005 切符

 順風満帆な常夜観光であったが、笑劇小屋を出る時、アクシデントが起こった。

 小屋の前に停めていたバイクに黄色いシールが貼られていたのだ。駐車禁止のシールだということは、一目でわかった――貼った犯人も、一目でわかった。


「おいちょっと待てコラァ!」


 ナルはシールを握りつぶすと、近くのベンチに腰掛け缶コーヒーを片手に煙管を吹かす警官――弥七の胸蔵を掴んだ。


「人のバイクに何汚いシール貼ってくれてんのよ!」

「君の方こそ……お巡りさんの胸蔵を掴むなよ。公務執行妨害と傷害罪で逮捕するよ?」

「やっれるモンならやってみなさいよ、色欲警部補!」


 腕を振りかぶるナル。


「落ち着いて、ナル!」


 氷太朗はすかさず背後に回り、羽交い絞めにも似た体勢で止める。それを見て弥七は呑気にも「やぁ、君か」と手を挙げた。


「一八時間ぶりくらいだね。君のお陰で僕は随分な目に遭ったんだぜ?」

「まるで被害者みたいな口ぶりですけど、殆ど自爆でしたよね⁉」

「そうだったっけ? 忘れたな」


 惚ける弥七に、ナルは言った。


「アンタ聞いたわよ! 氷太朗の事、女の子だと思って必死に口説いたんだってね! 駐禁取り消さないと、言いふらすわよ!」

「お巡りさんがそんな脅しに屈するワケないだろう? 悔しかったら駐車禁止区域に停めないことだ。……って、あれ? 君たち、ヘルメットは? もしかして、ノーヘルで走ってたの?」

「被れるワケ無いでしょ⁉ このツノが見えないの⁉」

「ツノがあってもバイクで走る時はヘルメットを被るんだ。教習所で習ったろ?」

「そんなこと知ったこっちゃないわよ!」

「まぁ良いや。それよりも、免許証出して」

「不貞警官に見せる免許証なんてないわよ! バーカ!」

「もしかして携帯してないの?」

「………」


 ナルの動きがピタリと止まる。

 肯定と取るには十分な態度である――弥七は胸ポケットから手帳サイズの紙切れを取り出すと、それに鉛筆で何かを書き加えた。


「駐車違反と無免許運転とヘルメット着用義務違反の三連単だね。来週までにこれと罰金を持って裁判所に出頭してね」


 ペタンとナルの額に叩きつけられたそれは、交通反則通告と書かれていた。所謂、切符というヤツである。

 ナルは頭を勢いよく回して切符を振り落とすと、先とは打って変わって、急におとなしくなった。頭が冷えた――わけではあるまい。


「……ねぇ、脳味噌桃色警官。先月の五日の夜、何してた?」

「うーん……その日は非番だったから、友達と夜遅くまで飲んでた筈だよ」

「ハッ! 嘘ね! アンタ、町外れの遊郭に遊びに行ってたでしょ⁉」

「なっ……⁉ なんでそれを……⁉」

「私、遊郭のキャバクラでキャッチの助っ人してたから、全部見てたのよ!」

「だから何だと言うんだい? 男が遊郭に行くくらい、どうって事ないだろ?」

「一件だけなら、ね――アンタ、三件ハシゴした挙句、女の子をナンパして持ち帰ろうとしてたでしょ! これをアシ姐さんが知ったら、なんて言うでしょうね⁉」

「また脅しか⁉」


 雲行きが変わってきたので氷太朗はナルを解放すると、ナルは落とした切符を拾い上げ、意趣返しのように弥七に叩きつけた。


「脅しじゃないわよ。人聞きの悪い。でも、もしかした、今日の切符の件をアシ姐さんに愚痴った拍子にポロッと言っちゃったら――それはもう事故よね?」

「ぐぐぐ……ッ!」

「ニヒヒッ!」


 ナルと弥七の睨み合いは暫し続いた。

 先に折れたのは、やはりと言うか何と言うか――弥七だった。彼は大きな溜息を吐いてから缶コーヒーを一気に飲み干すと、空いた缶の口に切符を捻じ込んだ。そして、その上からポンと煙管の灰を落とす。


「これで……満足かい……?」

「やりゃぁ出来るじゃん。性病には精々気を付けるのよ、絶倫警察二四時」


 ナルは肩をポンポンと叩く。脅迫に屈した警官は項垂れるばかりだ。とんでもない隠滅の瞬間を目撃してしまった氷太朗は「鬼だ……」と思ったが、口には出さなかった。


「折角良い気分だったのに、水を差されたわね」


 バイクのもとに戻ったナルは、気を取り直して、と言わんばかりにシートを払う。


「次、どこ行く? あ、そう言えば、最近この辺に雨降小僧カフェがオープンしたらしいんだけど、そこ行かない?」

「良いけど――雨降小僧カフェって何? 雨降小僧ばっかりいるの?」

「そうよ。店員さんが全員、雨降小僧なの。みんな雨を降らすもんだから、室内なのに何故か雨が降ってるらしいわ。滅茶苦茶面白くない?」


 雨降り小僧とは、和傘を被った小僧で、通り雨を降らせる能力がある妖怪だ。そんな妖怪が接客業をしている姿なぞ、誰がイメージ出来ようか。室内で雨が降る光景など、余計想像出来ない。

 途端に興味が湧いた氷太朗は「行こう行こう!」と笑顔で賛同したが――直後、笑顔は消え失せ、青ざめた。


「ど、どうしたの? 氷太朗。具合悪いの?」


 彼の豹変ぶりに困惑したナルは顔を覗き込む。しかし、氷太朗はそんな彼女を無視して歩み始め――近くにあった掲示板の前で止まった。

 掲示板には様々な掲示物が貼られていた。町内会長就任の挨拶や、地域子供会の催し物のお知らせ。ゴミの分別表に、防犯ポスター。その種類は多岐に渡る。

 氷太朗の意識を奪い取ったのは、掲示板の右上に貼られた刀剣展示会のポスターである。


「どうして……ッ⁉」


 ポスターには、展示している刀剣の名前が羅列されていた。

 その中に、喉から手が出る程欲していた刀の名前があった。


「どうして『顕明連ケンミョウレン』がここに……ッ⁉」

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