テロリスト制圧
智代が金庫室に連れ去られた頃。
月野瀬高等学校の西側にそびえる山は教職員や在校生には裏山と呼ばれている。国有地であり立ち入り禁止なのだが、個人の不法投棄以外ではほぼ顧みられることもない。
そんな山であるが、一部の在校生は学校の西側にある壁を越えて出入りしている。理由は様々だが大体のところはノリと勢いであることが多い。
先日友人から聞いたその話を信じ、守人は学校を迂回して裏山に忍び込んだ。そうしてようやく裏山側から学校の壁にたどり着く。
「あー疲れた。やっと着いた」
『ここって学校の北西側よね。ここから入るの?』
「もうちょっと行ったところにビールケースがあるはずなんだけど、おおあった!」
壁沿いに南へと進んだ守人は階段状に積み上げられた逆さ状のビール瓶のプラケースを見つけた。かなり前から置いてあるらしく、どのケースも見た目は汚れている。
「このケースを上って学校に入るんだ」
『テロリストのドローン見つからないようにね』
「この辺りは大丈夫。周りは木で囲まれているし、旧北校舎の電波妨害装置の範囲だから敵のドローンは近寄れないよ」
『へー、なかなか考えてるじゃない』
アニマに褒められて気を良くした守人はビールケースの山を上って壁の奥の様子を窺った。周囲には人影もドローンも見当たらない。
安全を確認した守人は立ち上がって壁を乗り越えた。学校内側に着地する。
「侵入成功っと。うん、やっぱり誰もいない」
『次は電波妨害装置を取ってくるのよね。旧北校舎にはどうやって入るのかしら?』
「鍵の掛かっていない窓から入るんだ」
注意深く周囲を見ながら守人は壁沿いの林を抜けて旧北校舎の北西の端に近寄った。北面には裏返されたビールケースがいくつか置いてある。
「この端の窓を開けて中に、ってあれ? 動かない? あ、鍵が閉められてる!?」
『どーするの? 窓を割るっていうのも一つの手段だけど、人がいないからって音を立てるのは危険よ』
「出入り口は鍵が閉まってるだろうし、マジでどうしよう?」
『んー、あとはこれを伝って上るとか?』
「え、この雨を集めるやつ?」
『
呆然としながら守人は雨樋のてっぺんを見上げた。十メートル以上はある。
顔を引きつらせた守人はしばらく声を出せなかった。その間にアニマが説明を続ける。
『一般的な建築っぽいから大体十三メートルくらいかしら』
「この雨樋ってやつの留め具って、人が乗っても大丈夫なのか?」
『まぁ普通は想定されてないわよねー』
「マジかよマジかよ、これしかないのかよ? え、上るの? これを?」
『迷っている時間はないわよ。やるか諦めて他の方法を考えるかすぐに決めないと』
「ちくしょう!」
泣きそうな顔をして恨み言を吐いた守人は雨樋に取り付いた。留め具も雨樋そのものも頼りないことこの上ない。それでも手足を引っかけてゆっくりと上っていく。
『下を見ちゃダメ、上だけ見て同じペースで進むの! 止まったら動けなくなるから!』
「ひっ、
手に金具が食い込む傷みを我慢しながら守人はひたすら雨樋を伝って上った。最後の屋上に手をかけたときにはくじけそうになったが、今更下りられないので気力を振り絞る。
どうにか登り切った守人は屋上に座り込んだ。しらばく荒い息を繰り返す。
「ぜーはーぜーはー、マジで死ぬかと思った」
『よくやったわね! ちゃんと登れたじゃない!』
「留め具が緩んだときはもうダメかと思ったよ。あー、マジ疲れた」
『それで、電波妨害装置ってどこにあるの?』
「あの屋上の出入り口の裏側なんだけど、うわぁ、制服がドロドロだ。洗って落ちるかなぁ、これ。母さん絶対怒るぞ。やっぱりやんなきゃ良かったかなぁ」
『洗濯物の心配は後でする! さぁ、早く行って!』
追い立てられるように急かされた守人はふらつきながらも電波妨害装置へと近づいた。出入り口の影に隠れるように立っていたそれは以前のまま三脚によって支えられている。
『これね。モリト、ちょっと
「いいけど、どうしたんだ?」
『おお、確かに電波が妨害されているわね! うん、これならドローンを落とせるわ!』
「で、問題はどうやって持って下りるかだけど」
『もう一回雨樋を伝うんじゃないの? まだ他にもあるんだし』
「絶対無理だ。だから階段から下りる」
『屋上のあの扉って開けられるの?』
「あれって鍵がかかってないんだ。この前来たときにそのまま開けられたんだよ」
『さっきもそう言っていた窓は閉まっていたわよね? 大丈夫?』
「うっ、そう言われるとちょっと自信がなくなるけど、とりあえず試してみよう」
三脚に乗せられていた重りをどけた守人は屋上の扉の前まで電波妨害装置を運んだ。それを脇に置くと汚れ立てで扉のノブを回して引く。するとゆっくり開いた。
『お~、今度はちゃんと開いたわね!』
「そうだろう! よし行こう!」
安堵のため息を漏らした守人は電波妨害装置を持って旧北校舎へと入った。扉はもちろん、足音もできるだけさせないよう慎重に階段を下りていく。一階まで下りると階段の北にある出入り口から外に出た。
一旦装置を床に下ろした守人が大きく息を吐き出す。
「あー疲れた」
『ここからだと北校舎が近いわね。プールの北側の林を通って行きましょ』
「俺もそれでいいと思う。ここから南校舎に行くのはちょっと遠いもんな。ところでアニマ、これを使ってドローンを落とすって言ったけど、具体的にはどうしよう? これを持ってそのまま近づけばいいのか?」
『うーん、そうねぇ。林の中を隠れながら近づくしかないわね』
「ドローンは校舎の周りを飛んでるのか?」
『恐らくね。校舎の周りも警戒しなきゃいけないけど、人手はそんなに多くないだろうし、隠れる場所のないところはドローン任せのはずよ』
「となると、テロリストは校舎の中でドローンは外ってことか。そういやこの装置、スイッチってないのかな? ああこれか。アニマ、妨害電波はまだ出てるか?」
『ちゃんと切れているわよ。オンオフができるのなら、狙ってドローンを落とせるわね。問題はどこで実行するかだけど』
「プールの北側に沿って行けば、北校舎の西の端まで林伝いに隠れて行ける。あそこならあんまり見つからずにドローンを落とせるんじゃないか?」
『だったらそこにしましょう。その電波妨害装置、オフにしたまま持って行ってね』
「腕が疲れてきたんだけど」
『我慢して』
あっさりと却下された守人は肩を落として電波妨害装置を手に北校舎を目指した。プールの北側を抜けると林越に北校舎の建物が目に入る。更に近づいて木の裏側に隠れた。
そっと北校舎近辺を窺うとちょうどドローンが近づいてくる。
「あれ、こっちに気付いてるのかな?」
『たぶん校舎の周囲を巡回しているんだと思うわ。あれを落としましょ。モリト、指示したらスイッチをオンにして』
「わかった」
『それで、ドローンが落ちたら拾ってほしいの。妨害電波が出た状態じゃアンテナを直接触ってくれないと乗っ取れないから』
「あんまり重くないといいんだけどな」
『十キロないと思うわよ。来た。五、四、三、二、一、今!』
指示された守人は電波妨害装置のスイッチをオンにした。すると、北校舎の北面から西側へと回り込もうとしたドローンが、曲がりきれずに林の枝にぶつかって落ちる。
すぐさま飛び出した守人はそのドローンを持ち上げて林の中に引っ張り込み、アニマの指示に従ってアンテナらしき突起物を手で触った。
そのまま守人がじっとしているとアニマの嬉しそうな声が頭に響く。
『成功! 周波数もわかったわ! モリト、もうあのスイッチを切ってもいいわよ! これで後はどうとにでもなるわ!』
「ちょっと待ってろ。よし、切ったぞ!」
それまで挙動不審だったドローンが何事もなかったかのように浮かび上がり、再び巡回ルートに戻っていった。
乗っ取ったドローンを見送った守人は肩の力を抜く。
「これで後は待っていたらいいんだな」
『そうね。その間に、その装置を屋上に戻しておきましょ』
「うわめんどくせぇ」
『跡を残さないっていうのは大切よ。戻したらまたここに戻ってちょうだい。その装置の範囲外に出ないと受信できないから』
「はいはい、わかった」
うなだれつつも守人はアニマの言葉に従った。階段の往復はなかなか疲れるものだが、屋上を合わせても四階しかなかったことが救いである。
すっかり疲れ果てた守人はプールの北側を抜けた林に戻って来た。枝の向こうに見える北校舎をぼんやりと眺めながら木にもたれて座る。
「後は待つだけか。どのくらいかかりそうなんだ?」
『もうそろそろね。学校のネットワーク回線にも入れたから監視カメラで色々見ているけど、人質の生徒は中校舎の二年B組の教室に集められているわ。テロリストは中校舎だけで七人、他の校舎には四人ずつね。あと、用務員小屋に一人、これ用務員? しかも
「どういうことなんだ?」
『わからないわね。脅されているのかそれとも自主的に協力しているのか。ともかく、用務員にはアクセスできないから保留するしかないわ』
「他のテロリストは全員押さえられそうなのか?」
『ほとんど機械化していないヤツ一人だけ無理ね。それ以外はハックしたら体の動きを止めて拘束できるけど』
「どこにいる奴なんだ?」
『中校舎の三階にいるヤツよ。人質の安全を優先するならドローンで撃った方がいいわね』
「ここまで来たんだ。何とか生きたまま捕まえられないか?」
『余裕ぶっていると死ぬわよ? 今の状況ってあたしありきだってわかってる?』
「わかってる。俺はお前の運搬役みたいなことしかしてないしな。でも、ここまで危険なことをしておいて、ここで安全じゃないからってやらないと絶対寝覚めが悪くなると思うんだ」
『リスクは跳ね上がるけど、いいのね?』
「うん、やる」
わずかにためらった後、守人はうなずいた。アニマがそれに答える。
『いいでしょ。だったら作戦を伝えるわよ。あたしがテロリストに仕込んだウイルスを一斉に起こして動けなくしたら、モリトは全力で走って中校舎の西側の扉から中に入りなさい。そこから廊下に沿って階段まで進んで一気に三階まで走りきること。その間、三階にいるテロリストは外からドローンで釘付けにしておくわ』
「三階に上った後はどうするんだ?」
『あんたの体の管理権をあたしに貸して。近づいて首を絞め落とすわ』
「柔道みたいなやつで?」
『そんなものよ。あんたに格闘技の経験があればよかったんだけど、そんなのないでしょ』
「そうだな。お前はどこでそんなことを覚えたんだ?」
『あんたが寝ているときに色々とプログラムを走らせていたのよ』
「俺の
『していないわよ。あんたの体の方がずっと面白いんだから』
「大丈夫かよ、俺」
日常生活の裏に漂う不穏な影を感じ取った守人は震えた。しかし、今はそれどころではない。最終的にはアニマの案に賛成した。
好スタートを切るため、守人は林で隠れられるぎりぎりの位置まで中校舎に近づく。
「あんまり近づけないな」
『仕方ないわよ。ともかく、モリトは中に入って三階に上がることだけ考えて』
「わかってる」
『それじゃ、処理を始めるわよ』
アニマが宣言してからしばらく静かだった。守人には何が起きているのかわからない。
『ドローンの乗っ取り完了。ドローン発偽装通信開始。テロリストの制圧、二人以外完了。用務員はとりあえず無視。テロリスト発偽装通信開始。中校舎三階の一人は偽装通信で騙せた。短時間なら気付かれない。モリト、行って!』
合図を聞いた守人は林から抜け出して中校舎目指して全力で走った。先程までの疲労で体の動きが鈍いがあえて無視する。
中校舎の西側出入り口にたどり着いて扉を開けると目の前の廊下を駆けた。完全武装のテロリストが二人倒れて震えていたが無視する。
階段に着くとそのまま走り上がった。何段か飛ばしながら上を目指す。
二階にたどり着いたとき、上の階から硝子の割れる音と発砲音が聞こえた。今は無視して体を動かす。
そして、三階にたどり着いた。足が地に着いた瞬間、アニマが守人に告げる。
『モリト、体は預かるわよ!』
頭にアニマの声が響いた瞬間、守人は自分の意思で体を動かせなくなった。幽体離脱したわけではないが、体がそこにないかのような不安定な感覚に包まれる。
主体者が変化すると体の動きがまったく異なった。それまでの素人の少年から何かしらの経験者の動きに変わる。
突然襲ってきたドローンに対応していた作業服姿の男が守人に気付いた。目を剥きつつも拳銃を向けようとする。しかし、突っ込んで来たドローンに体当たりされてよろめいた。
無表情で声を出すこともない守人は体勢を崩した作業服姿の男の右手首を蹴り上げる。そのままはじかれた拳銃を見向きもせずに男の背後を取って首を締め上げた。当然抵抗はされる。しかし、完璧に腕を首に巻き付けて数秒すると男は力なく体をだらけた。最後に手早く服を脱がして上着とズボンで手足を縛る。
『はいおしまい! モリト、体を返すわよ』
「え? あ、おお? ぜーはー」
急に体の支配権を返された守人は荒い呼吸を繰り返して崩れ落ちた。何もできない。
「きっつ!」
『そりゃ体を限界まで使ったもの。ま、しばらく休んでいたら回復するわよ。あたしはその間に人質の解放をしておくわね』
返答のできない守人をそのままにアニマが次の作業に入ると宣言した。
廊下で四つん這いになる守人はひたすら呼吸を繰り返す。落ち着いたのは少し後だった。
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