第2話 開幕

 ここは寿命の無い世界。

 人は十代後半から二十代前半で成長を止め、その後決して老いる事は無く、若々しく生涯を過ごす。


 それは幸せに満ちた楽園のような、或いは夢のような世界……ではなかった。

 増え続ける人口、不足する土地、そして食糧。

 厳しい人口統制も、その増加を抑えることは出来なかった。

 新たに生まれた我が子の為に。そしてその子供らの為に、古き者は死なねばならない。

 命はどんどん軽くなり、弱い者、愚かな者、少しでも道を外れた者は容赦なく殺される。

 それは、絶え間ない争いの世界。


「やはり領域を我らのものにすべきだろう……どうせ殺すのならば、殺されるのならば、相手は人で無いモノがいい」


 世界は領域の組み合わせで出来ている。

 灼熱の大地の隣には氷の大河。不毛な砂漠の隣に豊かな水を湛える湖。それら気候も環境も住んでいる生き物もバラバラな世界が、まるでパズルのように組み合わさっていた。


 領域同士は決して交わることが無い。中の生き物どころか、その自然環境さえも領域を超える事は無い。

 だが――人間だけが領域を超えることが出来た。


「これこそが、神が我々人類に与えた使命なのだ。領域に生きる生き物――魔族を滅ぼし、人類の未来に希望の光を灯そうではないか」


 だが、そんな人類の邪魔をする者がいる……魔王だ。

 天には『油絵の具の空』と呼ばれる極彩色の雲が広がっている。

 この雲は太陽を隠し、月や星も隠し、この世から眩い恵みの光を奪っていた。


「魔王を倒し、魔族を滅ぼす。それで人は救われるのだ。さあ、始めよう。人類の未来のために」


 長い長い時間、いつしか歴史と呼ばれ、やがて伝説となる程の長い時を経て、人類はようやくほぼ全ての世界を手中に収めた。


 そして最後に残るのは、西にある小さな世界、魔族領。

 これを滅ぼした時、遂に人類は夢見た希望の未来を手にすることが出来るのだ。


 碧色の祝福に守られし栄光暦155年1月1日


 人類は全ての力を結集し、この地上に僅かに残る魔族たちの地、魔族領への大侵攻を開始した。

 相和義輝あいわよしきがこの世界に召喚される、その62年前の事だった。




 ◇     ◇     ◇




 碧色の祝福に守られし栄光暦217年2月11日。

 魔族領への侵攻が始まってから62年。人類は順調に魔族を倒し、そして自らの数を減らしていった。


 そんな魔族領の一角――マースノーの草原。

 だがその名に反し、周囲は赤茶けた荒涼たる大地が広がり、植物は僅かな雑草しか見られない。


 この辺りは、かつては“草と蛇人の領域”と呼ばれていた。

 足の踏み場もないほどに密集した草原の中に、太古の神殿のような柱が乱立する地。そこには上半身が人、下半身が蛇の魔族が住んでいた。

 だが今は、一匹たりともこの世にはいない。全て殺し尽くし、領域は解除された。

 ここはもう、人間の土地となったのだ。


 現在そこには、青地に白い3つの星に7本の流星模様の旗が、楕円を描くように立ち並ぶ。その内側には青く塗装されたデルタ翼の、飛行機のような機械がずらりと並び、更に内側には居住用の多数の大型テントが設営されていた。


 そのテントの中の一つ。特別な飾りなどは無いが、中央先端に立つ旗は司令部を現すものだ。

 そこには現在、2人の人物が詰めていた。


「それで、中央からは何と言ってきたんだい?」


 軽く、日常会話のようにその言葉を発した少年……いや、ギリギリ青年と言うところか。

 身長は176センチ。平均的な身長だが筋肉はあまりない。

 清楚な綿の軍服をきっちり着こなしており、几帳面な性格をうかがわせる。


 端正な顔立ちに、わずかに栗色の入った白に近い淡い髪。少し褐色の肌は、少女のように滑らかだ。

 しかし身に纏う空気からは、若さや華やかさを一切感じさせない。あまり生気を感じさせない緋色の瞳は、まるで悟りきった仙人を思わせる。


 リッツェルネール・アルドライド。

 彼はコンセシール商国という小さな商業国家、その党首であるアルドライド家の一族に産まれた。だが傍流も傍流、たいして意味のある血統ではない。

 だが戦争に次ぐ戦争、終わりなき人類同士の戦いで頭角を現し、現在では商国第三部隊、6万5千人を指揮する立場にまで出世していた。


「第一軍と第二軍はティランド連合王国旗下として配属、第三軍は予備隊として待機しろですって」


 応対した女性の、子供のような高い声がテントに響く。

 身長149センチと、小柄で華奢な姿。幼い顔立ちに大きな目。その瞳は、リッツェルネールと同じ緋色をしており、同じ褐色の肌、似た髪の色もあり、二人はまるで兄妹のようにも見える。


 服装も、男女区分けの無い綿の軍服をしっかりと着こなしているが、違う点が一つ。

 彼女の左目には水晶の片眼鏡が取り付けられており、それは光の加減で虹色の光彩を放っていた。


「それは助かるよ。死ぬ順番が後になるって事だからね。まあ、遅かれ早かれの違いではあるけど……」


 部隊編成の書類に目を通しながら、さしたる興味もなさそうに呟く。

 人類の崇高な使命、未来への道……何の事は無い、ただの口減らしだ。

 今更こんな小さな魔族領を切り取ったところで、人類の飽和は抑えられない。本気で人類の未来を願うならば、もっと別の方法がある。

 だがもし伝説の通りに『魔王さえ倒せば全てが解決する』と言うのであれば、先ずはそれを試してみるのもいいだろう。


 だが結局、今の状態では夢物語にすぎない。

 先ほどから目を通している編成表も、ある意味生者のリストではない。これから死ぬ者のリストだ。その中に自分達も入っている事は、今更考えなくても分かる。


 本国は自分達に死んでほしいのだ。口減らしの意味もあるが、複雑な政治の結果でもある。

 隣接する大国との長い戦争の歴史の中で、自分達軍部は1回も敗れる事は無かった。

 だが繰り返される戦乱による疲弊……最終的に、祖国は遂に降伏の道を選んだ。

 それにより生じた軍部の政治の間に生じた深い溝。この遠征を機会に、それを軍人の死体で埋めてしまおうというわけだ。


(賛同するかはともかく……考えは理解できるな)


 世の中が見えすぎる。同時に自分自身を客観視しすぎている。普段から注意されてはいるが、この性分はどうにもならない。


「相変わらず、あんまり使命感は無さそうね。一応、領域攻略戦に参加するのは名誉な事よ。人類一丸となって魔王を倒し、魔族を滅ぼす。それが我々人間の悲願であるーでしょう?」


「人類の使命とかには興味は無いよ。僕の頭はいつも祖国の事でいっぱいさ。そう言うメリオはどうなんだい?」


 メリオと呼ばれた少女は少し考える仕草をするが、すぐにハッキリと――


「私も興味なし。目的のためにも、早く生きて帰りたいわね」


 ニッコリと微笑みながら返答する。前向きで明るい娘だ。

 それなりに諦めてはいるが、彼女が生きて帰ると言うのであれば、善処する価値は十分にあるだろう。


「ティランド連合王国と言えば、あちらの駐屯地にカルターやオルコスがいたよ。声をかけようかとも思ったけど、忙しそうだったからね。お互い生きていたらまた会えるだろう」


「うげー、私は嫌だな。あんまり会いたくない」


 先ほどとは逆に、毛虫でも見たかの様の露骨に嫌な顔をされる。


「酷いな、昔馴染みじゃないか。メリオも子供の頃はよく遊んでもらっていただろう?」


「その期間よりも戦ってた方が長いんですけど。世間的には宿敵とか仇敵って言うのよ。そういう事は考えないの?」


「僕の事はメリオが一番よく知っているだろう? 宿敵なんて言ったら、いつかまた戦うみたいじゃないか。僕としては、彼等とまた戦う事になるのは御免こうむるよ」


「じゃあもし……彼等が私達の前に立ちふさがったらどうするの? ティランド連合王国の人間よ?」


「潰すさ……それだけだよ。でも最初から宿敵だの仇敵だのなんて考える事は無いさ。利用出来るなら利用する。それが我ら商人というものだろう」


 だがそんな彼の言葉は、今一つ方眼鏡の少女には受け入れられない様だ。少しむくれたような表情で、ぼそりと一言呟く。


「あの大国との戦争で、2千万人以上死んだのよ……」


 ならその数倍も殺した僕は、彼らにとっては宿敵どころじゃない。何度殺しても足りない仇だろう……そう思うが、それは口には出さなかった。


 そんな彼のもとに、緊急の伝令を携え兵士が飛び込んでくる。

 ここ魔族領では緊急事態など珍しい事ではない。人間の土地ではない、常識の通じない世界なのだから。だが、今回の連絡は彼ら人類にとって、何よりも重要な内容だった。


「委員長殿、緊急伝達です! 魔王の印を発見、場所は炎と石獣の領域。各国軍は直ちに集結し討伐せよとの事です」


 ――そうか、発見したか……。


 魔族領に侵攻を開始してから、今回が八回目の大遠征となる。

 悪夢が体現したかのような魔族との戦いで、これまでに数千万人の命が失われた。だがそれでも、人類は少しずつ魔族領を攻略。そしてようやく、魔族の王、世界の災いの元凶たる魔王の発見に成功したのだ。


(まさか本当に存在しているとはね。伝説も、たまには正しいという事か……)


 今まで生を感じさせなかった緋色の瞳に、ようやく強い意志の光が宿る。

 魔王――その名を知らぬ者はいない。人類の敵、災いの元凶、この世界の人間なら小さな子供でも知っている常識だ。

 だがその存在を知る者はいない。伝説に残る姿や力は多種多様。もし叶うのならば、一度は見てみたい。そして言葉を発するのであれば、なぜこれほどに人類を苦しめるのかを聞いてみたい。

 戦いに明け暮れ、命の価値を失いかけた男でも、この誘惑には惹かれるものがあったのだ。


「朝令暮改も甚だしいが、のんびりもしていられないようだね。それで、移動手段は? まさか歩いて行けとは言わないよね」


 言いながらもテントを出ると、既に各部隊は忙しく準備を始めている最中だった。


「後方及び領域隣接国から浮遊式輸送板を徴用、それにより運搬するとの事です」


(成る程……中央も乱暴な手を打ったものだ。だが確かに、短期間で兵を集中させるにはそれしかないだろう。しかし、それ程までに急ぐ必要があるのかどうか……)


「いよいよ出陣ですね、委員長殿。哨戒飛行ばかりでなまっていたところです。派手に暴れさせてもらいますよ」


 彼より高い長身を軍服で包んだ筋肉質の男。薄い栗色の髪を短く切り揃え、露出した肌には幾筋もの傷跡が見える。いかにも軍人といった風体だ。


「残念だが、場所は炎と石獣の領域だそうだ。カザラットの出番は万に一つもないよ。それにしても、指揮官より先に情報を得ているってのはどうなんだい?」


「俺達も商人ですからね、その辺りは舐めちゃいけません。ご武運をお祈りしています」


 そう言って左手で帽子の鍔を触る仕草……彼の国の敬礼を行う。


 武運か……だが、実際に生死を分けるのは運なのだとも思う。炎と石獣の領域、そこは人間の知恵や力など及ばない地。生きては抜けられない死地の一つとして知られていた。


「各部隊長に連絡、我々は炎と石獣の領域へ進軍する。足が到着次第すぐに出るぞ。それまでに支度を整えておけ」


 見上げる天には、一面に広がる油絵の具の空。この空の向こうにはどんな景色が広がっているのだろうか。リッツェルネールはそんなことを考えていた。

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