行き止まりのサンドバッグ
わたしは「助けて」と声に出して言えない。仕事を辞めたときだって、求職活動がうまくいかないときだって、サリ以外の誰にも助けてと言えなかった。
それは「助けて」と言ったって誰も助けてくれないことを、嫌というほど知っているからだ。必死に勇気を振り絞り声を上げても、誰一人助けてくれないことを思い知っているからだ。
無言の付きまといのことだって、全てわたしが悪いことになってしまった。わたしの被害妄想にされてしまった。挙げ句の果てに身に覚えのない噂まで広まって、虫酸の走るストーカーが増えただけだ。
会社にいたときだって、誰も助けてはくれなかった。それどころか、みんな、わたしになら何を言っても許されると思っていた。
年下の新入社員にさえ、あれこれ言われた。契約社員のわたしとは違って、彼女は正社員で会社での立場が上だったのだ。でも彼女はパートさんやアルバイトさんには何も言わなかった。逆にベテランのパートさんたちにやり込められて、その腹癒せにわたしに八つ当たりをしてくることなんてしょっちゅうだった。
あるとき、
そのとき、わかったんだ。気の弱い人はもっと気の弱い人を見付けると、これまでの
わたしは、みんなの鬱憤の集積場。わたしさえ我慢していれば、みんなの気持ちは丸く収まるというわけだ。
わたしは扉の向こうの青年に「助けてください」と叫ぼうとしたが、どうしても声が出なかった。「開けてください」とは頼めても、「助けてください」とは、どうしても声に出して言えなかった。
開けてくださいと言って開けてもらえないのだから、助けてと叫んだって助けてもらえないに決まっている。だけど、もしかしたら助けてもらえるかもしれない。でも、やっぱり助けてもらえなかったら?
それが怖い。なけなしの勇気を振り絞っても、無駄にしかならないことを思い知ることが怖いんだ。その失望をまたしても味合うことが怖いんだ。
こんなの、誰にもわかってもらえないだろう。だけど、サリだけはわかってくれた。でもサリは、わたしを置いて死んでしまった。わたしが出かけている間に、誰にも看取られずにたったひとりで逝ってしまった。
サリも最後のときに、助けてと言ったのかもしれない。それとも、何日も前から助けてと言っていたのかもしれない。猫は我慢する動物だ。苦痛や病気を隠そうとする。わたしは自分のことにかまけてサリの変化に気が付かなかった。我慢しているのも、我慢が限界にきて助けてって言っているのにも気が付いてあげられなかった。
会社を辞めるとき、犬を飼っている人に非難されたんだ。動物を飼う以上、ちゃんとした経済的基盤が必要なのに無責任きわまりない。次の仕事も決まっていないのに仕事を辞めるなんて、もしペットが病気になったらどうするんだ。動物を飼うには費用がかかる。フード代の他にも、病気になれば高額な医療費がかかる。お金がないなら飼う資格がない。経済的な設計もできないのは飼い主失格と責められたんだ。
ほんとうにその通りだった。無職になってから、サリの定期検診にも行かなくなった。経済的に行く余裕がなくなったのもあるけれど、病気が見付かるのが怖かったんだ。もし、病気がわかっても無職のわたしにはどうすることもできなかったから。
今、誰にも助けてもらえないのは仕方がないのだろう。助けてと言って助けてもらえない苦しさ悲しさ辛さを一番知っているはずのわたしが、サリを助けてあげられなかったんだ。サリは、わたしのせいで死んでしまった。
わたしは声を殺して泣いた。わたしは声を上げて泣くことすらできない。もしかしたら扉にすがって「助けて」と大声で泣き喚いたら、青年も扉をあけてくれるかもしれない。
でも、それができない。
わたしにできることは、一人で声を殺して泣くことだけだ。
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