第1話 半獣の少女イル

 木々の間からこぼれ落ちる木漏こもれ日を踏みながら、少女は摘みたての薔薇ばらの花を両手いっぱいに抱えて城の外回廊を走っていた。

 途中、所々に立つ兵士や、忙しく働く侍女達に挨拶しながら建物の扉をくぐり階段を上がっていく。

少女はある部屋の前に立つと息を整えてからノックした。


「おはようございます! ゼファー様!」

 

 少女の名をイルと言った。


 少し前に起きた国王の毒殺未遂事件や王子誘拐事件等、フォルクス伯爵の謀反むほんによる一連の事件解決の立役者の一人である。

 ただ、事件解決に関わったのは、赤毛の侯爵ガヴィ・レイと、黒狼こくろうアカツキ……と言うことになっているので、一部の人間を除いて国民や城の者はイルがアカツキなのだということは知らされていなかった。

 イルは名目上めいもくじょうくれないの民の一族のただ一人の生き残りの少女として、城に保護されているのだ。

「やあ、おはようイル。いい香りだね」

 そしてもう一人忘れてならないのが、この銀の髪の美貌の公爵、ゼファー・アヴェローグだった。

ゼファーは仕事の手を止めて立ち上がり、菫色すみれいろの薔薇に埋もれているようなイルを見ると微笑みを深くした。

「そうでしょう? 今朝王妃様のお庭からいただいてきたんです! とてもいい香りだったから、公爵様にもお裾分すそわけしようと思って!」

 金色の目を細めて弾けるように笑う。

 彼女とは事件がらみによるガヴィとの縁で出会い、知り合ってからまだ日が浅いが、屈託のない笑顔はなんとも人を元気にさせるものがあるな、とゼファーは思った。

 イルから受け取った菫色の薔薇に顔を近づけて香りを楽しむ。菫色の薔薇は薔薇としては珍しく、柑橘類かんきつるいのような爽やかな初夏の香りがした。

ゼファーの知る人物が頭をかすめる。イルがこの薔薇を持ってきた理由がわかる気がして増々笑みが深くなった。

「有難う。嬉しいよ。ガヴィのところにはもう行ったのかい?」

 ゼファーは侍女に言って花瓶を持ってこさせると、なんの気無しに先ほども思い浮かべた彼女と特に懇意こんいにしている赤毛の侯爵の名を口にした。

するとさっきまで笑顔だったイルの眉毛が途端にギュッと寄る。

「知りません! あんなヤツ!

 ……うううん、聞いてくれますか?! ゼファー様! 

 アイツ、薔薇を持っていったらなんて言ったと思います?!」

 ゼファーは悪態をつかねば非礼とさえ思っているのではないかと思われる赤毛の侯爵の常を思い出して嫌な予感がした。

「アイツ、綺麗でしょって言った途端『くせえ! お前嗅覚いいはずなのによく平気だな? 鼻つまってんじゃねーの?』って言ったんですよ?!」


 ああ、彼ならいいそうだ。

 いや、間違いなく言っただろうと想像できてゼファーはプリプリと怒るイルを慰めた。



*****  *****



 あの事件のあと、イルは聴取の為に城に留め置かれた。聴取と言うとお堅いが、実際はアヴェローグ公爵とレイ侯爵のみ立ち会いの和やかな雰囲気の中で行われた。

 なんせ聴取の中身が機密事項満載な上、尚且つ被害者とも言える少女イルに、一族が受けた凄惨せいさんな仕打ちを思い出させなければいけなかった為、彼女が余計に辛い思いをしないようにとの配慮でもあった。

 イルはゼファーに促され、ひとつひとつ、あの日の事を思い出しながら話していった。

 大体の聴取を終えたあと、お茶を飲みながら話はイル自身の話になった。

「……では、貴女は一族直系の姫ということですか?」

「姫って言うと……そんなに大層なものじゃないですけど、一応族長の娘である事には間違いありません」

 里の中では兄と違って空気みたいな存在だったけれど、直系の血を引いていることは間違いない。

「……お前、直系なら血の剣ブラッドソードを作る能力はあるのか?」

 今まで黙っていたガヴィが突然口を挟んだ。

血の剣ブラッドソード? あの創世記に出てくる? ……史実なのかい?」

 ゼファーが驚いて聞く。

「えっと……あの……はい。創世記に出てくるみたいな大剣を作ることはできませんが、直系一族は血の剣ブラッドソードを作る事は可能です。というか、成人の儀式の時に血の剣を生成することが直系の証になるんです」

 大体こんな小さな短剣なんですけれどね。とイルは手で大きさを示した。

「私は……成人の儀式をする前に、里がなくなっちゃったから……」

 ないけど。と寂しそうにポツンとつぶやく。

ゼファーは慰める言葉が見つからず、ただイルの背中をさすった。

「……ごめんなさい! 暗くなっちゃいましたね! 大丈夫です!」

 落ち込んだ空気を吹き飛ばすようにニコッと笑う。から元気を出して笑う少女に、かける言葉が見つからず、大人達は不甲斐なく思った。


 イルいわく、血の剣ブラッドソードの作り方は儀式の時に初めて聞かされるのでイルは作り方を知らないとの事であった。

 ……この時、ガヴィが密かにホッと息を吐いたけれど、二人はついぞ気がつかなかった。

「……では、もし作り方が解れば紅の民は武器の生成が永遠に可能ということですか?」

 ゼファーは史実の紅の民が現存していたことに、兼ねてから疑問に思っていた事を尋ねた。

 何もないところから武器が生成できるということは非常に危険な事だ。なぜ今まで紅の民を狙って争いが起きたり保護の対象にならなかったのか。

 一歩間違えれば戦争になる。


 イルは、んーと記憶を探りながら口を開いた。

「ご先祖様の時代より血が薄れて力が弱くなったせいもありますし、……いにしえの世代は魔力の強い一族だったと聞いていますが、私が知る限り今の民の中で高等魔法を使える人を見たことがありません」

 創世記のご先祖様みたいに魔法がみんな使えれば、今回の事件を防げたはずですし。と言われればごもっともだ。


「それに、そもそも創世記みたいな大剣は作れないんです」

「というと?」


 紅の民の一族は、その血の剣ブラッドソードの名の通り、己の血液を剣に変えるのだという。

「だから血を使いすぎれば当たり前ですけど死にます。

 剣を作るには凄く血液も血に満ちている魔力も使うので凄く疲れるんです」

 イルの兄も成人の儀式で見事に短剣を作り終えた後は三日寝込んだ。

「創世記の剣は立派な剣だったと聞いていますから、本当に命と引き換えだったんでしょうね。

 ……普通は誰だって死にたくないから、そんな剣頼まれたって作らないし、作ったって自分ですぐ使えるわけじゃないので作りません」

 大剣を作れと脅されたって本人が願わなければ作れやしないし、作った所で結局命を落とすなら作る意味が無い。

普通は成人の儀式の短剣を作るともう血の剣ブラッドソードは作ることがないのだという。

何度も作るということは自分の命を削ることに等しい。


 血の剣ブラッドソードは紅の民、一世一代の剣だったのだ。


「……なるほど、それは大量生産は無理ですね。ある意味安心しました。」

 しかし――とゼファーは続ける。

血の剣ブラッドソードが作れないとは言え、イル殿は紅の民直系最後の一人という事になります。しかも黒狼になれると言う能力もお持ちだ。非常に稀有けうな存在で有ることは間違いない」

 争いの火種に巻き込まれる可能性もなくなはないので、黒狼に変化できる事は公には伏せておきましょう、と言うことになり、黒狼の時はこれからもアカツキとして振る舞い、変化する所を見られないようにと注意を受けた。


 こうして、アカツキは王子のお気に入り黒狼として、イルは表向き紅の民の『姫』ではなく、唯一生き残った村娘として、アルカーナ国保護下に置かれることとなった。

 ただ、変化する所を見られては不味まずいので、護衛も兼ねて結局今までのようにガヴィ預かりとなった。


「困った事がありましたら、私の所にもいつでも来てくださいねイル殿」

 ゼファーが優しく言ってくれる。

「有難うございます。

 ……でも『イル殿』はやめて下さい! 私、落ち着かないし、村娘の設定なのにゼファー様が『殿』は可笑おかしいですよぅ」

 ゼファーは創世記に関わっている一族の姫に敬意を払っているつもりだったが確かにイルの言うことにも一理ある。

ゼファーはクスクスと笑うと、「ではイルと呼びましょう」と言ってくれた。


 ……という一連の流れがあり、イルは基本的にはガヴィの侯爵邸で過ごし、ガヴィが登城する時には一緒に着いてきている。アカツキはイルが世話をしている狼と言う設定だ。

 昨日ガヴィと一緒に登城したイルは、明日朝食を一緒にとりましょうと王妃と王子に誘われていたので今朝から宮殿にお邪魔していたのだ。

仕事を理由に、恐れ多くも王妃様の誘いを蹴って執務室に居たガヴィに、嬉しい気持ちのまま戴いた菫色の薔薇を見せに行ったら先述の反応である。

(ガヴィの眼の色みたいな色の薔薇だったから持っていったのに!)


 なんなのアイツ。赤毛おたんこなす!

 おバカ! 意地悪! 無神経!!


 内心で思いつくままの罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせて唇を尖らせた。

 ゼファーは苦笑しながら、

「まあガヴィに花をでる……なんて心があるとは思えないですしねぇ……」

 とガヴィにはまったくフォローにならないフォローをした。


「そういえば今日は王子とご一緒じゃないんですね?」

 頬杖をつきながら、未だ怒っているイルの横顔に問う。

「え? ああ、そうなんです! 今日は王子もお勉強があるとかで」

 食事を王家の人達と一緒にとった後は大概たいがいそのまま王子と共に過ごす事が多いので珍しいなとゼファーは感じたのだ。

「王族って大変ですよね。あんなに小さいのにもう王様になるためのお勉強があるなんて」

 王子は偉いなぁなんて他人事のように呟くので、ゼファーは興味本位で聞いてみた。

「でも貴女も一族の姫だったわけでしょう? それなりに大変だったのではないですか?」

 ゼファーの真っ当な問いにイルは「姫……」と呟いて顔を赤くした。

「もーー! やめてくださいゼファー様! 本当にゼファー様が思ってるような感じじゃないんです! 姫なんて名ばかりで、……い、一日中ほとんど森の中を走り回ってたし、その辺の男の子となんにも変わらないというか……」

 なんだか自分で言っていて恥ずかしくなってきた。

十をとっくに超えた女の子、しかも一応一族の姫に当たる娘が日々野原を駆けずり回っているとか。

もしかして皆がよそよそしかったのってただ呆れていただけでは? なんて思えてくる。

「……なんか、自己嫌悪で悲しくなってきました」

 テーブルに突っ伏してしまったイルにゼファーは思わず噴き出した。

「ゼファー様?!」

「いやいや、いいじゃないですか。そのお転婆のおかげで王子もガヴィも助かったんだから」

 ポンポンとイルの頭をなでる。

無駄に顔面がいい。歳がもっと近ければなんだか色々勘違いしてもおかしくない。

イルは顔を赤らめながらゼファーの横顔を睨んだ。

「……ゼファー様って、ちょっとご自分の顔の良さを自覚した方がいいと思います」

 じゃないと女性から恨みを買うことになっちゃいますから! とイルが脅したが、

「私の顔で喜んでもらえたり役に立ったりするなら尚いいですね」

 と返事が返ってきたので、この銀の髪の公爵がガヴィと仲良くしている理由が何となく解かった気がした。


 そうしていると、コンコンとノックの音と同時に「公爵いるかぁ?」と何の遠慮もなしにガヴィが入ってきた。

「君、それはノックの意味あるのかい?」

 ゼファーが呆れて聞くと、ドア前の兵士にちゃんと聞いた。流石に女連れ込んでたらいきなり開けねぇよ、と返ってきてイルの顔面が凄いことになった。

「……いちおう、ここに、女性がいるんですけどぉ?」

 青筋の立ちそうなイルにガヴィははぁ? と眉を下げる。

「お前のどこが女なんだよ? 雄か雌か解んねえカッコしやがって、寝言はもちっと女らしくなってから言え」

 ゼファーはあぁ、と片手で顔面を覆った。

 アヴェローグ公爵の部屋には平手打ちの音が鳴り響き、今日も元気にアルカーナ王国の一日が始まった。



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