008 残滓

 一気に静まり返った戦場に、咳が響く。氷華の手から解放され美夜の咳だ。

 氷太朗はゆっくりとした歩調で歩み寄り、彼女の背中を摩った。


「大丈夫?」

「うん。それよりも――」


 美夜は見る。傍で倒れている氷華を、ではない。少し離れた位置で、首を剣に貫かれている氷華の影を。


「殺したんだね」

「うん。これしか方法が浮かばなくって……」

「ごめん。私が捕まらなければ……」

「ううん。酒月さんのせいじゃないよ」


 言って、氷太朗は目を伏せた。


「姉ちゃんは、他人から何かを奪ったり、殺したりする選択しか出来ない人間になってしまった。野放しにしていたら、もっと多くの人の命を奪っていただろう……」


 それを止めるためには、やはり、殺すしかない。

 殺して、止めるしかない。

 遅かれ早かれこうなっていただろう。


「これが終わったら、きちんと弔おうと思う」

「……。私も手伝うよ……」

「ありがとう……」


 礼を言ってから、氷太朗は立ち上がった。

 そして、周囲を見渡す。

 氷華が死んだにも関わらず、妖たちは依然健在――影たちと戦い続けている。

 この妖たちを殲滅しない限り、完全勝利はない。


「僕も加勢する。酒月さんはここに居て」

「待って。その前に――左腕を治す」


 美夜は氷太朗の左腕に両手を添えて、小さく何かを呟くと、左腕が赤い光に包まれ――痛みや痺れが完全に消えた。治ったのだ。


「凄い治癒妖術だね。いや、時間を巻き戻してるの?」

「そう。凄い、よくわかったね」

「僕も妖術の勉強をしていたからね」


 もっとも、才能がなかったので発動には至らなかったが。


「手当は適当でいいよ。どうせすぐにあの世に行くんだから」

「関係無いよ。手当はきちんとしないとダメ」

「………」


 ありがとう――そう言おうとした時である。何かに気付いた氷太朗は美夜を抱き上げると、神足通で跳んだ。出来るだけ遠くに。出来るだけ速く。

 一瞬にして二〇メートルくらい移動した氷太朗は美夜を下ろして、氷華の方向を見た。つられて、美夜も其方の方に視線をやる。


「うそ……」


 美夜は思わず呟いた。

 血だまりの上で倒れている氷華の傍に、一人の妖が立っていた。山伏のような服装に、背中からは大きな黒い翼を持つ妖が。

 一見すると、ただの烏天狗のようだ。

 しかし、よく見ると――違う。

 顔が坂之上氷華なのだ。


「二人目の坂之上氷華……⁉」

「何を言うの。坂之上氷華はこの世にただ一人、私だけよ」


 背中に翼を背負った氷華は言った。


「氷太朗から受けた致命傷により身体が限界を迎えたから、そこにいた烏天狗に乗り換えたのよ」

「乗り換えたって……」


 肉体を棄て、乗り換えられる存在など一つしかない。

 霊だ。


「そうよ。霊になれば、人は妖力と才能が増すの。貴女も知ってるでしょ?」

「まさか、自ら……⁉」

「いいえ。力に固執して自殺なんて馬鹿な真似はしないわ。霊になったのは偶然よ――一か月前に仕事をしくじって死んでしまったら、何故かあの世に行かず、怨霊になっていたの」

「な……ッ⁉」


 驚く美夜。

 そんな彼女を他所に、氷華は嬉々として続けた。


「怨霊だなんて最初は不便で仕方が無かったのだけれども、取り憑く術さえ身に付けてしまえば、これ以上なく便利な存在ね。だって、ダメになった肉体を捨てて新しい肉体に乗り換えれば、永遠に生きることが出来るのだから」

「そんな……」

「さぁ――第二ラウンドを始めましょうか」


 微笑む氷華。

 明らかに動揺している美夜。

 氷太朗はと言うと――とても静かな佇まいであった。何故なら、心のどこかにあった『疑念』が『確信』に変わったからだ。

 眠らなくなった事も、食事を摂らなくなった事も、傷に顔を歪めなくなった事も、致命傷にも関わらず動き続けられるようになった事も――全て、死を超越したからこその現象だったのだ。

 何故そこまでして現世にしがみ付いていたのか。

 それも氷太朗はすぐに解った。

 そして、自分が何をすべきかも――


「酒月さん」


 氷太朗は小さな声で言った。


「剣を沢山創ることは出来る?」

「え? う、うん。その辺に転がっている刀の影を具現化すればいくらでも作れるけど……」

「あれも創れる?」


 氷太朗が指したのは、先程美夜を襲った不動明王が持っていた三鈷剣だ。

 美夜は彼がやろうとしている事を瞬時に察した。


「創れるよ。縮小も出来るから、氷太朗くんが持てるサイズにまで小さくすることも出来る」

「わかった。じゃあ――お願い」

「了解」


 美夜は両掌を合わせると――どこからともなく刀が降ってて、氷太朗の周囲に刺さった。その数三〇本。日本刀から両刃の剣まで多種多様だ。勿論、その中には全長一メートルにまで縮小された三鈷剣もある。

 三鈷剣は、先述したように、魔と煩悩を切り裂く能力がある。恨みや憎しみ、そして未練が原動力となっている怨霊にとって、まさに天敵と言える剣だ。もっとも、それは理論上の話だ。本当に有効か否かは、試してみないとわからない。

 通用するだるか――いつもの氷太朗ならば、その一点を考え続けていただろう。

 だが、今は違う。

 希望があるなら、賭けるだけだ。

 ダメだったら、またその時策を練ればいい。


「行くぞ……ッ!」


 氷太朗は剣を抜くと、それを氷華に目掛けて投げつけた。何本も、何本も。絶え間なく。

 氷華は――最初の一本は見事キャッチし、それで二本目以降を叩き落し続けた。


「芸が無いわね、氷太朗」

「まだだ……!」


 更に三〇本の刃が氷太朗の元に集った。

 氷太朗はそれらを抜いて、投げつける。

 一本、また一本。

 狙いは鳩尾だ。

 一本でも届けば、確実に動きを止めることが出来る。


「うーん……そろそろ見飽きて来たわね」


 氷華から見ても、この剣投げは見事なものである。まさに磨き上げられた技だ。氷太朗がこのような特技を持っていたなんて、思いもよらなかった。初めて知った側面である。だが、それも、これだけの数を目の当たりにすれば、流石に新鮮味がない。

 もう少し遊んでも良いが――口寄せした妖の数もかなり減っているし、正直退屈になってきたので、少し作戦を変えた方が良いだろう。

 そんな事を考えている時、氷華の横を一本の刀が通り過ぎた。

 見逃しかけたが、氷華は天眼通を発動させながらよく見ると――それは、顕明連ケンミョウレンであった。


顕明連ケンミョウレン……ッ⁉」


 殆ど条件反射だった。氷華は咄嗟に手を伸ばし、顕明連ケンミョウレンを掴もうとした。

 それが陽動であることは、斬られてから気付いた。


「けん……みょう……れ……ッ」


 氷華の手が顕明連ケンミョウレンに届く前に、彼女の胴は落ちた。

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