004 敵

 月夜神社は人で溢れ返っていた。参拝客ではない。避難者と負傷者だ。右手では傷の手当を待つ人々が列を成し、左手には泥だらけになった者達が涙を流しながら抱きしめ合っている。

 どれだけ耳を澄ましても、笑い声は聞こえてこない。

悲鳴。泣き声。怒号。慟哭。嗚咽。それらだけが響き渡る。

 それは――神社の中枢である本殿にも聞こえてきた。


「……ッ!」


 本殿の一室に通された氷太朗は、逃げ出したくなった――どこにも逃げ場などないのに。どこに行っても事態が勝手に好転する事なぞないのに。恐らく、骨の髄まで逃げ癖がついているのだろう。

 だが、氷太朗は逃げたい気持ちを必死に押し殺した。

 もう逃げないと決めたから。


「ほれほれ、着替えを持ってやったぞ――って、なんちゅー顔をしとるんじゃ、お前さんは」


 襖を開けて部屋に這入って来た太三郎は言う。


「もしかして、一丁前に責任感なんて感じておるんじゃなかろうな?」

「そりゃ……感じますよ。ハクとは言え、僕の肉体が町を滅茶苦茶にしたんですから……」


 そして、そのハクを裏で操っていたのが氷華なのだから。


「まぁ、そうじゃわな。ワシがお前さんの立場でも負い目を感じたじゃろう。しかし、じゃ。お前さんが責任を感じるのは、ほんの少しだけで良いと思うぞ」

「ほんの少し……?」

「もしお前さんが肉体をしっかりと掴んでおれば、ハクになって常夜を襲う事は無かったじゃろう。姉御も、もっとお前さんが寄り添ってさえいれば、こんなにも狂わなかったじゃろう。じゃが、それだけか? それだけが原因か? 違うじゃろ――所詮は、原因の一つに過ぎん」

「……」

「悲劇というのは無数の原因によって引き起こされる――一つの原因だけが全ての責を負わなければならんという事は決してない」

「それは………」

「それに、貴様は命を賭してハクを止めた。肉体を破壊すれば現世には戻れんという事は百も承知で、己の肉体を殺した。――これは罪を償うには十分過ぎる行為じゃとワシは思うぞ?」


 言って、太三郎は氷太朗の頭を撫でた。とても暖かい微笑みを浮かべて。

 氷太朗は涙が出そうになった。しかし、ここで泣いてはいつもの自分に戻ってしまう気がしたので、ぐっと堪えて「ありがとうございます」とだけ言った。


「よし、じゃあこの件は終了じゃな!」

「いや、終わりってワケでは……」

「次の戦が控えておる。さっさと着替えろ」


 太三郎は持っていた洋服を投げ渡す。氷太朗はそれを空中でキャッチすると、返り血まみれの着物から早速着替えた。

 洋服は『御城』の職員が身に付けている制服に似た詰襟のモノだが、装飾が一切ない。色も、あちらは緑がかった黒なのに対して、こちらは黒色に近い紺色なので、まるで学ランのようだ。


「最後にこれを付けて終いじゃ」


 そう言いながら氷太朗の腰に巻いたのは、二振りの日本刀が差してあるベルトであった。

 氷太朗はこの二振りの刀に見覚えがあった。

 一本は、先の戦闘でも使用した脇差。

 もう一本は、先の戦闘で氷太朗が圧し折った顕明連ケンミョウレンだ。


「け、顕明連ケンミョウレン⁉ どうしてここに⁉」

「小輪の子孫であるお前さんの腰に差しておくのが一番じゃろ?」

「そうかもしれませんが……これ、役に立つんですか? 折れてるんですよね?」

「折れておるぞ。一応、接着剤で破片はくっ付けたが、たぶん一振りもすればまたポッキリ折れるじゃろう」

「何の役に立つんですか……?」

「刀としては役に立たん。その辺の奴からすれば、無用の長物じゃ。いや、重くて邪魔じゃから、ぶっちゃけ無い方がマシじゃろう。しかし、お前さんは違う。六神通を持つお前さんは」

「それってどういう――」

顕明連ケンミョウレンの説明は後じゃ。姫様らが待っておる」


 太三郎は襖を開けて廊下に出た。解せぬ点はあったが、ぐっと押し込めて氷太朗は後に続く。

 二人は長い外廊下を歩く。一歩踏み込む度に床がギイギイと軋む。屋根の上では、不吉にも烏が鳴いている。どちらも不愉快な音である。だが、今の氷太朗にはその一切が聞こえていなかった。

 彼の鼓膜を揺らすのは、避難者の悲痛な叫びだけだ――母を探す幼子の声や、痛みを堪える少年の声や、神を恨む老婆の声や、喉を潰されても叫び続ける男性の声だけだ。それらを前にすれば、烏の鳴き声なぞ可愛いものだ。

 耳を塞ぎたくなるような声を受け止めていると、すぐに、本殿の一番奥にある『神室』に着いた。

 襖を開けると、六畳の神室には一人の少女が居た。

 酒月美夜だ。

 額には包帯が巻かれており、頬には大きな絆創膏が貼られているが、両足で立っている。目も開けている。瞬きもしている。


「目を醒ましたんだね、酒月さん」


 自分の身以上に無事を案じていたその姿に、氷太朗は思わずゆっくりと歩み寄る。

 美夜はそんな彼を見て、優しく微笑んだ。


「心配してくれてありがとう。大体の傷は美夕が綺麗に治してくれたから大丈夫」

「良かった……。本当に良かった……」


 安堵してから気付いた。

 今、笑った?

 氷太朗は反射的に視線を落とし、美夜の足元を見た。

 そこには影があった――無いはずの、影が。


「酒月さん、影が……」

「うん。こっちの『酒月美夜』には影に戻ってもらった。これから対峙する敵は、力を分散させた状態で勝てる相手じゃないから」

「常夜の管理は大丈夫なの?」

「一時的に管理権を美夕に移した。一日くらいなら、大丈夫だと思う」

「そっか」


 氷太朗はすぐに理解した――これから対峙する敵とは、坂之上氷華である事を。そして、美夜は彼女を全身全霊を以て倒そうとしている事を。

 理解した上で、問う。


「現世で何があったの?」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 遡る事、数時間前。

 美夜は妹の美夕と自室でありとあらゆる妖術を試していた。地図上のどこかに存在するはずの坂之上氷太朗の肉体を探すために。しかし、そのどれもが悉く失敗に終わった。

 最初は、自分の妖術の精度が悪いのだと思った。腕が悪いのだと思った。

 けれども、様々な妖術を駆使し、占星術まで引っ張り出しいる内に、とある疑念が湧いた――氷太朗の肉体に対探査系妖術が施されているのではないか、という疑念が。

 身を隠す妖術は沢山ある。数えきれないくらい沢山――鏡の神の力を借り、周囲の光の屈折を巧みにコントロールし背景に溶け込む『宝鏡の守り』や、木の神の力を借り、磁気を透過しレーダーを搔い潜る『樹脂麗』などが代表的だ――それらを組み合わせれば、肉眼はおろか妖術にすら探知されないように出来る。

 そのような高等な事をせずとも、結界の中に隠れてしまえば、並みの妖術では探し出せないだろう。

 これだけ探しても見つからないというのは――はっきり言って異常だ。背景に妖術の存在を疑わざるを得ない。

 美夜の脳裏に、一人の女性が過る。

 坂之上氷華だ。

 氷太朗の近辺でそのような妖術が使えるのは彼女しかいない。未だ連絡がとれない彼女しか。

 しかし、直感的に結びつけてしまっただけであり、今回の件と氷華を繋げる確固たる証拠はない。

 行き詰ったので、少し外の風に当たろうか――そんな事を考えていると、部屋に父がやって来た。

「お友達から電話だよ」と言われた。美夜はハイツ針姫を去る際に和歌に電話番号を伝えていた事を思い出す。

「はい、もしもし」


 リビングに行き、固定電話を取った。

鼓膜が荒い呼吸を捉えた。風を切る音も聞こえる。さらに耳を澄ますと、リズミカルな足音も聞こえる。どうやら和歌は走っているらしい。


「あ、酒月っち? おひさー」


 口調はいつも通り、軽薄だ。


「氷太朗探しは順調?」

「手掛かりなし。不調。そっちは?」

「犯人はわかったぜ」

「――ッ⁉」


 あまりにも単刀直入だったものだから、美夜は息を呑むしか出来なかった。

 その様子が可笑しかったのか、和歌は電話口で息切れをしながら笑った。


「相変わらず表情豊かだな。そういう所、嫌いじゃないぜ」

「茶化さないで。犯人がわかったって……どういうこと?」

「氷太朗の家にはパソコンが無いんだ。でも、iPadはある――そのiPadを使って、氷太朗と氷華のiPhoneを探してみた」

「勝手に漁ったの?」

「人聞きの悪いことを言うなよ。偶然指が触れて、iPadを起動させちまって、適当にタップしてみたらiPhoneを探すアプリが起動しちまったんだよ。全て偶然だ。私は悪くない。敢えて悪者を挙げるなら、あんなところにiPadを置いていた氷太朗だな」

「……それで、iPhoneは見つかったの?」

「氷太朗のiPhoneは部屋の中にあった。でも、氷華のiPhoneは針姫駅の前のビジネスホテルの中にあった。これって、おかしいよな? ハイツ針姫からホテルまで歩いて十分だぜ? 貧乏人にはあるまじき行為だ」

「おかしいけど、それがどうして『氷華さんが犯人』に繋がるの?」

「結論を急ぐなよ、せっかちさん。貴重な推理シーンだぜ?」


 言って、和歌はわざとらしく咳払いをした。


「この時点で氷華さんが怪しいと思った私は、単身、ホテルに乗り込んで氷華の部屋を探した。部屋を探し当てるのは簡単だったぜ。サーバーに入りこめれば一発だからな」

「ハッキングしたの? 貴女、何者?」

「コツさえ掴めれば、アンタにも出来るよ――で、氷華さんの部屋を割り出した私は、隣の部屋のベランダからだけど、中を覗き見てみた。そしたら、ビックリ。氷太朗の肉体がベッドで寝ていやがる」

「どうして……?」

「それはわからねェ。けれども、盗聴していると、氷華はしきりに『顕明連ケンミョウレン』という単語を呟いていた」

顕明連ケンミョウレン? なに、それは?」

「モノを知らねェ奴だな。顕明連ケンミョウレンは坂之上家のご先祖様である鈴鹿御前が持っていた宝刀だ。針姫の書物には、鈴鹿御前の死後、娘の小輪の手に渡り、小輪の手によって『夜の国』に封印されたと書かれている」

「夜の国――ッ⁉」


 美夜の鼓動が一瞬にして加速した。

 嫌な予感を、和歌が「常夜だろうな」と肯定する。


「『常夜に迷い込んだ氷太朗』と『常夜に封印した宝刀』――こいつらはどう考えても無関係じゃねェ。寧ろ、密接に関係してる」


 和歌は続けた。


「こっからは私の勝手な想像だが――氷太朗は顕明連ケンミョウレンを盗み出すために氷華によって常夜に送られてきたトロイの木馬かもしれねェ。悪いことは言わない、今すぐ氷太朗を常夜から脱出させろ」

「わかった。貴女もホテルから脱出して」

「お生憎様。現在進行形でホテルから全力疾走で逃げてるところだ。今後の事を相談したい。今どこに居る?」

「家にいる。場所わかる?」

「でっけェ屋敷だろ? この町で知らない奴は居ねェよ。今すぐ向か――」


 ここで電話が切れた。

 電波が悪くなったわけでは無いだろう。充電が途中で切れたという事も、針姫和歌に限ってあるまい。

 となると、想像できるのは一つ――襲撃だ。

 美夜はすぐに部屋に戻って美夕に二つの指示を出した。今すぐ身を隠す事。そして、自分に何かあった場合、代わって常夜を管理する事。

 美夕は一瞬、何か言いたげな顔をしたが、すぐに点頭して地下室に移動した。それを見届ける間もなく表に出ると、氷華が険しい顔で酒月邸の門を潜っていた。


「何の用ですか?」


 慌てて外に出た美夜は、額から流れる汗を頬に感じながら問うた。


「退きなさい」


 そう応える氷華も汗だくだ。


「邪魔をするなら、氷太朗の友達であろうとも殺すわよ」

「それはこっちの台詞です。これ以上進むのであれば、氷太朗くんのお姉さんであろうとも、容赦はしません」

「貴女如きが私達を止められると思って?」

「……目的は何ですか?」

「決まってるわ。顕明連ケンミョウレンよ――あれさえ手に入れば、私達は救われるの。そして、多くの人を救えるの」

「その為に弟を肉体から引き剥がしたんですか?」

「黙れェ!」


 激昂した氷華は掌を掲げた。

 美夜の記憶はここで途切れた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「あの時、氷華さんは常夜に進軍するつもりなんだと思った」


 語り終えた美夜は静かに目を伏せる。


「或いは、嗅ぎまわっている針姫さんと私を消すために襲ってきたのだと思った。でも、違った――ハクが常夜に安全に這入るための陽動だったんだ」

「そうだろうね……」


 静かに肯定してから、氷太朗は頭を掻き揚げた。

 そして、少し頭を整理した。


「姉ちゃんは僕を肉体から引き剥がして魂だけの状態にした。魂だけとなった僕は常夜に吸い込まれ、迷い込んだ……。そして、頃合いを見てハクを放った。ハクの持つ『魂に引き寄せられる習性』により僕の居場所を割り出すために――僕の居場所を特定することにより、常夜の場所を特定するために。いや、それだけじゃない。ハクに特殊なプログラムを書き加え、顕明連ケンミョウレンを探し出させた。――そういう計画だと、酒月さんと和歌は考えてるんだね?」

「うん。氷太朗くんは?」

「正直僕は……姉ちゃんがそんな計画を立てると思わない」

「何か引っ掛かるの?」

「『僕』を利用するとは思えないんだ。危害を加える筈が無いとかそういうのじゃなくて――いや、それもあるんだけど――姉ちゃんは他人を一切信じちゃいない。だから『僕ありき』の作戦なんて立てる筈がないんだ。常夜の位置を特定するくらいなら……自分の妖術を使って探し出す筈だ」

「常夜の結界には、妖術対策を施されてる。探索は不可能」

「絶対に?」

「絶対に」

「そうか……。じゃあ、文献を調べたり、誰かから聞き出して位置を特定するのは?」

「無理だよ。常夜に関する具体的な事を書き記した文献はこの世に存在しない。正確な位置を知る人は、酒月家と、政府の一部の人間しか知らない。一応屋敷の守護を任せている針姫家も、常夜の事は知ってるけど、はっきりとした位置は知らない筈」

「政府?」


 この場に相応しくない単語の登場に氷太朗は首をかしげると、美夜は太三郎の方を見た。

 太三郎は腕を組み、壁に寄っかかりながら言った。


「実は、常夜は――国の命により、宝物庫として作られたのじゃ」

「宝物庫? 常夜は迫害された妖怪達を匿う為に作られたんじゃないんですか?」

「それは表向きの話じゃ――平安時代初頭、有力百姓や武士達の間で宝物の奪い合いが各地で勃発した。朝廷の力が失墜した当時、宝物こそが権利の象徴であり、宝物を持つを者こそが力を持つと考えられておったからじゃ」


 人々は名のある宝剣や仏像や絵画を手に入れるために、多くの戦争を起こした。

 朝廷は当然、それを問題視した。だが、だからと言って武力介入出来るほどの権力も軍事力も持ち合わせてはいなかった。

 無益な争いで多くの民が血を流し続ける日々が何十年と続いた。

 朝廷は指を咥えて見ているしか出来なかったが――ある時、一人の陰陽師が平安京の門を叩いた。名を『魅月ミヅキ』と言う。彼女は結界術の名手で、幾つもの隠れ里を運営していた。彼女は、このほど、酒に映した月に移住する技術も開発したと言う。

 そんな彼女の提案は、誰にも見つからない結界空間内に宝物を隠してしまおうというものであった。


「最初、朝廷は却下した。無数にある宝物の全てを隠してしまうなぞ夢のような話じゃったし、何よりも、無数の宝物を搔き集める人手も武力も無いからのう。しかし、最も力を持っておった公家の一人『針姫唄定』だけは魅月様を支持した」

「針姫って……あの針姫ですよね?」

「そうじゃ」


 針姫家当主・針姫唄定の鶴の一声によって朝廷の態度は一変し、持てる武力の全てを以て宝物の回収に務めた。そして、回収された宝物は魅月が作り上げた『誰にも見つからない結界空間内』――即ち『常夜』に次々と移された。

 宝物の回収には一〇年以上の歳月を要した。多くの兵も失った。しかし、その効果は覿面であり、宝物が 世から姿を消した事により戦争はピタリと止んだ。

 漸く終わった戦乱。

 泰平の世を見た朝廷は褒美として広大な敷地と、『酒月』という苗字を与えた。

 これが常夜と酒月家の始まりである。


「常夜は現在に至るまで、国の最高機密として扱われてきた――文書には残っておらんし、知っているのも政府高官などの限られた人間だけじゃ」

「常夜を行き来できる人間も、他にも居ないんですか?」

「おらん。常夜に行く事は容易いが、出ていくことは酒月家と酒月家に許可された人間しか出来んからのう」

「そんな厳重に管理されているのなら、どうやって姉ちゃんは『常夜』の存在を知ったんだ……?」

「情報が少なすぎる現状、考えたって無駄じゃ」


 太三郎は眉間に皺を寄せて言う。


ハクを使って常夜の位置を特定した坂之上氷華は遅かれ早かれ攻めてくるじゃろう――今決めるべきは、それにどう対応するかじゃ。氷太朗、お前さんはどうすれば良いと思う?」

「僕は――姉ちゃんと話したいです」


 氷太朗は顕明連ケンミョウレンに視線を落とす。


「たぶん、何も持たない状態で姉ちゃんの前に立っても、何も聞いてはくれないと思います。ですが、『これ』があったら、少しは話を聞いてもらえると思います。だから、少しの間だけ、顕明連ケンミョウレンをお借りしてもいいですか?」

「貸すどころか……それは氷太朗くんのものだよ」


 美夜は一歩近づく。氷太朗は思わず「えっ⁉」と顔を上げた。


顕明連ケンミョウレンは氷太朗くんに返すよ。元々坂之上家の持ち物だし――それに、顕明連ケンミョウレンを預かる時、元の持ち主である小輪様から、『子孫が返して欲しいと言ってきたら返して欲しい』って言われてたみたいなんだ」

「小輪様が……」

「だから、顕明連ケンミョウレンは氷太朗くんのものだよ。折れてるけど」

「ありがとう。折ったのは僕だから、気にしないで」


 氷太朗は苦笑する。応じるように、美夜も小さく笑う。

 彼女の笑顔を見るのは何年振りだろうか。

 小さな小さな微笑みなのに、見ているだけで無限に勇気が湧いてくる。

 この勇気があれば、何だって出来るような気がする。


「まずは僕が姉ちゃんを説得する。で、決別したら、僕が姉ちゃんを止める」

「出来るの?」

「わからない。でも、取り敢えずやってみるよ。全力で」

「そうだね。バックアップは任せて。全力でする」


 美夜はそっと手を差し出す。小さくて儚げだが、力強い意思を持った手を。氷太朗はすぐにその手を握り返した。


「残ってる問題は顕明連ケンミョウレンの使い方じゃな。お前さんが顕明連ケンミョウレンの能力に耐えられるかどうか……」


 二つの手が別ったタイミングで太三郎は言うと、氷太朗は「どういう事ですか?」と問うた。


顕明連ケンミョウレンはただの刀ではない。様々な能力を持つ妖術じゃ――使い方を誤れば、刀に命を取られてしまう」

「どんな能力があるんですか?」

「それを説明するのは此奴じゃ」


 太三郎がパンパンと手を鳴らすと襖が開き――浴衣を着た少女が這入ってきた。

 彼女の顔を見て、氷太朗は驚愕する。


「魅流さん⁉ 無事だったんですか⁉」

「無事なワケ無いでしょ。お腹ぶっ刺されたんですよ? うっ……」


 魅流はふらつくと、氷太朗は慌てて受け止めた。


「休んでいた方がいいんじゃないですか?」

「私もそう思いますよ。でも、この狸ジジイが働けって……」

「腹の傷は塞いだ。もう大丈夫じゃろ。普段サボってばかりなんじゃから、こんな時くらい働け」

「へいへい。わかりましたよ。……よっこらしょ」


 魅流はゆっくりとした動作でその場で胡坐をかくと、両掌を合わせて何かを呟きだした。その動作は妖術を発動させる所作に他ならなかった。


「一体何をするんですか?」


 氷太朗は問うと、太三郎は短く答えた。


「あの世に居る小輪を口寄せして、顕明連ケンミョウレンの使い方を訊くんじゃよ」

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