第5話 王太子の婚約者になりました

 巨大で壮麗な石造りの王宮はまるで空に向かって伸びるような尖塔と、金箔で飾られた大理石の柱が特徴でした。王宮に招待されたのは私だけではなく、伯父様夫妻も一緒です。招待状は私とモクレール侯爵夫妻を招くものだったのです。


 通されたのは王族方が寛ぐサロンで、壁一面に王族の方々の肖像画が飾られていました。そこで私は王太子殿下の婚約者になるように国王陛下に言われたのでした。


「光栄でございます! もちろん、モクレール侯爵家としては異論などございません。カトリーヌや、でかした! お前はなんと親孝行な娘だ。国王陛下、私どもはカトリーヌを10才の頃から引き取りまして、愛情を込めて育ててまいりました。当初から、実の娘のように可愛がってきた甲斐がございました」


 伯父様は即座に国王陛下からの申し出を承諾しました。ですが、私はとてもそんな気持ちにはなれません。


「私が王太子殿下の婚約者になるなど恐れ多いことです。私のお母様は庭師だったお父様と駆け落ちをしたそうです。ですから、私には平民の血が半分混ざっております。王太子殿下とでは身分が釣り合いません」


 魔法庁で最も権威のある一等魔道士の称号を授かることが夢でした。そうすれば、私は誰にも迷惑をかけることもなく自分の力で生きていけます。私にとって王太子妃になる未来は全く想像もつかず、ただ恐ろしい未知の世界だったのです。


「身分のことなど心配せずとも良いのです。お母様のサーシャはとてもお気の毒でした。あのように若く美しかったサーシャが、ヘンズリー公爵と結婚するのを拒んだのも無理はありません。ヘンズリー公爵は国王陛下の叔父にあたる40歳近い男性で、サーシャはまだ16歳だったのですよ。怖くなって逃げ出したとしても、誰が責められるでしょう?」


 王妃殿下は伯父様夫妻に咎めるような視線を向けた後に、私に向かってにっこりと微笑みました。


「そうだとも。それに、ヘンズリー公爵は大金持ちだが、乱暴者ですぐに癇癪を起こすことで有名であった。儂の叔父上なので悪くは言いたくないが、サーシャの結婚相手としてはあまりにも酷い話だ。そういえば、モクレール侯爵にはニコルという娘がおるな? ニコルの結婚相手にも、40歳近い癇癪持ちの男を選ぶのか?」


「ふふっ。もしそうであるのなら、私が紹介いたしましょう。妻に暴力を振るうことで離婚になった、今年41歳になるミリントン侯爵などいかがでしょうか? あちらもとても財産家ですわ」


 王妃殿下は楽しそうにミリントン侯爵が所有している土地家屋などの評価額を披露していきました。伯父様たちの顔は引きつり青ざめています。


「・・・・・・お、おっしゃる通りです。あの縁談は私が軽率でした。サーシャには申し訳ないことをしました。弁解のしようもございません」


 伯父様は国王陛下夫妻にしきりに反省の言葉を口にしていました。モクレール侯爵夫人も一切反論することはありません。反論をすれば、ニコルがミリントン侯爵と結婚させられてしまうかもしれません。それほど、国王陛下夫妻の圧は凄かったのです。


「ですからね、サーシャは少しも悪くはありませんよ。悪いのは妹にそのような縁を結ばせようとしたモクレール侯爵ですわ」


 朗らかにお笑いになる王妃殿下に私は嬉しくなりました。このような高貴な方が私のお母様の味方になってくださるなんて、とてもありがたく光栄だと思ったのです。


「儂らはカトリーヌの父親が庭師の平民だったことなど少しも気にしておらん。それよりも、カトリーヌの上位魔法を自由自在に操れる能力は国の宝だと思っておる。だからこそ、王太子を支え力になってほしいのだ」


 王太子殿下は生まれつき病弱な方で、王宮の庭園しかお散歩したことがないほど寝込むことが多いと聞き、同情の気持ちもわいてきました。


「今日もベリスフォードは寝込んでいます。先日は体調も落ち着いていたのに、今日は朝から熱が出てしまいました。カトリーヌに会えるのを楽しみにしていましたのよ。そうだわ、ベリスフォードを見舞ってもらえないかしら? きっと、カトリーヌの綺麗な顔を見れば元気がでますわ」


 王妃殿下は悲しそうです。病弱な子供を持つ母親の心配は尽きることがないのでしょう。



 ベリスフォード王太子殿下のお部屋に伺うと、赤毛に整った顔立ちの少年が青白い顔で、ベッドに横になっていました。私たちの気配でパチリと目を開けたその瞳も炎のように赤く、王妃殿下にそっくりでした。


「あなたがカトリーヌ嬢ですか? ごめんなさい。今日は必ず元気でいて、カトリーヌ嬢に挨拶をしたかったのですが、この通り不甲斐ない身体なので叶いませんでした。カトリーヌ嬢は火魔法を極めているのでしょう? 実は私の魔法属性も火なのですが、病弱ゆえ魔法を練習することもままなりません。カトリーヌ嬢が羨ましいです」


 憧れるような眼差しを向けられて戸惑いました。私は王太子殿下のような身分の方に憧れられるような立場とは思っていませんでしたから。


「ベリスフォードはカトリーヌより2歳年下です。寝込んでばかりいるので痩せているし身体も小柄だけれど、きっとそのうち元気になってくれると信じているのです。どうかベリスフォードを支えてください」


「このような病弱な私で良かったら婚約者になっていただけませんか? カトリーヌ嬢が婚約者になってくれれば、きっと元気になれる気がするんです」


 ベリスフォード王太子殿下の綺麗な赤い瞳がキラキラと輝きました。痩せ細って弱々しい身体のベリスフォード王太子殿下がお気の毒で、私は支えて差し上げたいと決心しました。


「私で良かったら婚約者になります。ベリスフォード王太子殿下には元気になってほしいです」


 私がそのように申し上げると、王妃殿下は私を抱きしめて何度もお礼をおっしゃいます。


「ありがとう。あなたは私たちの天使だわ」


 これほど感謝してくださることが嬉しくて、私もこのご縁を喜ばしいものと思うようになりました。王宮を頻繁に訪ね優しい王妃殿下に接していると、お母様が存命であったのなら、きっとこのような感じなのかもしれないと思うようになりました。私は王妃殿下に実のお母様の姿を重ねていたのです。


「どうか、私を第2のお母様と思ってくださいね」


 そのようにおっしゃる王妃殿下に、私の心は癒やされ温かい気持ちになるのでした。


 私がベリスフォード王太子殿下の婚約者になったことは瞬く間に社交界に広まり、伯父様夫妻はあらゆるパーティに引っ張りだことなり、嬉しい悲鳴をあげていました。


「カトリーヌちゃんのお陰で王妃殿下には誰よりも先にお声をかけていただけるのよ」


 モクレール侯爵夫人はいつも上機嫌で私を褒めちぎります。伯父様もそれは同じで、私は二人の自慢の娘になったのでした。




☆彡 ★彡





 私は王太子妃教育のために毎日、王宮に通います。授業内容自体はそれほど難しくはないし、長時間でもないのですが、モクレール侯爵家に帰る頃にはぐったりと疲れてしまいます。


 最初の頃は慣れない王宮に通うストレスから疲れるのだろうと思っていました。ですが、徐々に食欲がなくなり食べられる量が減りました。それに伴い頬もほっそりとし、ウエストも細くなっていきました。


「カトリーヌ嬢は少し痩せましたか?」


 いつものように王太子妃教育が終わった後に、王宮の庭園でベリスフォード王太子殿下とお茶を頂きます。最近のベリスフォード王太子殿下は寝込むことも減り、庭園を元気にお散歩するようになっていました。


「はい。最近、どうしたことか疲れやすくて、食欲もないのです。お医者様に診ていただいてもなんの異常も見つかりませんでした」


「それは困りましたね。最近の私は食事が美味しくて、いくらでも食べられる気がするのですよ」


 微笑むベリスフォード王太子殿下は、確かに以前よりもずっと健康的な血色を帯びていました。ですが、私はそれに相反するように、ますます体調が悪くなるのでした。 

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