第8話 領域の入り口

 侵入口がある溝は完全に袋小路になっており、ここから分岐するような道は無かった。

 壁にも床にも相当数の血の染みが広がっており、石獣に喰われ、そして吐き出された潰れた武具も多数転がっている。

 生存者は誰もいない……。


「とりあえず、中へ入ろう」

 

 入る前に振り向くが、高い壁に囲まれたそれぞれの溝の中の様子は見えない。

 各所で上がる炎の竜巻が吹き上げるものが、生きていた人間なのか、それとも死体なのかも解らない。

 戦況は未だ闇の中であった。





 ◇     ◇     ◇





 亀裂の内部は少し広がった空間であった。

 外とは違って少しひんやりとして、奥へ向けて僅かに風が吹いている。

 さらに奥へと続く様子が伺えるが、先ずはそちらよりも状況確認が先だろう。


「各隊からの連絡と司令部からの指示はどうなっている?」


「総司令部から連絡が入っています。ティランド連合王国軍が山中への侵入口を発見、突撃を開始したとの事です」


「さすがは軍事大国。大したものだね」

 

 ティランド連合王国は、世界の中枢を担う四大大国の一つ。連合王国の名の通り、多数の国家の複合体であり、コンセシール商国もまた含まれる。だがあくまで、コンセシールは従属国家だ。正式加盟として認められてはいない。

 とは言え商国軍の第一軍、第二軍は連合王国と行動を共にしており、上手くいけば悲願達成の上、祖国も大いに地位を上げることが出来そうだった。

 しかしその一方で、リッツェルネールが率いる第三軍は絶望的な状況といえた。


我々第三軍の状況は……軍として機能しているのは、ザパート部隊長とカンザヴェルト部隊長だけです。他の部隊の奮闘はしていますが……」


「この溝に入った部隊は? 先行している3、4、5番隊と後続の7番隊以降。それに本陣待機の予備兵力だ。指示通り動いているかい?」


「それが……連絡取れません。どの部隊共です」


「それは困ったものだね、では、司令部からの指示は? 入り口を発見したんだ。増援は来るんだろうが……」


 常識的には……というより、当初の作戦通りならティランド連合王国に属するどこかの国が動くはずだ。その国や規模次第では、これからの方針が変わる。


「だめです。方面司令図、総司令部共に交信がありません。連絡は最初にあった入り口発見に関してのみです。以後は一切の通信がありません」


 そんな馬鹿なと言いたいところだが、メリオの真剣な瞳が真実であることを物語る。

 まあ、こんな状況で冗談など出ようはずもないが。


 他の溝に侵攻した部隊の内、今も軍隊として機能しているのはわずか2個部隊。

 同じ溝に侵入した部隊は全て連絡途絶。そして司令部もまた、健在かどうかすら分からない。


 ――ここまで酷いとはね……。


 これは領域戦だ。部隊の壊滅は仕方がない。そういうものなのだから。

 そかしそれでも、司令部は最も安全でなければならない。

 でなければ、前線の部隊は状況も解らないまま各個に戦い各個に消耗し、やがては擦り切れて消えるだけである。

 

「他の部隊や司令部に何があったと思う?」


 メリオに尋ねてみるが、首を横に振るだけだ。

 勿論、リッツェルネール本人にも予想はつかない。

 確実な事は、相当数の人命が既に失われていると言う事だけだった。

 

 ……儚いな。


 それでも尚、人類はまだその人口を持て余していた。

 

「継戦中の部隊には全軍退却を指示してくれ」


 しばし悩んだ末、リッツェルネールはコンセシール商国第三軍の退却を決定した。

 音信不通の司令部が安全という保証はないが、それでも溝の中で戦い続けるよりは遥かにマシだろう。今後の戦局がどう動くかは分からないが、それだけに兵力は少しでも残しておきたかった。


「それと、集結後は最も階位が高いものが全軍の指揮を引き継ぐようにと」

 

「発煙筒は使う?」


 メリオはカバンから何本もの筒を取り出す。

 それらには、それぞれ赤、青、緑、白のリボンがつけられている。

 色の組み合わせで様々な指示を出す緊急用のものだ。

 

 いや――と言って外の空を見る。

 元々油絵の具の空はどんよりと暗かったが、今では漆黒に覆われつつある。

 もう発煙筒は意味が無いだろう。

 

「僕たちは、先へ進もう」


 無謀とも思える進軍。だが誰一人、異を唱えるものは居ない。

 リッツェルネールを含めた全員が、片道切符を握りしめてこの山に入ったのだから。

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