九鬼龍作の冒険 憧れの黄泉の国の情景を求めて
青 劉一郎 (あい ころいちろう)
第1話 憧れの黄泉の国の情景を求めて
(ちょっと・・・いや、ちょっとどころではなくかなり可笑しな男だな、そう思わないか、ビビ)
九鬼龍作は前を歩く四十代後半の男を睨み、ビビに話しかけた。
ニャー
ビビも同じ印象を持ったようだ。ただ、この時点で龍作はまだその男とは話していない。
ここは高知県の檮原街道である。ここまでずっと周りが山ばかりの道を歩いて来ていた。樹林ばかりでその緑の色が心地よい。
「よし、ビビ。呼び止めて見ようか・・・」
こんな衝動に、龍作は駆られた。
そこで、龍作は思い切って速足で男に近付いて行った。
「失礼だが、一人旅ですか?」
九鬼龍作はその男に追い付くと、彼の歩調と合わせるように歩き始めた。
男は龍作より少し背が低かった。だが、話しをするのにちょうどいい案配だった。相手の顔がよく見えた。
「えっ!」
男は突然話しかけて来た男に驚き、怪訝な眼を向けた。
「あはは・・・失礼。私も旅の者ですが、良かったら少しの間ですが、話しながら歩きませんか?」
「えっ、ええ・・・いいですよ」
二人の旅人はしばらくの間黙ったまま歩き続けた。
ニャー
突然の猫の泣き声に、男はその猫が何処にいるのか、眼をキョロキョロとさせた。
「あっ!あなたの猫ですか?」
龍作のショルダーバッグから顔を出している黒猫を見て、微笑んだ。
「ビビといいます。失礼。私は寂しがり屋なもので、こいつと一緒に旅をしているのですよ」
男はショルダーバッグを覗き込むようにして、黒猫を見た。
「そうですね、きれいな猫ですね。黒い体が輝いています」
「おい、ビビ。褒めてもらったぞ」
ニャーニャー
「おっ、ビビちゃんはあなたの言葉を理解するんですね」
「ええ、こう見えても結構頭のいい猫なんですよ。やんちゃな性格なんですけれども・・・。ところで、さっき聞きましたが、一人旅の理由って何ですか?」
「別に、これといって改まった理由なんてありません」
「私は自由が好きなんですよ。縛られるのが嫌いてでね。一人で・・・この子と一緒に旅をしているんです」
肌に心地よい風が何処からともなく吹いて来ている。周りが山ばかりだが、けっして蒸し暑いということはなく、心地よい。
棚田が天まで届かんばかりの勢いで伸びているのか見えた。龍作は立ち止まり、天を見上げ、
「ふぅ・・・」
と、吐息を吐いた。
今棚田の稲は心地よい新緑に覆われていて、もう少しすれば・・・というより、新しい稲穂が元気に育って来ていた。
「いいてすね・・・そう思いませんか?」
龍作は同じように棚田を見上げている男に言った。
「ええ、でも・・・」
男は口ごもった。
龍作は怪訝な眼で男を見つめた。
それを感じたのか、男は、
「私の探し求めている景色ではありません。いや、光景といった方がいいのかも知れませんが・・・」
しばらく男は黙っていたが、思い切って・・・話し始めた。
「私は・・・」
と、話す。戸惑いにない透き通った声であった。
「待って下さい。お話を聞く・・・その前に・・・」
龍作は、
「ここに入りましょ・・・いいでしょ。お互い急ぐたびではないはずですから・・・」
といい、そこはカフェではなく、ちょっとした軽食をするための休憩所のような所であつた。こんな山奥にあるにはハイカラで店全体が紫色に塗られた珍しい建物であった。つまりひと昔前の喫茶店らしからぬ建物である。
おとこの名前は、谷村国一郎といい、四十五歳だった。生まれは・・・
「・・・」
何処だとは言わないが、ある所のS市とのことだった。
「ええ、こういう静かな生活を送れるような所ではないです」
とだけ、答えた。
ここ柞原街道は、百数十年前にはこんなに舗装された道ではなかった。誰もが新しい世の中を創ろうと夢を見て、若い人々はこの嶮しい街道を通って行った。この頃とは覆い尽くす山々の樹林は少しも変わっていないはずである。
「私の夢想の中に現れた光景は、きっとこの山の中の何処かにあるに違いありません」
谷村国一郎は考え深げに言い、その山々を見ている。
「光景・・・興味ありますね、どんな光景ですか?」
九鬼龍作はウエイトレスがテーブルに置いて行った紅茶を一口飲んだ。だが、熱かったのか、すぐにカップから口を離した。
国一郎はすぐには口を開かなかった。
「いいですね」
国一郎は感慨深げに大きな深呼吸をした。
「そんなに、いいですか?」
「ええ、好きです。いや、私そのもののような気がします・・・ふふっ」
四十五歳の男は苦笑した。濁りのない清らかな表情をしている。龍作は、
(この世の中に、こんな男がいるのか・・・)
と、思い、ビビの首を二三回撫でた。
ニヤ
「そうですか。そろそろ私に話して下さい。その・・・あなたが見たというあなたに性に合った光景を・・・」
「ええ・・・」
男は外に見える棚田の方に眼をやった。
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