第10話 全国区アイドル

 水本絵梨香は例のライブを機に口コミや映像で知名度を高めてSNSのフォロワー数も10万をついに超えた。それを祝して記念グッズの発売がこの日発表された。アイドル系の有名ブログ記事では大手レーベルが彼女と契約を結んだという噂もある。地元のローカルアイドルから全国区のアイドルに変わっていく。

「ついにきたか」

 速報を聞いたユウタの鼻息は荒い。フーンフーン。何かに集中するときはいつもそうだ。幼き頃からの習性は今も変わらない。あまりにも興奮しすぎていたのか、店に入ろうとしたとき、目の前にいたコートの女性とぶつかりそうになり転びかけた。

「高一のお前が最高を知るにはエスプレッソは打ってつけだよな」

 注文時にリトルユウタが耳元でささやく。水本絵梨香が遥か高みにいる今、仕える使徒にもワンランク上を目指して欲しいのだろう。それは使徒の1人であるユウタも同じ気持ちだ。この日は少し背伸びをしてラテを頼む。

「ラテとか一丁前に言ってるけど、つまりはコーヒー牛乳なんだよな」

(うるさいな、少し黙ってくれ)

 窓ガラス席のソファーに座ったときはいても立ってもいられず、スマホを指でスワイプしながら小躍りする。

(マジで水本絵梨香のトレンド入りがエグいんだが!)

 人差し指で次々にスワイプする。

 目の前のバーガーにもかぶりつく。

(エッグ過ぎんだろ、ベーコンチキンエッグ過ぎんだろ!)

 このように何に対しても興奮してしまう。ある種、これもゾーンと言えるのかもしれない。

 耳元で会話が聞こえた。

「ねえ、この水本絵梨香凄くない?」

「ダンスもキレキレで超ヤバいんだけど」

 スマホを見ながら語り合う女子。こういう光景がいよいよ当たり前になってきたか。

 ――これがあるから推し活はやめられない。

 へへッとカフェの中でユウタは笑う。マイナー時代から知る者として圧倒的な優越感に浸りながらラテを口に含む。

(これがやりたかったんだ)

 自分が推す無名アイドルが登り詰めていくことが推しの醍醐味である。雛鳥が美しい白鳥となり湖から旅立つ。その様はまさに景観である。

(世界にもいける)

 こうなると妄想はどこまでも広がる。羽ばたいて雲を抜ける。上昇気流に乗って海を渡る。海外のメジャーチャートにランキングするところまで彼は夢を描く。

 一方で推し活もこれまでよりハードになるのは間違いない。費用もそうだが箱(コンサート会場)が大きくなるほど、チケットも指定席が増えて自由が制限されるだろう。チケットの販売方式も抽選のある先行販売と争奪戦の一般販売へと変わっていくはずだ。

「ふううううう」

 ――これが武者震むしゃぶるいってやつか。

 専用掲示板でユウタは今は少し知られた存在であるが、いずれは忘れられる古参の1人となるはずだ。ドリンク付きチケットを購入して寂れたライブハウスで応援していたユウタとしては切ないがそれでも構わない。この日が来るのを待っていたのだ。

「さてと、いくか」

 飲み干したラテの紙コップをクシャッと握りしめて立ち上がった。

 店から出たときには夕陽のまぶしい光が差し込む。同時に肌寒い風がほおをかすめる。

「もう冬になるのか」

 人気が加熱するとチケットの入手も難しくなるだろう。人気アーティストのように列に数時間並ぶこともあるかもしれない。それでも超絶ガチ勢のユウタは寝袋を用意する覚悟がある。困難な壁が立ち上がるほど、推し活冥利みょうりに尽きる。

 そのときスマホが鳴った。SNSの裏アカにメッセージが届いている。

「大好きだよ」

 添付された画像を見ると先ほどいたカフェでくつろいだユウタの姿だった。

「こんなに近くで撮られている……」

 震えながらユウタはふと気がつく。

 あの席に座っていたのは確か、コートを着た――入り口でぶつかりかけた女。サングラスをつけて顔はわからなかった。

(アイツが付きまとっていたのか。身バレしてないはずの裏アカにまで辿たどり着くなんて狂っている。何者なんだ、あの女)

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