第10話 領域の内 後編

 光の小ささを考えると、かなりの高さがあると思われるが……。


「罠でしょうか?」


 兵士の一人がつぶやくように尋ねるが、その可能性は低い。罠を張る知性と弱さを備えた魔族はそれほど多くはない。小さな亜人くらいだろうか。少なくとも、この領域では確認はされていない。


「いや……ここで躊躇ちゅうちょする意味はない。登るとしよう」


 そう言って登ろうとするリッツェルネールを、部下の一人が静かに止める。


「私が……」


「分かった、任せる」


 先ずは一人の兵士が登り始める。さすがに静かに上るが、それでも鉄梯子は一歩毎にカツンカツンと音を立てる。

 だが不意に、その音が消えた。だが兵士は止まってはいない。今までと同じように、罠や見慣れぬものが無いか、また鉄梯子てつはしごの強度などを確認しながら慎重に登っている。


 ――妙だな……。


 それは、移動中にも感じていた違和感だった。坑道のような場所には戦場で幾度もおもむいた事はある。だがここは少し違う……。

 手だけで他の兵士に合図をする。それを受け、2人の兵士が坑道へと戻って行った。一人は人工的な通路、もう一人はその先までだ。


 配置に着くと同時に、腰の剣を抜き鉄梯子てつはしごを軽く叩く。軽く叩いただけであったが、狭い部屋にはカーンと高い音が響く。

 だが上の兵士はそれに気が付いた様子が無い。


 再び手で合図して兵を呼び戻して報告を受けるが――


「聞こえませんでした」

「こちらもです。離れると、全ての音が聞こえなくなります」


 リッツェルネールは軽く溜息をつく。

 なんとまぁ……悪質だ。ここは魔族領、それも魔王がいると推察される地だ。どんな仕掛けや、また超常現象が起きてもおかしくはない。それにしても、随分と意地が悪いではないかと思う。

 これではどれほどの兵が入っても、連携はおろか互いの確認すらできない。人間を孤立させ分断する……悪意に満ちた仕掛けだ。


「気味は悪いが、仕掛けが判ればそれで良い。今後は音が通らないことを念頭に行動しよう」


 上へと登り切った兵士も気が付いているのだろう。身振り手振りで安全を知らせてくる。

 目で合図し、今度は全員が登る。別に口頭でも良かったのだが、この辺りは長年染みついた習性というものだろう。


 登り切った先は、完全に人口建築物だった。きちんと整備された石畳の廊下、石作の壁。それに正面にはいかにもと言った扉だ。

 それは石造りで、読めない文字で何かが描かれている。造りも頑丈で、下とは違って何らかの意味を持つのだろう。

 天井は剥き出しの岩肌と言った風で、何か所かの穴が開いている。光は漏れているが、そこから出られそうな雰囲気ではなかった。


「ここは尾根おねですね」


 屋根の形状と通信機のデーターを垂らし合わせ、メリオが位置の予測を立てる。同時に周辺の記録撮影も怠らない。

 おそらく、場所はそれで合っているだろう。どのくらいの標高かは分からないが、少なくとも岩肌一枚挟んで外の地点までは来たわけだ。


 静かに扉を開けると、その先は十字に切った格子状の廊下が並ぶ通路だった。

 天井には数か所に穴が開いており、油絵の具の空から届く鈍い光が差し込んでくる。明かりに不安が無いのはありがたいが、照らされた景色は気を引き締めるのに十分だ。


 本当に、いかにもといった場所に来た。いや、来てしまったと言うべきだろうか。

 部下達は満身創痍まんしんそういと言って良い。これまでの戦闘、暗闇での移動。多少の休息はしたが、負傷はどうにもならない。

 魔王――未知の存在。それがここに居るかもしれないと言った期待と不安。

 だが同時に一つの事を思う。もしここに魔王がいるのであれば、その姿はもしや……と。


 いつの間にか、メリオが袖を掴んでいる。

 不安に満ちた緋色の瞳、硬く結ばれた唇。彼女も……いや、兵士達も全員分かっている。だが、ここで止まる選択肢などもう無いのだ。


「僕たちだけで魔王を倒す。これは人類の使命とか、未来への希望とかじゃない。この時、この場所に僕等がいた。その証を残すためだ。さぁ、行こう」


 ……それは微妙に嘘を含んだ言葉。リッツェルネールに証を残すといった考えはない。自分の名など、この世に残す必要はない。彼の異名、軍略の天才――それは大量殺戮者たいりょうさつりくしゃの証。そんな名前など、この世から消え去ってくれれば良い。そう考えていたのだ。

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