第3話「ご近所さん」


「――おはようございます」


 朝にゴミを捨てに行ったときのことだった。

 丁度同じタイミングでゴミ捨てに来たご近所さんBこと樋ノ内晶子さんから声をかけられた。


「佐藤さん。編み物を始めたんですってね」


 おぉ、と心の中で驚きの声が出る。

 あまりご近所付き合いのない樋ノ内さんから話し掛けられた。


「はい。昨日の夜からスタートしました」


 編み物の大ベテランである彼女とこうして話すのはいつ以来だったかと記憶を振り返る。私の母と同世代なせいか、母と話すところは何度か見たことはあったけど、私と一対一で話すことなんてほとんどなかった。今みたいなゴミを出しに行く際たまたま出会って挨拶程度の声を掛け合うくらい。

 それがまさか編み物を始めたという理由だけでそれ以上の会話に発展するとは。


「独学でやっているの?」

「本見てやってます。最近出たばかりの新刊を買いました」


 スマホを取り出してタイトルを検索し「これです」と本の画像を見せると「ああ、これね」と既に知っているご様子。


「持ってるんですか?」

「少し前に本屋さんでちょっと立ち読みしたの」

「どうでした? ベテランさんから見て内容は?」

「ちょっとベテランさんはやめて」と樋ノ内さんは笑う。みんなよりちょっと長くやってただけだからと言うけれど、嬉しそうだ。

「悪くないと思うんだけど、でもちょっと説明が足りてないんじゃないかなって箇所は何個かあったかな」

「え、そうなんですか?」

「こういう初心者におすすめって書いた編み物の本はよく出るんだけど、大概そんなものなのよ。日本語の難しさってのもあって伝わりにくいのもあるんだけど、それとは別に本を作った人がこの技術は知ってて当たり前だからってことで説明を省いたりとかもあってね」

「それはちょっと困りますね」

「折り紙とかもそうだけど細かい技術が必要なやり方を文字やイラストで伝えるのって難しいの。写真付きでもわかりにくいものも多いから。やっぱり人から直接教わるのが一番かなって」

「樋ノ内さんが編み物を始めたときは誰かに教えてもらってたんですか?」

「もう大分前の話だけど、近所に教えるのがすっごい上手な先生がいて、その先生のおかげで編み物が楽しくなれたの」


 ――すっごい上手な先生? 美里香ちゃんも同じようなこと言ってた。


 そして樋ノ内さんもよかったら教えてあげるとグイグイ来る。年齢差もあるせいかまるで我が子に接するお母さんみたいに。

 正直に言うと美里香ちゃんと違って樋ノ内さんは今日こうして話すまでは苦手としていたご近所さんだ。

 話が合わないとかじゃなく、近寄りにくい。

 その理由として挙げられるのは間違いなくその背の高さ。過去に出会ったおばあちゃん達と比べても圧倒的ダントツで背が高い。しかもおばあちゃんとは思えないくらい姿勢が良いせいか余計大きく見えてしまう。女性の平均身長にあと一歩というところで届かずに止まってしまった私の体格では怖いくらいだ。

 しかしこうして話をしていると全然普通な人だ。過去に交わした言葉が少なかったせいか勝手に怖い人認定していたけれど全然違った。


「もしわからないところあったら言ってね。編み物なら大得意だから」


 そして美里香ちゃんと同じく。笑顔の彼女も教える気まんまん。


 ――でもやっぱり。まずは自分でやりたい。


 そんなわけで美里香ちゃんのときと同じセリフを採用。二人の話を聞いていると編み物は教えてもらう方が上達が早いであってるみたいだけど、まずは自分の力でやってみたい。せっかく本も買ったんだし。


「ありがとうございます。詰まったらそのときはお願いします」

「遠慮なく言ってね」と満面の笑顔で言われ、樋ノ内さんとはそこで別れた


 ――と、思いきや。


「あ、ああ、ちょっと……」


 困った声が聞こえる。

 なんだろうと振り返ってみれば樋ノ内さんの足元に一匹の太ったぶち猫が。


「ど、どうしたの? なんで寄ってくるの?」と樋ノ内さん。すっごい困った顔をして猫から離れようとするものの、猫は追いかけるようにすり寄ってくる


 ちょっと笑ってしまったが、ハッとする。もしかしてと思って慌てて駆け寄った。


「樋ノ内さん猫アレルギーですか?」

「そうじゃないんだけど、昔から猫だけは苦手で……」


 本気で困っているので「よいしょ」と猫をとっつかまえて進行を阻止。よくみると近所のレオくんじゃないか。


「ありがとう助かったわ」

「樋ノ内さん。猫に好かれるタイプなんですね」

「そんなことはないんだけど」と否定。でもそうにしか見えない。そして猫を持った私から逃げるように去って行く。よほど苦手なようだ。


 ――あんなに大きい人なのに。意外な一面。


 ――でもおかげで親しみやすくなった。わからないところがあれば聞きに行っちゃおう。


 などと思っている私だが、実は内心人から教わらなくてもなんとかなるだろうと高を括っている。たとえ本を何回読み返してクリアできなかったとしても、今の時代にはYouTubeがあるからと。

 今までいろんな困難に出会ったことがあるが、大概のことはそれで解決できてしまうことは多かったから。 

 そんな風に編み物を甘く見た私に天罰が下るのは、これからすぐのことであった。

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