足止め喰らうも多生の縁

そうざ

We can't Move Forward

『お客様にご案内申し上げます。先を走ります◯◯号の車内で発生しましたトラブルの影響に依り、現在この列車は運転を見合わせております。お急ぎのところ――』


 何回目かの車内アナウンスを聴きながら時計を確認する。車窓に見える山並みや田畑は、目的地がまだまだ遠い事を知らせながら夜陰を帯び始めている。

 悪天候は事前の予報で想定出来るが、不慮の事故は神のみぞ知る。何事も余裕を持って行動すべしとはもっともな矜持だが、凡人の日常に与えられた時間は余りにも有限だ。

「もうどれくらい停まってます?」

 その問い掛けは、窓ガラスに映り込んだ男から出たものだった。名古屋駅で乗車するや通路側の座席で大きなリュックを抱えたまま鼾を掻いていたが、引っ切りなしのアナウンスに起こされたのだろう。

「もう三十分以上です」

「そんなにですぅくふぁあ~っ」

 恥も外聞もない大欠伸。色褪せたTシャツとハーフパンツに太鼓腹。平日休みを堪能して後は独り寝の部屋に帰るだけ、という雰囲気の男だった。

 男は矢庭にリュックを開けると、ケーキを取り出した。背中で存分に揺らされたらしく、プラスチック容器の内側で苺が転げている。

何方どちらまで?」

 男はケーキを手掴みにして言った。

「新横浜駅です」

「横浜にお住まいで?」

「家は東京です」

「横浜へはお仕事で?」

「まぁ……仕事のついでと言いますか」

「ショートケーキのショートの意味をご存知?」

「は?」

 開いた口が塞がらない俺を余所に、男は大口にケーキを投じる。

「ショートケーキって短くないですよねぇ」

「はぁ……何でしょうね、分かりません」

「お急ぎですか?」

「はい?」

「横浜で予定でも?」

「えぇ……」

「そりゃ悪い事をしたなぁ」

 男は、不可思議な返答の解釈を俺に委ねたままケーキを食べ続けるのだった。


『お客様に繰り返しご案内申し上げます。現在、◯◯号は車両点検を行っております。運行再開まで今暫くの――』


 男は一つスイーツを食べ終わると直ぐに次を取り出す。潰れた饅頭、溶け掛けたチョコレート、撹拌されたプリン――見た目が悪くても味は変わらない事を証明するかのように平らげる。辛党の俺には異次元の光景だった。

「お一つ如何? 足止め食らうも多生の縁って言うし」

「お気遣いなく」

 横浜でディナーの中華が待っている。胃袋は空っぽのまま臨みたい。

「関西人って松茸をマッタケって言いますよねぇ、松任谷由実の事をマットウヤユミって言うんですかねぇ」

 俺がスマホに集中する素振りを見せても、男は下らない話題の宝庫らしい。足止め食らうも多生の縁――だとしても、俺は余程がないようだ。


 速報東海道新幹線車内で原因不明の白煙、上下線に大幅な遅れ


「単なるフォグマシンですから心配ないです」

 ぎょっとして顔を上げると、男が無遠慮にスマホを覗き込んでいた。

「フォグマシン?」

 短文のニュース記事の何処にもそんな横文字は登場しない。

「植物性グリセリンで無害な霧を出す小型機器です」

「どうして判るんですか?」

「私が仕掛けたから」

 背後の席で赤ん坊が愚図り出す。母親がその子を抱いてデッキの方へ向かう。

 俺は声の調子を落とした。

「……冗談、ですよね?」

「本当ですよ、関西人はマッタケって――」

「機器の事です」

「あぁ、そっちですか。簡単な時限装置を作りましてね。私、こう見えても技術畑出身なんですよぉ」

 そう言いながら銅鑼どら焼きを丸々口へ押し込んだ。

「でも、貴方は今この列車に乗ってるのに……」

「名古屋駅のホームで、◯◯号が来たら車内のごみ箱に時限装置付きの発煙筒を入れて、直ぐに降りるんです」

 犯行の一部始終が再現ドラマよろしく脳裏に浮かんだ。この男だったら人目も気にせず淡々とやりそうな気がする。

「で、その後に次発のこの列車に乗った訳です。簡単でしょう?」

 悪い事をしたなぁ、という呟きの意味が今になってし掛かって来る。愉快犯ですか、と訊く訳にも行かないが、ここで会話を終わらせる勇気もない俺だった。

「……どうしてそんな事を?」

「勿論、列車を遅れさせる為です」

 男は笑顔でフルーツゼリーを取り出した。


『繰り返しご案内を――運行再開まで今暫く――ご迷惑をお掛け致します』


 再放送でしかない車内アナウンスが繰り返され、もう直ぐ一時間が経とうとしている。スマホの続報は爆弾処理班が到着した事を伝えている。

 トイレに立つ振りをして車掌に通報すべきか。しかし、男は俺の行動を阻止するかのようにテーブルに食べ滓を並べ続ける。荷物棚の鞄を持ってトイレに行くのは不自然か。兎に角、一刻も早くこの座席から離れたい。

「うちのかみさん、浮気するみたいです」

 もう男の唐突さに驚きはしない。が、既婚者である事は意外だった。

「いつだか高校の同窓会に出掛けから様子が変でねぇ。こう見えても勘が鋭いんですよ、私」

「たったそれだけで浮気を疑うのは……」

「ですから証拠を掴もうと女房のスマホからデータを……ロックの解除なんて朝飯前です」

「技術畑ね……」

「案の定、SNSの怪しい履歴が見付かりました」

 俺は車窓へそっと顔を背けた。もうとっぷり暮れた田舎の風景と俺の動揺とが二重映しになる。

 両手にドーナツを持った男は、お構いなしに喋り続ける。

「今日の午後四時過ぎですよ、かみさんが横浜で浮気相手と逢う約束をしてたのは。かみさんは自宅のある大宮から、浮気相手は出張先の京都から駆け付けるって」

 相変わらずぴくりともしない車両とは逆に、俺の心拍数は加速して行く。

 この男はどうやって俺を浮気相手と特定したのだろう。事前のSNSで座席番号まで知らせたのだったか。頭が混乱し、記憶があやふやになって行く。

「それで私は一計を案じました。かみさんよりも先に家を出て名古屋へ向かい、事前に用意したフォグマシンを――」

「……の為にっ?」

 俺は視線を合わせずに問うた。こうなったらもう開き直りの反転攻勢に出るしかない。

「浮気相手と会わせたくなくて、それだけの為に列車の運行を妨害したんですかっ?」

 男は唇の粉砂糖をゆっくり舐め取り、おもむろに言った。

「これが欲しかったんです」

 男がリュックから取り出したのは、『赤福』と記された箱だった。

「東京から一番近い販売店は名古屋にあります」

 その時、スマホが振動した。

 画面に表示されたのは、アドレス帳に載っていない番号だった。俺がどういう状況なのかを知りたくてそわそわしている筈だ。

「私、こう見えても甘い物に目がないんです。でも、糖質制限させられてて、自宅じゃゆっくり食べられないんですよ」

「……列車の運行が狂えば、ゆっくり食べられると……?」

「心置きなく」

「……浮気の件は? 浮気相手の事は?」

「そんなの知ったこっちゃないです」

 男が笑う。笑うべき場面らしい。

 スマホは既に諦めの境地で沈黙している。こんなに遅れてしまっては逢瀬を充分に愉しめない。果たして次の機会はあるだろうか。

「お一つ如何? 足止め食らうも多生の縁って言うし」

 男が俺の眼前で『赤福』を開封した。

「……遠慮なく」


『お客様に繰り返しご案内を致し上げます。現在この列車は――』

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