生死選択基本法

一文字零

生死選択基本法

 俺が生まれて少し経ってからの出来事。政府は「生死選択基本法」を施行した。これは、施行後満十八歳となった全ての国民に対し、「これからもこの世界で生きていくかどうか」を選択することができる、というもの。

 生きていく選択をしたものに対しては、これからも社会生活を送ることになる。生きていかないという選択をしたものに対しては、国から安楽死が認められ、特殊な施設でその生涯を終えることになる。

 一見残酷に見えるこの法律だが、これが施行された背景には「自分が生まれてくるかどうか、ということに関しては、生まれてくる本人の意思は尊重されないし、尊重することもできないが、生きていくかどうかについては自分の意思で選択することができる。自らの人生の存続の是非を問う権利を認めることは、人権を尊重することに繋がる」という論調が強まったことにある。これは延命措置が必要な際に、本人等の意思に基づきそれを行わない選択をする「尊厳死」の考え方に近いと言える。

 ほとんどの国民はこの法律に賛同しており、学校でもこの法律について教わるようになっているが、俺は今までずっと、この法律に疑問を抱きながら生きている。自らの意思で生まれてきた訳ではないにしろ、尊い命を自らドブに捨てるような行為は道徳的ではないのではないか。この世界で生きていきたくないと思ってしまうような人がいるこの社会を変えていくことがまず大切なのではないか、と。

 そんなことを考えている内に、待ち合わせていた友人がやってきた。


「ごめん、セイ。遅れた」


「大丈夫、あんま待ってないから」


 俺達は商店街にある喫茶店に向かった。ランチがてら彼と話したいことがあるのだ。


「にしても、ここのパン美味いなー」


「あぁ」


「で? 話ってなんだ?」


 口をもぐもぐさせながら友人のシンは話す。


「『選択』についてだよ。俺達、もう十八なんだぞ。こっから考える猶予は一ヶ月しかないって、法律で定められてるだろ」


「あーそれなら、オレは死ぬって決めたよ」


 シンがごくりとパンを呑み込んで、あっけなく言った。俺はその言葉に戸惑いを隠せずにいた。


「えっ……死ぬって……お前正気か?」


「正気も何も、この『選択』は個人の自由だろ。咎められたり、否定されたりするようなもんじゃねぇよ」


「いや、そう、だけど。まさか、いつも楽観的なお前の口からそんな言葉が飛び出してくるなんて思ってなくて」


「セイ。お前なぁ、オレのことなんにも分かっちゃいねぇよ。大学二回落ちて、バイトも三回連続一週間ちょいで辞めて。なーんか、もう頑張れなくてさ」


「そんな理由でかよ?」


「そんな理由ってなんだよ。こっちは本気なんだ。人のこと否定するのもその辺にしろよ」


「俺はお前のこと心配して言ってるんだぞ? シンは俺の大切な親友なんだ」


「親友である前にお互いそれぞれ独立した人間だ。セイは昔から考え方が自殺止めようとしてくるような昔の人みたいなんだよ。時代遅れだぞ」


「おかしいのは世間だ! 命を無駄にして、何が人権だよ」


「あのな、お前は小中高と学校の成績良かったから、分かってくれると信じて言うけど、この社会には様々な苦しみがあるよな? その対価たる幸せってのはな、苦しみの量に見合ってねぇんだよ。これは感じ方の問題だと思うが、オレは人生において幸せよりも苦しみの方が多いと感じるから、オレは死を選ぶんだよ」


「そんな……やめてよ。シンには、生きてて欲しいよ……この世界でも、必ず生きられるよ……」


「あーいや、泣かせるつもりは無かったんだけど……オレは、セイのことが嫌いになった訳じゃない。むしろ友達としては大好きだ。でも、オレとお前が存在しているこの世界は大嫌いなんだよ。どれだけ引き止められようと、オレは自分の『選択』を曲げる気はない」


「うん……そうか。そうだよな……なんか、ごめん」


「いや、謝ることないさ。むしろこっちだよ、謝るのは。そこまでオレのこと好きでいてくれて、ありがとうな」


 それからも沢山、沢山シンと話して、泣きながら家のドアを開けたあの日から、一週間の時が流れた。

 午前一時。シンから電話がかかってきた。


「なぁ、セイ……オレやっぱり生きたい」


 啜り泣くシンの声がクリアに聞こえる。


「は? 急にどうしたんだよ?」


「オレさ……お前と話したあの日から、ずっとモヤモヤしてたんだよ。オレの『選択』は本当にこれでいいのかって。お前の顔とか、家族の顔とか、思い出しちゃって。なんか、申し訳なくなってきて、余計辛くて、しんどくて、悲しくて、生きることに決めた皆んなの姿見てると、情けなくて……生きてみてもいいんじゃないかって。皆んなと、もう少しでも話していたいって、思った」


「シン……そうか、それなら……」


 そして俺は咄嗟に「良かった」と言い放った。


「おう……ごめん。ありがとう。本当に。あの時お前と話せて良かったよ」


「うん。俺も。話せて嬉しかった」


 それからお互い「またな」と言い合って、電話を切った。

 結局、俺とシンはこれからもこの世界で生きる選択をした。

 いつもと変わらない日常がとめどなくやってくる。でも、その裏で大勢死んだ人がいるという事実だけが、心にに霧をかける。

 調べたところ、今年度の満十八歳で死ぬことを選んだ人々の割合は約8万人で、全体の約一パーセントらしい。

 ある朝、俺の携帯が久しぶりに鳴った。


「お、シンだ。やけに久々だな。昔はよく通話してたんだけど」


 俺はシンと久々に話せると少し期待して電話に出た。


「セイか」


「おん」


「オレ。やっぱりダメだったわ」


「え?」


「この世界で生きていくの、無理だったんだ」


 弱々しい声でシンが話す。


「おい、ちょっと待て、急にどうしたんだよ?」


「オレさ、なんか頑張れないんだよな。どうしても。努力が出来ない。あれからオレ、高卒で就職したって言ったじゃんか。一週間前、そこ辞めちゃったんだ。なんか資格とか必要になってきたし、上司嫌な人だし。なんか、もういいかなって。生きてみたけど、結局無駄な時間過ごしちゃったわ。マジで」


「は? なん……」


 俺が言いかける前に通話は切れた。二日後、シンの家族から連絡があった。「シンは亡くなった」と。自殺だったらしい。

 最初は状況が飲み込めなかった。信じられなかった。でも、シンの通夜に行った時、それは真実なのだと思い知らされた。

 あの法律が施行されてから、この国の自殺者が増えているという統計が出ていることを思い出した。シンも例外ではなかったのだ。

 シンの死から、俺は悶々と考えていた。間接的に言えば、俺がシンを殺したも同然ではないか、シンにとって死は、幸福そのものであったのではないか、と。

 ある人は言った。「人生は修行のようなものだ」と。世の中には辛いことや悲しいことが理不尽に降りかかることがある。でも、それは修行のようなものだから、耐え抜くことが重要であるという教えだ。でもそれは、理不尽なこの世界にその理屈を後付けしているようなもので、そんな言葉はほんの気休めに過ぎないのかもしれない。

 何十年も前からこの社会においては、生きることに消極的な態度や、自ら死を選ぶ行為は否定されてきた。それは何故なのか。その否定は正しかったのか。俺は答えが出せないまま、ただ、生きていた。

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