56. 告白

「もう一度訊く。何か言うことはあるか――おまえがどうして今、ここにこうしていることになったのか」


 沈黙があった。ユールは目を伏せて、音もなく息をつく。


 しかし、再びその目を上げたとき、彼の表情は一変していた。それまでの悲愴な決意や頑なさは鳴りを潜め、代わりに静かな、揺るぎない気配に置き換わっている。


 こっちだ、とミカは密かに思った。温和な修道士、冷酷だが間抜けな暗殺者、気の優しい、けれど世間知らずな生まれのいい若者、どれもユールの一部には違いなく嘘ではないが、しかしその中心にある本質的なところで、彼はこういう人間なのだろう。真っ直ぐでぶれない、確かな覚悟のある――その卓越した剣筋と同じように。


「……この結婚話が持ち上がったとき、最初は仕方がないと諦めるつもりでした」


 皆が息を詰めている聖堂に、ユールの声はよく響いた。


「先王陛下がおられなくなってから、このベルリアに不穏な雰囲気が満ちているのは周知のことです。この情勢下で、もしロードリー伯が固い信義でもって王家に力を尽くしてくれるなら、歓迎すべきことなのは間違いありません……それに、アルティラ王女殿下も、決意を固めておいででした。殿下のことは、昔からよく存じ上げています。そうまで仰ることであれば、誰であろうと異を唱えることなどできません」


 最後は微かに苦笑めいた響きを滲ませて、ユールの視線がちらりと祭壇の前を見る。アルティラはむっとしたように唇を引き結んでいたが、その真っ白な頬を染める薔薇色を隠すことはできなかった。視線が絡まったのは数瞬、やがてユールは自分から目を逸らすと、再び話を続ける。


「でも、それは全部罠だった――罠だったと聞かされたんです。ロードリー伯爵には、王家を助けるつもりなどないと。どころか、王女殿下を伝手に権力を欲するつもりだと。王女殿下を玉座に就け、シアラン王子を廃せば、やがては彼女を通じて王国を手に入れるつもりだと――婚礼の下準備のために王都へお越しになったアルヴァン院長は、そう教えてくださいました」


 一同の視線は、一斉に、修道士たちの端に佇むアルヴァン院長の方へ向く。アルヴァンは身を震わせ、何かを叫びそうだったが、それも兄の刺すような視線の前に言葉を失った。


「『あのようにお美しい方が、冷酷な飢えた猛獣のようなあの兄の元へ行かれるとは、何とも惨い、おいたわしいことだ』と仰った。弟として、兄がどれほど悪辣なやり口をするかは知っている、王女殿下を手に入れても、伯爵は決して王家の味方はしない、逆に王家を乗っ取るだけだと……もし本当にそうであれば、とても黙って見過ごすことはできませんでした」


 お決まりの悪意、他人を陥れるための言説としてはまるで独創性のないものだが、しかしアルヴァンは、これ以上はなく適切な相手を見つけ出したと言える。善良で王家に忠実、他人を疑うのが上手くない、視野の狭い操りやすい相手――しかも心の奥底で、ロードリー伯爵への敵意を抱いているなら尚更都合がいい。


 いくら政略という建前があっても、彼の王女を奪っていく男に、いい心持ちでいられるはずがない。ユールもまた、アルヴァンの言い分を信じたくて信じたのだろう。王女は不幸になる、必ず救わなければならない――他の誰のものにもしたくないという自分の本心に、道理が立つように思えるから。


「王女殿下をお助けするつもりはあるかと、院長は私にお尋ねになりました。そのためにどんな……恐ろしい、恥ずべきことでも、敢えて行う用意はあるかと。私が、もちろんその覚悟だと答えると、この修道院に来るといいと仰ってくださいました。ここはロードリー伯家の代々の信仰の場で、当代の伯爵もしばしば訪れる、当然武装した護衛など連れてはいない……だから、ここでなら好機はあると」


 その『好機』が何を意味しているのかは明白だ。ロードリー伯爵は、既にユールには一瞥もくれなかった。憎しみで射殺そうとでもするかのような目で、蒼白になった弟を睨みつけている。


 ふと気になって、ミカは尋ねた。


「アルヴァン院長の言はともかく、それでも今、同盟相手としてロードリー伯を失うのは、ベルリア王家にとってもあまり得策じゃないだろう。その点はどうする気だったんだ」


「伯爵には、後継となる男子がいない。もし伯爵が倒れれば、一族の誰かが継ぐことになるが、そのうちの誰も彼ほど大それた野心を抱く者はいないと……院長ご自身は、神の道に仕える身として家督にかかわるつもりはないが、それでもやむなければ還俗し、家門の全てを必ずや王家への忠誠へ捧げると誓って仰いました」


 何がやむなしか、明らかにそっちが本来の狙いではないか。しかしこれで、いくらかは疑問が解消した。ユールが王家を守るつもりで、現状可能性のある同盟相手を潰そうとしていることをどう思っているのかよくわからなかったのだが、油断のならないロードリー伯爵とは別の、それももっと御しやすそうな相手に替わるという目算があれば、それはそういうこともあるかもしれない……。


 ――……って、ねえわ、普通。


 目算といえば目算、しかしあまりにも馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。ミカは呆れて頭を振った。ユールに人を見る目がまるでないのはわかり切っているが、それにしても、アルヴァンなどを味方につけてどうするつもりなのか。ロードリー伯爵家が腑抜ふぬけるのは間違いないが、王家に利する影響力としてまるで期待できなくなるだろうに。


「嘘だ! でたらめだ!」


 裏返った喚き声が響く。過去が暴かれていくことに、そしておそらくは兄の凶悪な視線の圧力に、ついに耐え切れなくなったアルヴァンは、恐慌も露わな様子で叫んだ。常の色男振りは見る影もなく、髪を振り乱し、血走った目で辺りを見回したが、そこに白々とした顔しかないのを見て取ると、突然、身を翻して駆け出した。


「! アルヴァン!」


 ロードリー伯爵の怒声が後を追うが、それで逃げる者の足を止められはしない。高価な裏地を張った修道衣を半ば踏みつけるようにして、アルヴァンは逃げ出した。立ち尽くす修道士たちを押しのけ、内陣の袖にある扉を目指して――。



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