第38話 甥と姪

 昼食が終わり、俺は食堂から離れの自室へと向かった。

 長男のアルベール兄上が結婚したと同時に、俺と次男のシリル兄上は屋敷の離れへと部屋を移されたのだ。



 十九歳でこのヴァンディエール侯爵領の騎士団から引き抜かれ、王都の第三騎士団で一年後に団長になった時も戻って来なかったからなぁ。

 一応建物内は掃除はされているみたいだが、俺の部屋はどうだろうか。



 そっとドアを開けると、意外にも綺麗に保たれている。

 もしかしたら、呼び出しの手紙を送ったから掃除をさせたのかもしれない。



 ちなみにシリル兄上が嫁をもらったら、この離れが新居になるはずだ。

 まだ結婚していないところ見ると、嫁に来てくれる人がいないのか、どこぞの婿養子になる事を諦めていないのか。



 もしここが新居となった場合は、この部屋も使えなくなるだろうから本館の客間に泊まる事になるんだろうな。

 そうなったら王都に家を買うか借りるかしないと……いや、部下が酒盛りするためのたまり場になりかねん。



 最悪私物を全て魔法鞄マジックバッグに放り込んで、宿舎でそのまま生活した方が楽だろうな。

 せっかくミニキッチンを作った事だし。



「あ、どうせ食事は本館で作っているんだから、ここのキッチンは使われてないよな。甥と姪のお土産を何にしていいか迷って結局買ってなかったし、何か作ってやるか」



 キッチンを覗くと、さすがに使っていないせいか、少々埃っぽかった。

 使う場所だけを清浄魔法で綺麗にして、魔法鞄マジックバッグから必要な道具と材料を出す。



「とりあえず卵無しクッキーでも作るか」



 調理器具は揃っているし、材料さえあれば作れるのだ。

 向こう宿舎と違って、ここでなら俺の分もしっかり確保できるからな。

 部下の人数的に、大量に作っても少しずつしか食べられないから、もっと欲しいってうるさいし。



 売られている小麦粉って薄力粉じゃなくて強力粉がほとんどだから、いっそパンを作ってクリームパンとか作れば喜ばれるんじゃないだろうか。

 子供って甘いパン好きだし、弟達にはよく動物パンとか作らされたよなぁ。



「えーっと、カスタードって確か卵黄と砂糖と牛乳と薄力粉で作れたよな。分量が絵面でしか覚えてない……、あのレシピ本に書いてないかな……。まぁいい、今日のところはクッキーだけにしておくか」



 前回作ってからそんなに日にちが経ってないせいか、結構手際よくできていると思う。

 生地を冷やしている間にレシピ本を調べたが、カスタードクリームは載っていなかった。

 魔導オーブンで焼き始めて数分後、もうすぐ焼き上がるという頃にパタパタと軽い足音が聞こえてきた。



『ここだね!』



 可愛らしい幼い子供の声が聞こえたと思ったら、キッチンのドアが勢いよく開いた。

 入って来たのは俺と同じ銀髪に、瞳の色はジュリア義姉上と同じ緑の目をした幼児だ。



「お待ちくださいアレクセイ様! ここは今ジュスタン様もいらっしゃっているので……」



 アレクセイと呼ばれた幼児を追いかけていたメイドが、俺の姿を見て固まった。



「アレクセイ……という事はアルベール兄上の息子か。随分やんちゃなようだな」



「も、申し訳ありません!!」



 顔色を変えたメイドが頭を下げているが、アレクセイがこちらに向かって来たので手を上げて制する。

 アレクセイは俺のところまで来ると、不思議そうに見上げた。



「シリルおじうえじゃないおじうえ? ぼく、いいにおいしてるからきたの」



 キョロキョロと周りを見回しているが、クッキーは魔導オーブンに入っているからアレクセイからは見えない。

 俺はアレクセイを抱き上げた、軽いなぁ。



「そうだぞ、俺はジュスタンという。アレクセイが探しているものはこの中にあるぞ、お前達に土産を買ってこれなかったから作っているんだ」



「なにつくってるの?」



「それは焼けてからのお楽しみだ。いい匂いがしているだろう? 妹のアンジェルと仲良く食べるといい、もう少ししたら食べられるからな。お茶の準備をして待っててくれるか?」



「うん! ぼくのおへやでジュスタンおじうえまってるね! いこう、アンヌ!」



「は、はい。では失礼いたします」



 アンヌと呼ばれたメイドは安堵の表情を浮かべ、アレクセイと共にキッチンから出て行った。

 クッキーが焼き上がると、少し冷まして綺麗な形の物だけ木の器に盛る。



 伸ばした時に端だった部分は形が変だからな、これは俺が食べるか……騎士団に戻ったら部下にやるかだな。

 形の悪いひと欠片を口に放り込む。



「うん、やっぱりこっちの方が好きだな。時間があればココアのも作ったんだが……」



 子供二人分なら、この量でも足りないという事はないだろう。

 使った物に清浄魔法をかけ、クッキーを持って本館へと向かった。



 本館でメイドの一人にアレクセイの部屋まで案内させたが、明らかに俺の手元をチラチラと気にしている。

 料理人のいない離れから来たのに、あからさまに焼き立ての香りをさせているから不思議なのだろう。



「アレクセイぼっちゃま、ジュスタン様がいらっしゃいました」



 アレクセイの部屋の前に到着すると、メイドがドア越しに俺の来訪を告げた。



『わぁ! おじうえがきた! はやくはやく!!』



 メイドは俺を知らないはずのアレクセイがこんなに歓迎している事に、不思議そうに首を傾げながらもドアを開ける。

 部屋の中には小さな子供用テーブルの椅子に座っているアレクセイとアンジェル、その脇にはソファに座って戸惑っているジュリア義姉上が乳母と共にいた。



「あの、ジュスタン様、アレクセイにお茶の準備を申し付けたのですか……?」



「お邪魔して申し訳ない義姉上、子供達に菓子を作ったから食べてもらおうと思ってな。お土産代わりというやつだ。子供達にクッキーを食べさせてもいいだろうか?」



「え、ええ……。それより今つく」



「はやく、おじうえ、はやく!」



 ワクワクが止まらないアレクセイが催促する。

 義姉上が言いたい事はわかっている、俺が作ったという事に耳を疑ったのだろう。



「ははは、わかったわかった。夕食が食べられなくなるほど食べてはいけないぞ? 菓子だけでは大きくなれないからな」



「はい!」



「…………」



「アンジェルは人見知りなんだな。はじめまして、ジュスタン叔父さんがお菓子を持って来たぞ」



 低いテーブルの真ん中にクッキーを置くと、真っ先にアレクセイが手を伸ばした。

 カリコリと可愛らしい音を立てて食べ、大きい目を更に大きく見開いた。



「おいしいです、おじうえっ! おじうえすごいっ! こんなおいしいものをつくるなんて!」



 素朴で家庭的な味のするクッキーは子供にとってちょうどいいのだろう、弟達もいつも喜んでいたもんな。

 次々にクッキーを口へと運ぶ兄を見て、アンジェルもそっと手を伸ばした……が、届かない。

 俺はアンジェルの隣に直座りして、クッキーをアンジェルの口元に運ぶ。



「ほら、アンジェル、あーん」



「あー……?」



 俺が口を開いたままでいると、不思議そうにしながらも口を開けるアンジェル。

 口の中にクッキーを入れると、まだ赤ちゃんみたいな丸さを残す頬を動かしながら咀嚼そしゃくした。可愛いなぁ。



「おいちぃ! もっと!」



「ははっ、はいはい」



 もう一枚差し出すと、アンジェルは俺の手ごと掴んでクッキーに食らいついた。

 二歳児の手ってこんなに小さかったっけ、前世よりも俺の手が大きい事もあって、余計に小さく見える。



 そんなほのぼのした風景を、義姉上と乳母が目玉が飛び出んばかりに驚きながら見ている事に気付いたのは、数分後の事である。

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