第20話「遠い日の記憶」(4)

「ノ、ノア!」

「もし本当に運命が存在するなら、俺の相手はキーラ以外にいない。いや、他の女性なんて考えたくもない!」


 力強さに驚いて押し返すが、それよりもさらに強い力で抱き寄せる。そこに乱暴さはなく、まるで大切にしているぬいぐるみをなくさないよう、手離してしまわないよう抱きしめるような愛おしさを感じた。


「12年前、俺を助けてくれた時のキーラは本当にかっこよくて、強くて素敵だった。この人のためなら全てを捧げられる。どんなわがままも受け入れ叶えてあげたいって思ったんだ」

「だから服従したいなんて言いだしたわけね……」


 そんな突拍子もない言葉を突然つきつけられたら、私に限らずどんな女性であろうと身構えるし、妙なヤツだと突き放されるのが目に見えている。そういう経緯と想いを最初に話してくれていれば、私だってもう少し優しく接することができたかもしれない。言葉足らずにもほどがある。

 どうしてこの人はこんなにも真っ直ぐで不器用なのだろう――心の中で呟いた言葉がじわりと体に溶けて、それがやがて愛おしさに変わっていく。

 行き場を失っていた私の手は、ゆっくりと彼の背中に回って優しく撫でていた。ノアはようやく腕を解いてくれるが、その距離は縮まったまま。離れがたそうに至近距離から見つめ、肩のあたりに下がる私の髪に触れた。その仕草が妙に色気があって、いつもの無邪気さはどこにもない。


「一日に数時間しかこの姿に戻れないから、その時間を大切な人と一緒に過ごしたい。キーラと一緒にいたいんだ」

「そんなこと、言われても……」


 ノアの想いにどう答えていいのかわからなかった。

 この街に辿り着いた時、私は自らの生涯を独りで生きていくと決めた。エステルと死霊たちさえ傍にいてくれればそれでいいし、それ以上は何も望まない。心穏やかに、この命が尽きるまであの森で過ごすことができれば十分。求められることなどないと思っていたせいか、返すべき言葉が私の中に見つからなかった。

 

 ―― お前の姿など見たくない……私の前から消えてくれ!


 脳裏に焼き付いた声が耳の奥で響いて、ズキズキと胸を刺されるような痛みを覚えた。

 息が詰まりそうになるのを堪え、ぐっと唇を噛み締めた。私にはノアの望みを叶えることはできない。いや、できるわけがない。そう思うと両手には力がこもり、自然とノアの胸に押し付けていた。


「私は、誰かに必要とされるような人間じゃないから」

「どうしてそんなこと言うんだ? 俺はキーラがいいんだっ」


 ノアにとっても、私にとっても最善のことだ。傍に寄り添い、地位や権力だけではない内面も愛してくれる人が必ずいる。服従したいと願うほどの想いを諦めさせる方法は、おそらく一つしかない。

「ノア。あなたの一族にかけられた呪いを解く方法、私が見つけるわ」

「呪いを解く……?」


 グランフェルト家の男児にかけられた魔女の呪いを解くことができれば、ノアは晴れて自由の身。瓶の中に閉じ込められることもなく、遠くへ行くことも自由に恋をすることもできる。狭い世界しか知らないからこそ、私に対する執着心が強くなっているだけ。世界が変われば、私への想いも必ず変わるはずだ。


「ノアの気持ちは十分に伝わったわ。でも私はそれに応えるつもりはないの。私と一緒にいれば必ず呪われる。お願いだから、私のことは放っておいて――」


 そう言いかけたところで、ノアは再び抱き私を寄せる。きっと、私がそれ以上何も言えないように遮ったのだろう。腕に込められた力に、その思惑が薄っすらと滲んでいる気がした。


「呪いなんて怖くない。俺にはキーラにもらった指輪もあるし、そもそもこの体はすでに呪われてる。呪いが一つや二つ増えたところで何も問題ないんだ」


 体に回された腕に力が込められる度に、私の心も締め付けられる。応えようとすれば心が拒絶し、受け止めようとすると体が強張って思うように力が入らなかった。

 静まり返った室内に響く雨音が強さを増し、体の芯を震わせるような激しい雷が鳴り始めた。その音が遠い過去の記憶を呼び覚ます。心の奥底に押し込めていた幼い頃の恐怖心が不意に蘇って、私の体はかすかに震えていた。

 気づいたノアがそっと腕を解き、心配そうに顔を覗き込んだ。


「キーラ、どうした?」

「私は、一人で生きていくって決めたの……それが最善だと思って生きてきたのに。心を乱すようなこと、言わないでよ」


 すぐ目の前にあるノアの顔を見つめていると、どうしようもなく触れたくてしかたがない。言いようのない気持ちが溢れ、ノアの首元に絡みつくように腕を回して抱きしめていた。

 優しく抱き留めてくれるノアの腕の中で、降りしきる雨音と雷の音に耳を澄ませた。独りで生きていこうと決めたあの時も、同じような雨が降り、体の芯を震わせるような雷が鳴っていた。

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