第10話:朝の散歩と冷たい水

 イリーナはいつものように、穏やかな朝の王宮の雰囲気を存分に味わいながら、エリクとの待ち合わせ場所に到着する。


「お待たせして申し訳ございません」

「構わないさ。おはようイリーナ」

「おはようございます。エリク殿下」


 開けた空間の中心には、この国の第二王子であるエリクが堂々とした姿勢で立っていた。

 執務の時に着るような宝石で飾られた服装ではないものの、上質な布と品のあるデザインによって、エリクの高貴さを際立たせるシンプルな格好は、イリーナに別世界と交流しているような感覚に陥らせる。


「今日はちゃんと寝てきましたか?」

「あぁ。おかげで頭が冴えてる」


 そう口にするエリクの表情に疲れの色は現れてなかった。

 イリーナは清々しい顔付きをしている様子に、安心感を覚える。


「今日はせっかくなので、散歩をしませんか?」

「おぉ、良いな。案内を頼めるか?」

「かしこまりました」


 二人は木漏れ日に照らされる道に向けってゆっくりと歩き出す。

 静かな王宮の庭園に二つの足音が落ち着いたリズムで鳴り響く。


「んー、空気が美味しいわ」

「空気に美味しいって感覚があるのか?」

「もしかしたら、私の故郷だけの感覚かもしれません」


 イリーナのふとした呟きにエリクは興味津々といった様子を示す。


「なんと言いますか、澄んだ空気を吸うと体がポカポカとしませんか?」


 そう口にするイリーナは大きく腕を広げると、つられてエリクも同じようなポーズをする。


「そのまま、ゆっくり深呼吸をしてください」


 二人は肺の中を埋め尽くすように自然の空気を取り込んだ。

 体の内を澄んだ空気で満たして、芯から温まるような感覚が寝起き状態の脳みそを優しく覚ましていく。


「どうですかね?」

「体が軽くなったようだな」

「すごく気持ちよくて、あっという間に疲れが吹き飛びますよね」


 少し歩いたことで、寝ている時に使わなかった二人の筋肉は十分にほぐれていた。

 体の隅から隅まで元気が行き届くような感覚は、二人に清々しい気持ち良さを味合わせる。

 新鮮な空気に脳内を綺麗に洗浄されたような感覚になったイリーナは、クリアになった視界で散歩道中の自然に溢れる光景を楽しむ。


「今日はいつ頃に戻るおつもりですか?」


 イリーナは朝日に照らされる空模様のような明るい声色で問いかける。


「そうだな。ここで一時間ほど過ごしたら戻ろうと思う」

「なら、そこまで遠くに行かない方がいいですね」


 黄緑色の光に包まれた木の道を、イリーナはあても無く歩いていたが、一時間で戻って来られるような位置に良い眺めの場所があったことを思い出す。


「少し歩いた先に河川につながる水辺があるので、そこに向かいませんか?」

「あぁ。少し暑くなってきたから、ちょうど良い」


 数分間歩いていると、水のせせらぎが二人の耳に届く。


「可愛い」


 森の中を抜けると、流れる水の近くで何十匹もの小鳥がその場に溜まっていた。

 小さい歩幅で地面をよちよちと進む様子に、イリーナは目を釘付けられる。

 地面に落ちている木の実を小さな口ばしで掴む様子は愛らしさに満ち溢れており、エリクも心なしか頬を緩めていた。


「あっ飛んでちゃった……」


 しかし、突然やってきた二つの大きな影に驚いたようで、群れの中の一匹が二人に気付くと、慌てるように飛び去っていってしまう。


「残念です……」


 肩を落としてショックをあらわにするイリーナの様子を見て、エリクは小さな笑い声をこぼす。


「どうかされたのですか?」

「イリーナは何事にも楽しそうに反応しているからな、つい……」

「お騒がせしましたかね?」

「いや、賑やかで俺も楽しませてもらってるさ」


 そう口にしてエリクは、水辺の方に近づく。


「冷たいな」


 そのまま、エリクは手で水面に触れると、ゆっくりと波紋が広がる。

 イリーナも隣でしゃがむと、細長い指で器を作り、水を掬うことを何度か繰り返す。


「そうですね。でも、ひんやりしてて気持ちいいです!」

「だな」


 エリクは、朝日の下で散歩をして少しだけ熱った頬に水をかける。

 冷たい流水がエリクの真っ白な陶器のような肌から熱を取り除く。

 爽やかな刺激が脳内をスッキリとさせる感覚にハマり、エリクは何度も水でパシャパシャと顔を洗う。

 

「ふぅ……」


 ひんやりとした水の感触が、エリクの細胞を活性化させるように顔の血色を明るくさせる。

 ふと、隣に視線を向けたイリーナは、雫で濡れているエリクの表情に目を釘付けにされた。

 彫刻のように整った顔立ちを透き通るような水滴で覆ったエリクの様子は、人の心を鷲掴みにするような美しさを感じさせる。


「どうかしたか?」

「い、いえ。なんでもありません」

「そうか……」


 エリクは何もないなら良かったと呟いて、朝焼けの空色を反射する水面に視線を向けた。

 そのまま、無意識に濡れた手を拭くものを探すエリクの様子に反応して、イリーナは手に持っていたハンカチを手渡す。


「ありがとうな」

「大したことではございませんよ」

「これ以外も含めれば、十分大したことさ」


 真っ直ぐな視線でエリクから見つめられたイリーナは、どこか小っ恥ずかしさに口をすぼめながら呟く。


「それなら良かったです……」

「何かお礼で欲しいものがあれば言ってくれ、大体は叶えられるはずだ」


 一人のメイドに対して破格の扱いをするエリクの言葉に、イリーナは何個か望みを浮かべる。


「今の生活に十分満足しているので、特にはないですかね」


 日差しに包まれて穏やかな時間を過ごすイリーナは、嘘偽りない本心で笑顔をエリクに見せた。


「そうは言われても何かお礼はさせて欲しいんだが……」


 本当に充実していると顔に書いてあるような表情をするイリーナに、エリクは柔らかい表情を崩さずに、苦笑を浮かべる。

 

「それなら、お菓子をいただけますか?この前もメイドのみんなとシェアしたら、すぐになくなってしまったので」

「なら、すぐに用意しよう」

「気が早いですよ!」


 このままだとパティシエを何人も買収しかねないエリクの勢いに、イリーナは戸惑いながら必死に宥めた。

 

「本当にいいのか?」

「十分お給金も頂いてますし、私の方こそ殿下にお礼をすべき立場ですよ」

「そうか……なら、これからも平和な世の中を作っていくさ」


 芯のある声で宣言するエリクの責任感の強さに、イリーナは苦笑いをする。

 それでも柔らかな空気は変わらずに、二人は穏やかに微笑んでいた。


♢♢♢

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