第12話 握手会

 握手会のイベント会場は多くの人が集まっていた。以前とは比べ物にならない活気である。ユウタはこの日を楽しみにしていたが、浮かない表情だ。やはり気になるのはストーカー女のことだ。

(アイツは頭がおかしい)

 ついに家にまでやってきた行動のエスカレートにユウタも恐怖を覚えている。去り際に意味深な台詞も残したことも不安に拍車はくしゃをかける。

 ユウタの隣にいるユズナも以前ほどのテンションはない。彼女は不気味な印象の水本絵梨香といまさら握手をしたいとも別に思わない。ただこの日はフェスのような人集ひとだかりと周りの熱狂に圧倒されている。

「スターになっちゃったね」

 ユズナはボソッとつぶやく。

 それを聞いてユウタはフンと鼻を鳴らす。

(スターになっちゃった……か)

 ニュアンスが気になる。推し活者にとってその言葉は引っかかる。

 とりわけ超絶ガチ勢であるユウタには自負がある。

(おれが彼女をスターに仕立てたというのは傲慢ごうまんだ。恩着せがましくそこまで言う気にはならない。それでも何千何万回もサイリウムを振ってきた)

 要はプライドの問題だ。例えば家事で一家を支えてきた主婦に対して「ご主人の築き上げた家を……」とセールストークをした時点で「ハイ、お断り。どうぞ、他を当たってください」になるはずだ。

 ユウタは腕を組んで目を閉じて一人うなずく。

 とはいえ、推しがスターになったことは素直に喜んでいい。日常を捧げてきたご褒美のようなもの。また仮に推しがブレイクしなくとも、その日々は決して意味がないことではない。共に戦ってきたきずなと過程にこそ価値があるのだ。

「えっ、なんで泣いてんの」

 ユズナはドン引きしているが、ユウタは気にすることはない。リトルユウタも称えてくれる。

「メスのことは気にするな。百年後にお前の銅像が完成しても不思議ではないよ」

(ありがとう)

「アイツらも整理券を配っているけど、本来ならお前が一番に握手をする権利があるはずだもんな」

(ありがとう)

「きっも……」

 泣きながら何度も頷くユウタにユズナは震え上がっていた。


 握手会が始まり、列に並ぶこと数十分。ついに水本絵梨香のすぐ近くにまできた。ユウタはもうすでに顔を真っ赤にしている。

 熱烈に推し活をしているからこそ、本人を目の前にすると心臓がドキドキしてフリーズしてしまう。ただ今日だけは勇気を振り絞りたい。

「ありがとう! 元気ー? 会いたかったよー」

「おれも会えて嬉しいよ。その髪型似合ってるよ」

 ぐらいの軽快な常連トークは交わしたい。

 イメトレをしながらおのれ鼓舞こぶしているとスタッフに促され、ついに彼女の目の前に立った。

 念願の対面。眩しいオーラはこの世の人とは思えない。顔が小さくスタイルも抜群。ゲームやCGの世界からこの世に送り込まれたかのよう。

 キラキラ輝く水本絵梨香は両手を差し出してきた。

「来てくれてありがとう!」

 この瞬間、すでに確信していた。はい、全ての元を十分に取った、と。出費だのコストだのそんなの関係ない。全てが報われた瞬間である。

 ユウタはドキドキしながら手を出して握手をした。トロピカルフルーツのようなフルーティーな香りが漂っていてメロメロになる。常連トークはもはやどうでも良い。

(さあ、帰ろう)

(いや、勇気を出せ!)

 ネガとポジ、二人のユウタがここにきて喧嘩を始めた。

 まともに顔すらも見れないが、ユウタは勇気を振り絞った。

「この前、会った気がして……」

「会った……?」

 絵梨香の声にユウタは目を輝かせて見上げる。

「たぶん人違いだと思いますけど」

 絵梨香はユウタからスッと視線を外して、後ろに並んでいたユズナと両手で握手をしている。

 ユウタは「えっ」と立ちつくすがスタッフに「ほら、歩いて歩いて」とその場から追い出された。

(やっぱり人違いだったのか)

 さらに重大なミスをしたことに気がついた。顔見知りの推し活ファンにジッとにらまれたのだ。握手会で推しのプライベートを深掘りするのは御法度ごはっとでありマナー違反なのだ。意気消沈の握手会となり彼が落胆したことは言うまでもない。

 落ち込むユウタの背中をなぐさめるユズナ。二人はトボトボと会場から去っていく。水本絵梨花はファンと握手をしながら、遠くからその様子をジッと見つめていた。

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