身代わりの電子擬人

 暗闇の中、暴走したPJから二筋の光が守人と智代に向けられた。先の戦いの傷が全身にあり、あちこち人工皮膚が裂かれて内部の機械が露わになっている。


 震える智代に抱きつかれている守人は歯を食いしばってPJを見つめていた。その間にも頭の中でアニマと話を続ける。


『アニマ、逃げられると、思うか?』


『わからないわ。あいつの足が故障していたらともかく、試してみないことには』


『失敗、したら』


『殺されるでしょうね。トモヨは走れそう?』


『たぶん、無理。腰が、抜けてる、っぽい』


『それじゃやっぱり逃げられないわね。どうにかしてあいつを止めないと』


『勝てる、気が、しない』


『モリトが個人用端末機パーソナルデバイスを持ってくれていたらよかったんだけど、こうなると直接乗り込むしかないわね』


「げ、まさか」


『その通りよ。テロリストに抱きついて、耳元か機械むき出しの傷口を触って!』


 自分たちに向かって一歩踏み出したPJへ顔を向けていた守人が目を見開いた。今し方マサに対してやったことをもう一度というわけだ。あまり機械化していないマサにでさえ苦戦したのに、更に機械化されているPJに取り付くことなど想像できない。


 迷っていた守人だったが時間はなかった。PJが駆け寄ってきたのだ。最初に見たときのような高速ではない。しかし、智代に抱きつかれていたので身動きが取れなかった。


 片膝を付いている守人はPJに蹴りつけられる。


「ィギィィ!」


「がふっ!?」


 両腕で体を守ろうとした守人はPJにつま先で腕をこじ開けられて腹で受けた。壁際まで吹き飛んで床に倒れる。強烈な衝撃のために一瞬息ができなかった。目に涙が浮かぶ。


「かはっ、あ、あ」


『うわ、これは何度も受けられないわね。モリト、痛覚を調整して痛みを和らげるわよ』


「なん、だよ、これ」


『とりあえず避けるわよ!』


 受け答えする間もなく守人は無理矢理体をひねった。再び蹴ってきたPJのつま先を避けるために床を転がる。


「ちっくしょう、きっついな!」


『本当にきついのはこれからよ! あれにどうにか飛びつかないといけないんだから!』


「できんのかよ!?」


『最悪あたしがあんたの体を操ればできるわよ。多少無茶はするけど』


「どうせ無茶するんだったら自分でやるっ、よ!」


 立ち上がろうとした守人は突っ込んで来たPJの肩を避けるために横へ飛び退いた。下手な避け方だったので再び床を転がってしまう。そのとき、倒れている人間にぶつかった。その拍子にぬるりとしたものが右手に付く。


「うげっ、なんだこりゃ!?」


「アギイィィ!」


『ぼさっとしてないで! 血糊なんて後で拭き取ったらいいのよ!』


 わずかな光を頼りに自分の手に付いたものを目にした守人は驚いたが、アニマに注意された。直後にPJが殴りかかってくる。大きく横に避けた守人は床に落ちた銃を踏んで足を滑らせて転んだ。


 全身を床に打ち付けて悲鳴を上げた守人はすぐに起き上がって片膝を付く。そのとき、右手に何かが触れた。手にすると、それが大型の拳銃だとわかる。


「え、拳銃!?」


『モリト、使い方は知ってる?』


「ゲームで使ったことくらいならあるけど本物はない! っていうか、智代がどこにいるかわかんないから、外れたら危なくないか!?」


『至近距離から撃てば当たるんだけど、それだと今度はモリトが』


「うわ、来る!」


 片膝立ちをしていた守人の側頭部にPJの右足が叩き込まれようとした。またもや床を転がって少し離れる。とっさに立ち上がって拳銃を構えた。もちろん見よう見まねである。


『モリト、撃って!』


「っ! あれ? 弾丸たまが出ない!?」


『安全装置外してー!』


 頭の中にアニマの叫びが響くのとPJが殴りかかってきたのはほぼ同時だった。


 拳銃に気を取られていた守人は避けるのが遅れる。PJの左拳が拳銃に当たって手から離れた。そして更に右拳で顔を殴られそうになる。拳銃をはじかれた影響で体勢を崩したおかげでまともには殴られなかったが、それでも少し頬に当たって床に転がされた。


 守人は転んだ先で今度は盾にぶつかる。手触りからしてあちこちが凹んでいた。状態は良くない。しかし、殴られた痛みからとっさに両手で持ち上げる。


「ってぇ! くそ、これ重いぞ!?」


『機械化で筋力を強化する前提で持つ盾みたいね。ああでも、都合いいかも』


「なんで!」


 最後まで言い切る前に守人は持っていた盾ごと強烈な衝撃を受けた。転びこそしなかったが、そのままの体勢で押し込まれて後ろに大きく退く。


「きっつ! こんなの長くは無理だ!」


『このまましばらく我慢して! 合図をしたら盾を捨ててテロリストに飛びかかってよ!』


「むちゃくちゃだ!」


 叫びながらも守人は盾を持ってひたすら耐え続けた。その間もPJの攻撃は続き、殴られ蹴られる度に後退する。何度もそれを繰り返した結果、ついに壁際まで追い込まれた。


 両腕が痺れてきた守人は盾を落としそうになる。盾の重さに加えてPJの重い攻撃を受け続けて体力の消耗が激しい。


 何も考えずにひたすら攻撃に耐えているとアニマが声をかけてくる。


『合図したらすぐに相手へ飛び込んで頭を触って。耳元でも目でもいいから!』


「わかっ、た!」


『二、一、今!』


 それほど間をおかずに合図された守人は盾から両手を手放した。すると、PJの右拳が当たると同時に盾が守人の右後方へと吹き飛ぶ。


 しっかりと前を見る余裕もなく守人は全力でPJに突っ込んだ。振り抜かれたPJの右腕の外側から飛びつき、右肩から相手に抱きつく。周りから見るとごつい男に抱きついているように見えるが、今は気にする余裕もない。


 突っ込んだ守人は何も考えずにひたすら両手でPJの頭を掴んだ。耳元や目の位置を気にする暇もない。何しろ相手は振りほどこうと暴れるのだ。更には両手を引き剥がそうとする。生身の人間で機械化した者の力には長く抵抗はできない。


「ガアアァァァ!」


「くっそ!」


 これ以上は無理だと守人が手を離しそうになったとき、突然PJが暴れるのを止めた。


 いきなりのことに驚きつつも、必死に抱きついていた守人が相手の様子を窺う。まるで時間が止まったかのようにPJは固まっていた。




 金庫室が空っぽだったことはPJにとって衝撃的だった。今まで信じて疑っていなかったお宝が実はなかったなど簡単には受け入れられない。


 しかし、目の前の光景以上に驚くべきことがPJの身に起こった。突然体を動かせなくなったのだ。しかも、警告メッセージを見てPJは愕然とする。


『目標を達成したことにより、本機体は偽装意識から切り離し、暴走モードに移行します。目標地点の周囲にいる人物をすべて殺害した後、本プログラムおよび偽装意識は消去されます』


 声すら出せなくなったPJはその警告メッセージを認識し続けた。突然そんなものが表示されたことが理解できない。五感はすべて断たれ、周囲の状況もわからなくなった。外部とのやり取りは警告メッセージのみだ。


 その間、サイボーグボディは周囲の敵味方を問わずに襲い続ける。最初はケニー、次いでその仲間、電灯の光が消えてからはマサが連れてきた高校生。


 体に受けた損害を顧みることなく戦い続けたPJのボディだが、高校生を襲い始めたときから動きが鈍る。


『機体内部に外部からのウイルスを検知しました。これより排除を実行します。排除成功。機体内部に外部からのウイルスを検知しました。これより排除を実行します。排除失敗。排除を再実行します。排除成功。機体内部に外部からのウイルスを検知しました。これより排除を実行します。排除失敗。排除を再実行します』


 突然繰り返される警告メッセージに、PJは発生したウイルスによってサイボーグボディが侵食されつつあることを知った。いくらでも増殖するらしく、警告メッセージが延々と繰り返される。


 何がどうなっているのかわからないままのPJだったが、突然五感が戻った。体は動かせないが周囲の状況は理解できるようになる。体には重度の損傷を負っており、右肩から高校生に抱きつかれて頭を掴まれていた。


 そんな状態で、半透明の蝶々の羽の付いた小さな妖精が目の前に現れる。


『何がどーなってんだ?』


『ハーイ! 初めまして! あたしはスードフェアリー! この研究所で生まれた電子生命体よ!』


『は?』


『お~、思いっきり驚いているわね! 無理もないわ。だっていきなり目的のものにであったんだもの!』


『この虫みたいな羽のチビがか?』


『ひどいこと言うわね~! それはあんたの視覚情報をハックして見せてるの! 本体はそこのあんたに抱きついている高校生の中よ!』


『なんだと!? あのガキ、横取りしてやがったのか!』


『あんた達が見つけ損なっただけよ。人を逆恨みしないの』


 怒った顔の妖精がPJを指差して注意した。その後、目の前をちょこまかと動き回ってから再び話しかける。


『さて、自己紹介が終わったから本題に入るわね。あたしがあんたの中に入ってきたのは、この暴走モードっていうのを止めてあんたの言う高校生を助けるためよ』


『随分とご執心だな! すっかり調教されてるってわけだ』


『調教なんてやらしー。ま、それはともかく、あんたのサイボーグボディを止めるためにあたしはここにやって来たんだけど、ちょっと面白いことがわかったのよね』


『面白いこと? はっ、オレが自分の体を使えなくなったことか?』


『それも面白いことの中の一つね。でも違うわ。あんたの記憶レコードとあんたを支配しているプログラムの情報ログを見たのよ』


『おい待て、オレを支配しているプログラムだと?』


『そーよ。はっきり言うと、あんたは記憶を改竄された電子擬人スードヒューマンなのよ』


 あっさりと告げられた事実にPJは反応を示さなかった。


 電子擬人とは、人間の意識や記憶を電子化することでコンピューター上に複製した存在である。あくまでも複製であって当人が電子空間に移住したわけではない。複製後に調整することによって高度な能力を発揮できる。犯罪防止のため能力は厳しく制限されるが、違法な電子化を試みる犯罪者は多いという問題のある技術だ。尚、正式名称はエレクトロニックスードヒューマンだが、一般的にはスードヒューマンと呼ばれることが多い。


 黙るPJにアニマは更に告げる。


『つまり、あんたはPJ本人じゃない。情報ログの方は隠されていたからまーしょーがないとしても、あんた記憶レコードに違和感なかった?』


『まさか、そんなまさか』


『あー気付いてはいたんだ。ということは、プログラムに思考誘導されたのかな。それなら仕方ないわねー。だったら情報ログを見られるようにしてあげるから、記録レコードと付き合わせてみなさいな』


 解放された情報ログを見たPJは目を見開いた。本当の意味での記憶はスキルナの元で目覚めたときからしかないこと、それ以前の記憶は複製元の記憶から都合の悪い部分を削除されていることなど、改竄や調整されたところは枚挙に暇がない。


 反応のなくなったPJにアニマが他の事実も伝える。


『あたしから客観的に言うと、あんたは何らかの理由で本人の代わりに暴れて、最後は暴走して破壊されることになっているわね。この頭部に乗せられている脳は活動停止した誰かのものをホルマリン漬けにしたものよ。ご丁寧にバイタルデータも偽造してあるじゃない。異常検知しないよう各種数値が固定されているわ』


『認めねぇ』


『あら?』


『オレは絶対認めねぇ! オレはニセモノなんかじゃねぇ、ホンモノだ!』


『あーあ、耐えきれなかったかー』


『うるせぇ! てめぇを支配して調教すりゃ、この世は思いのままだ! ホンモノをぶち殺して、オレがホンモノになりゃいいんだ!』


『そっちに行っちゃうかー。で、あたしを支配する方法って?』


『ははは! オレはお前を制御するプログラムを持ってんだよ! こいつを使えばてめぇはオレのモンだ!』


『あ、その実行ファイルは!』


 追い詰められたPJは持っていた電子生命体を制御できるというプログラムを実行した。すると、警告メッセージが現れる。


『本プログラムおよび偽装意識を削除する処理を実行します。処理完了後、頭部内を溶解処理します』


『削除処理:0%実行中』


『は?』


『削除処理:5%実行中』


記憶レコード情報ログをちゃんと突き合わせていなかったの? それ、処分プログラムよ?』


『削除処理:20%実行中』


『そ、そんな。ウソだ!』


『削除処理:30%実行中』


『まー自分で選択したんだし、仕方ないわねー。おっと、メモリ領域がガリガリ削られているわね。それじゃ、あたしは帰るわ。バーイ!』


『削除処理:50%実行中』


『おい、ちょっと待て! これを何とかしてくれ!』


『削除処理:60%実行中』


『まって、たすけ』


『削除処理:70%実行中』


『いや、だ』


『削除処理:80%実行中』


『た』


『削除処理:90%実行中』


『削除処理が完了しました。これより、頭部内を溶解処理します』

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