだけでは留まらず、まるで針姫家の汚点と言わんばかりに棄てられた。

 一四歳の少女には到底受け入れられない屈辱であった。

 恨みの炎は今も心の中で燃え盛っている。

 しかし――それももうすぐお終いだ。

 計画さえ成功すれば、屋敷に帰られる。

 分家の連中を皆殺しに出来る。

 父の腸を引き摺りだせる。

 もう少しの辛抱だ。


「和歌」


 突然の声に――アパートの二階の自室のドアに手を掛けた和歌は振り向くと、そこには見慣れない恰好をした友人が立っていた。

 ここに居ない筈の友人。

 幽霊になってしまった友人。

 しまった――そう思った頃には遅かった。


「僕が見えるんだね」

「しくじったぜ。私はお前が見えないって設定だったな」

「やっぱり僕に嘘をついていたんだね」

「いつ気付いた?」

「仮説として心の中にあったけど――確信に変わったのは今だ」

「やられたぜ。氷太朗に謀られるなんて夢にも思わなかった。……立ち話もなんだ。部屋に這入れよ。メトロン星人とモロボシ・ダンみたいに卓袱台挟んで話そうぜ」


 和歌はドアを開けて部屋に這入り、持っていたコンビニ弁当を袋ごと冷蔵庫に入れた。その間に、氷太朗も部屋に這入り、腰に差していた刀を抜いてから卓袱台の前に座った。

 遅れてやってきた和歌はその正面に腰を下ろす。


「それが顕明連ケンミョウレンか?」


 それ、とは氷太朗が隣に置いた太刀の事である。

 氷太朗は頷く。


「そうかい。存外普通な見た目をしているな――それをお前が持ってるってことは、氷華さんはしくじったのか?」

「ああ。僕の手で殺した」

「そっか。つらい事をさせたな」

「詫びるのはそれだけか?」

「いや、色々と詫びないといけないのはわかってる。わかってるけど――その前に、どうして私が裏で糸を引いてるってわかったのか、聞かせてくれ」

「姉ちゃんが単独犯じゃないって気付いたのは、姉ちゃんが酒月邸を襲撃した時の事だ」


 蔵から出て来た氷太朗は屋敷の惨状をみて、氷華がやったのか問うた。それに対して、氷華は激高したかと思うと、その場で蹲って「それ……辞めてよ……!」と言った。氷太朗はその姿に見覚えがあった。


「針姫から仕事が来るときは、テレパシーみたいな妖術を使って伝達されると以前姉ちゃんが言っていた。その感覚が気持ち悪くて嫌いだとも。――あの蹲った姉ちゃんを見て、すぐにその妖術を受けたんだってわかった。そして、あのタイミングでその妖術を使用するのは、共犯者しかいないと思った」

「なるほどな。でも、それだけか?」

「ううん、他にもあるよ――常夜で姉ちゃんと戦った時、姉ちゃんは僕に対して加減をしていた。反撃や迎撃はするけど、致命傷となる攻撃は絶対にしなかった。基本的に姉ちゃんは僕を傷付けたくなかったんだ。そんな人が、常夜に偵察へ行かせるためだけに、僕の魂を身体から引き剥がし、その身体を殺戮マシンに改造するかな?」

「凄い信頼だな。するかもよ? 相当切羽詰まってたようだし」

「いや、しないね。僕を利用する計画すら立てない筈だ」

「なるほどな。それで、裏に立案者が居るって結論に辿り着いたワケか。――他には?」

「僕が魂を引き剥がされた時、僕があの道を辿って帰る事を知ってたのは和歌だけだ。姉ちゃんは和歌と遊ぶ事も、あの時間に解散する事も知らない」

「確かに。あの日会ったのは突発的に決まったスケジュールだもんな」


 納得してから、和歌は「まだあるか?」と尋ねた。


「うん、あるよ――計画の首謀者は常夜の存在を知っていた。針姫と一握りの政府関係者しか『常夜』の存在は知らない筈なのに」

「私も知らないかもよ?」

「酒月さんがハイツ針姫に初めて来た時、和歌に『常夜を知っているか』という訊き、君は『知ってる』と答えたらしいじゃないか」

「そうだったな」


 和歌はポリポリと頭を掻く。

 自分では完璧に振る舞っていたつもりだったが――随分と抜けがあるようだ。


「和歌が首謀者と仮定すると、全ての辻褄が合うんだ」


 いや、全てではない。一つだけ、仮定を邪魔する情報があった――和歌の才能だ。和歌には才能がないので、妖術も使えないし、妖怪や幽霊も見えない筈なのだ。

 この情報が、和歌と首謀者を結びつく邪魔になったいた。逆に言うと、この情報さえなければ和歌と首謀者は綺麗に結びつく。


「よく直接確かめようと思ったな。以前の氷太朗だったら、頭の中でグルグルと考えるばかりで、絶対に確かめてなかっただろ?」

「まぁね――それで、僕の推理はどうかな?」

「当たりだよ。大当たりだ。完全に負けたよ」


 和歌は大げさに両手を広げた。まるで降参をするように。


「お前の言う通り、計画を立案したのは私だ」

「いつから企んでいたの?」

「一年くらい前に、アパートで氷華さんがお前を蹴りながら『顕明連ケンミョウレンさえあれば』って言ってたのが聞こえたのが始まりだな」


 後日、和歌は氷太朗に『顕明連ケンミョウレンとは何か』と尋ねた。勿論ストレートに訊いたわけではない。さりげなく、雑談に交えながら、だ。氷太朗は嫌な顔一つせず、顕明連ケンミョウレンとはかつて坂之上家が所有していた宝剣である事を教えてくれた。現在は行方不明であるという情報を添えて。

 いつもなら、「ふぅん」で終わっていただろう。だが、その頃から氷太朗に頻繁に夕食をご馳走になっており、いつかその恩に報いたいと思っていた和歌はこれを好機と捉え――顕明連ケンミョウレンの在り処を探すべく、奔走した。


「実は針姫家の地下図書館に忍び込んだりもしたんだぜ?」

「そんな事……全然知らなかった」

「必死こいて探す姿なんて見られたくなかったから隠してたんだ。気付かなくて当然だ」

「……それで常夜に辿り着いたの?」

「いいや。成果は無かった――どれだけで探しても、顕明連ケンミョウレンは見つけられなかった。でも、顕明連ケンミョウレンの所有者である坂之上小輪が酒月魅月と共に、朝廷からの勅命を受けて宝物庫を造ったという記述は見つけた」


 和歌はすぐに『酒月魅月が作った宝物庫』とは、酒月家が管理している『常夜』という存在の事だと気が付いた。同時に、その常夜に小輪が顕明連ケンミョウレンを隠したと直感した。

 ここで和歌に悪魔が囁いた。

 常夜にある宝物を針姫家に献上すれば、その功績が認められ、次期当主の座に戻れるのではないか、と。

 和歌は常夜の事を徹底的に調べ上げ、その日の内に計画を立てた――霊が吸い寄せられる常世の性質を利用して位置を特定し、攻め込み、宝物を略奪する計画を。


「この計画を成功させるには高レベルな妖術の技術と、膨大な量の妖力と、強大な戦力が必要だった」

「そこで、姉ちゃんに声をかけたのか」

「ああ。利害の一致ってヤツだ」

「姉ちゃんは乗って来たの?」

「勿論。ノリノリだったぜ。ただ、それも、最初だけだったけどな」


 氷華の態度が一変したのは、位置を特定するには一般人の霊では力不足で、高い妖力を有する霊を利用しないとならないと判明したタイミングだ――いや、違う――高い妖力を有する霊は氷太朗しかいないと和歌が提言してからだ。


「お前を利用するって言ったら、あの女、一気に萎えやがった。弟を危険に巻き込むのは論外だってさ。あともう少しで常夜の位置がわかるって言うのに」

「だから――計画を進めるのに、君が手ずから僕の魂を肉体から引き剥がしたの?」

「ああ。霊にGPSを埋め込む術は傍で見ていて知っていたからな。もっとも、その術が不完全だったせいで、お前が常夜に這入った瞬間ロストしちまったんだけど」

「僕を手に掛けた事を姉ちゃんに言ったの?」

「勿論。最初はブチギレてたけど、後には引けないと言ったら、計画を前に進める決意を固めてくれたよ。……あ、いや、お前の位置情報が掴めなくなった後もちょっとゴネてたな」

「どうして?」

「私が残った肉体をハクに改造して、魂が辿った痕跡を追跡させるよう提案したからだ――そんなことをしたら、氷太朗の魂を回収した後に肉体に戻せなくなるって」

「だろうね……。よく黙らせられたね」

「ゴネるだろうと思って、魂を剥がした時点でハクに改造しといたんだよ」

「随分手際が良いんだね」

「まぁな」

「抵抗はなかったの?」

「お前を改造する事に、か? 無かったね――お前の事は大好きだし、恩も沢山ある。良い奴だから幸せになって欲しいとも思ってた。でも、私の野望と天秤にかける程じゃない」

「そっか………」


 知らなかった。

 あんなにも近くに居たのに、こんなにも重く黒い野望を抱いていたなんて。


「姉ちゃんに酒月邸を襲わせたのも、和歌の指示?」

「ああ。ハクが酒月邸に這入りたがっていたからな――陽動も兼ねて、襲撃させた。本当はあんなに壊す予定は無かったんだけどな。氷華さんは力加減ってモンを知らねェ」

「という事は、姉ちゃんに撤退を命じたのは、屋敷を壊し過ぎたから?」

「いんや。お前が目の前に現れて、氷華さんがこれ以上なく動揺してたから退かせたんだ――あれだけ動揺してたら成功するモンも失敗するぜ。もっとも、あの時点で失敗してたのは私の方だったってワケだけ――あ。言い訳するつもりはないが、実は、全てが終わったらお前は元通りにしようと思ってたんだぜ」


 和歌は厭味ったらしく笑う。

 氷太朗は「そう」と一蹴し、話を進めた。


「じゃあ、姉ちゃんが一人で常夜に攻め込んだのは、和歌にとっても想定外だっただね」

「想定外どころか、お前がここに来るまで知らなかった。何の報告も相談もなかったからな。大方、ハクの信号が途絶えて気が動転したんだろ。まったく、お前ら姉弟は私の予定を滅茶苦茶にするのが好きだな。――訊きたいのは、それだけか?」

「いや、まだある」


 どうしても解せない点が、二つ残ってる。


「何故、計画実行にあの日を選んだんだ?」

「深い理由はないよ。別にいつでもよかった――でも、そうだな。強いて理由を挙げるなら、酒月さんと接触する口実になるからだ」


 常夜を酒月家の誰かが管理している事は容易に想像できた。計画を進める上で酒月家と戦う事になることも容易に想像できた。つまり、酒月家はこの計画における『敵』なのである。

 敵と接点を持ち、動向を探る事は作戦の成功率を一気に上げる。

 行方不明となった氷太朗を探すというシチュエーションは敵と接点を持つには打ってつけだと判断したから――あの日実行した。


「で? もう一つの疑問ってのは?」

「僕と君が初めて出会った時――どうして『自分には才能が無い』って言ったんだ? まさか、あの頃から計画を企ててたのか?」

「言っただろ? 計画を思いついたのは一年前だって。出会った頃は、そんなこと考えちゃいなかったよ」

「じゃあどうしてあんな事を――」

「お前と仲良くなりたかったからよ」


 他人と仲良くなるには親近感が必要だ。氷太朗に近付く場合、彼と同じく『妖術遣いの家系に生まれたが才能が無かったせいで疎外されている』という要素が親近感に繋がる――そう思ったから、和歌は嘘をついたのだ。それ以上の理由はない。


「訊きたい事は以上か?」

「うん。もう他にないよ」

「そりゃ重畳。じゃあ、私のターンだな――これから私はどうなる?」


 和歌はそう問うた。

 氷太朗は表情一つ変えずに答えた。


「君の罪は現世の法では裁けない。でも、常夜の法では裁ける。だから君を常夜に連れて行って、裁判にかけて、罪を償わせる」

「どうせ死刑だろ?」

「それは常夜の司法が決める」

「なんだかお役所的だな。常世っていうのは、もっと原始的な世界だと思ってたぜ――手錠とかもあるのか?」

「いや、持ってきてないよ」

「そっか。信用されてるんだな」

「まぁね。変な動きをしたら蹴るけど」

「しねェよ」


 そう言うと、和歌は「じゃあ行くか」と立ち上がった。その動作は、まるでドラッグストアに買い物に出かけるように軽い。けれども、そこから先は、進まなかった。

 突っ立ったまま、動かない。


「どうしたの?」

「謝っても許されない事だとはわかってるんだけど、謝らせてくれ」


 言って、和歌は深々と頭を下げた。


「本当に悪かった――ごめん」

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