薔薇の聖女 ~みかじめ料を巻き上げようとしたら、ガチの『奇蹟』が起きる件~

天瀬嘉乃

第1章 博打打ち

1. 場末の酒場


「なめやがって、この若造が!」


 拳が卓を殴る音が、暴力的に響く。昼間だというのに薄暗い店内に、わずかに差し込む光の中、照らし出されたほこりが、怯えたように震えて散る。


「いかさまだ、こんなの。インチキに決まってら!」


 吠えているのは大男だった。筋骨隆々、というにはいささか緩んだ感はあるが、それでも、大柄な体格に厚みのある胸板を誇示するような姿は、たいていの人間を威圧するには十分だ。その体の上についている凶悪な顔が、憤怒に歪んで怒号を発するとなれば、柄の悪い連中には慣れている場末の酒場にも、緊張がみなぎるのも無理はない。


「あぁ?」


 だが、その怒号の対象はといえば、震え上がるでも身構えるでもなかった。大男に負けじと不機嫌に、聞えよがしな舌打ちさえする。


「ナマ言ってんじゃねえよ、おっさん。てめえの勘が鈍いのを、他人のせいにしようってのか」


 声の主が、大男を睨めつけるように頭を上げると、わずかな光が一瞬、まぶしいほどの黄金に煌めいた。光の中に現れた白い顔は、まだ若い青年のものだ。


 この場にいる誰もと、さして変わらない出で立ち。目の粗い織の古びたシャツ、だらしなくほつれた髪を粗雑に束ねたその青年は、しかしはっきりと、この場の誰とも違っていた。光そのもののような金色の髪、この薄暗がりの中でもはっきりとわかる空色の瞳は、不思議な輝きを自ずから発しているようにも見える。すっと通った鼻梁、形のいい唇、すっきりとした優美な線を描く頤に至るまで、その秀麗な顔立ちは、誰の目をも惹きつけずにはおかない。


 もしその顔が、ほんの少しの温和な笑みでも浮かべていれば、どんな貴公子もかくやと思えるほどだが、しかし実際の彼の表情は、それとは程遠かった。唇をいびつじ曲げて浮かべた、微笑と言えなくもない侮蔑の表情は、その顔が整っている分だけ、何やら凄惨ささえ感じさせる。


「おっさん、証拠があって言ってんだろうな、ええ? 都合が悪くなりゃ、大声張り上げりゃいいなんて、いい年して、いつまで頭の足りねえクソガキなんだよ」


「てめえ、この……!」


「止さんか」


 激昂する大男を制したのは、別の男だ。今、この周りにいる男たちの頭領格である。なるほど他の連中よりも、少しばかりは理性、あるいは打算が働くようだったが、それでもこの状況を愉快には思っていないことは明らかだ。濃い眉根をきつく寄せ、射るような目で青年を睨んでいたが、やがて鼻から長く息を吐いた。


「だが、なあ、兄さん……あんたの方も、ちいとばかり、仁義ってもんを欠いちゃいないかね」


「仁義?」


「そうともよ。こっちはよ、ずぶの素人の集まりなんだ。あんたみたいな本職の博打ばくち打ちが、それを隠して、何も知らねえ善良な田舎者からしぼり取るだけ搾り取るってのは、こりゃどんなもんだろうねぇ」


「誰が善良だって? 俺が来るまでに、ここらの連中から散々むしり取ってたのはどこのどいつだ。は、カモにするのは大好きだが、カモにされるのは大嫌いだなんて、そんな都合のいい話があるかよ」


「誰だって、カモにされるのは、面白くないんじゃあないかね」


 わざとらしいほどゆっくりと、男は言った。おもむろに卓の上に身を乗り出し、更に声を低める。


「兄さんよ、わしらはこれまで、なかなかいい時間を過ごしてきたと思っとるんだ。最後で台無しになるのは、勿体ないと思わんかね」


 カチンと、どこかで鋼の音がした。剣の柄に手がかかる音。それを合図にしたかのように、あたりの空気がさっと変わる。これまでの緊張感とは質の異なる、冷たい暴力の気配。


 それに気づいていないはずはなかろうが、青年は顔色一つ変えなかった。目の前の男を眺め、次いで一通り周りを見回すと、やがて軽く肩を竦めた。


「わかった。それじゃ、後腐れなくお別れといこうか。今の勝負の取り分、きっちり寄こせば、もうあんたらのシマには近づかない。それでいいんだろ」


「ふざけんな! 総取りで逃げようってのか!」


 大男が再び怒鳴る。一番負けが込んでいるのだ。


「ふざけてんのはそっちだろうが。てめえで突っ込んだ金だろ」


「この詐欺師が! ペテンじゃなきゃ、こんなことあるはずねえ!」


「だから、証拠があって言ってんのか。負け犬がキャンキャンうるせえんだよ」


「このガキ……!」


「――もう一度だ」


 再び大男を制した頭領が、低い声で告げる。


「もう一度、それで片を付けよう。兄さんは、話のわかる人だ――わしらへの友情を、ちゃんと示してくれるとも」


 言葉こそ手下へ向けているようだが、その視線は青年を見据えたままだ。あからさまな恫喝――もはや、賭けの公平さなどはどうでもいいのだ。青年は勝ちすぎていて、他の男たちは、彼をこのまま行かせるつもりはない。たとえ、どんな手を使おうとも。


 そして、使われる『手』がどんなものかは、わかりきったことだ。


 青年は少しの間、何事か考えるように黙り込んだ。だが、他に選択肢はない。


「……いいぜ。なら、もう一勝負、付き合ってやるよ」



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