33:お前……生き急ぎやがって


――ぼふんっ!!


「え???」

 

 交易船「しらさぎ」の船長、龍五郎は間抜けとしか言えないような声で戸惑い、閃光の走る先が突っ込んでいった先を凝視する。


「気球に……突っ込んだ?」


 船に爆弾を落としまくっていた気球へと吸い込まれるように連夜は飛び込み……そして。気球がキリモミしながら萎んで……ぼちゃんと海へと墜落していった。


「……」


 先程までの爆音が嘘みたいに静まり返り、代わりにけたたましく鳴り響く船内の非常警報と船員の怒号や戸惑いの声が龍五郎の耳に認識されていく。


「れ、連夜の爺さん???」


 助かりはした、あのまま爆弾を落とし続けていたらこの船は早々に沈没しただろう。

 確かに連夜は船の危機を救ったのは間違いない……しかし、しかしだ。


「気球と一緒に海に……落ちたのか???」


 龍五郎の見解は正しい。

 だが、あり得ない現実に疑問を抱かずにはいられなかった。

 龍五郎の知る連夜は刀一つで万物を斬り裂く人外の極みのような老人である。


 あんな気球などすれ違いざまにバラバラにして戻ってくると思ってたのに……。

 そんな龍五郎の疑問はぱたぱたと可愛らしい足音と、ぎゃりぎゃりと金物をひっかく音と共に現れた灯子によって解かれる事になった。


「はあ、はあ……連夜!! かたなぁ!!」


 息を切らして連夜の愛刀を一生懸命柄を持って引きずりながら、連絡通路を走っている。

 どうやら無事らしい、と龍五郎は安堵しつつも……


「嬢ちゃん、なんで斬鬼の刀を?」


 灯子に駆け寄るにつれてはっきりと見えてきた、あるはずのない連夜の刀から目線が外せなかった。


「あ! 船長さん!! 連夜ったら鞘だけ掴んで飛び出しちゃった!!」

「……何してんだ!?」


 そりゃあ気球の布すら斬れない筈である。


「だから刀を届けに……どこにいますか?」

「……」


 灯子の必死の行いに心を打たれるが、龍五郎ができたのはおそらく流されているであろう気球へ……つまり海面へ右手の指を向けることしかできなかった。


 数秒間、灯子はその意味をじっくりと頭の中で反芻して……龍五郎へ頷いた後……船の端にダッシュして大声を張り上げる。

 

「連夜ぁ!?」

「お陰で船は助かったんだが……斬鬼の奴。気球と一緒に海に落ちた」

「ど、どうしよう……」

「とりあえず、嬢ちゃんにその刀は重すぎるだろう。良けりゃ俺が預かるが……」

「お、おねがいします」


 かりかりと床を削りながら連夜の刀を龍五郎に渡す灯子。

 さて、どうしたものかと龍五郎が内心頭を抱えている中……船の左舷側からは火柱と共に衝撃波が船を襲う。

 

「嬢ちゃん、どっかから爺さんがこの船に乗ることが漏れてたらしい。船の損傷具合によっては脱出用のボートで逃げるからそのつもりでな?」

「仕方ないですね」

「聞き分けが良くて何よりだ。さて、どうやって爺さんを回収するか」


 気球と共に海の藻屑となっていなければいいが。とは流石に灯子の前では口に出せず。船員に明かりをかき集めさせようと考えていたら……かつんかつんと軽い足音が二人に近づいてきた。


「随分騒がしい航海だねぇ。船長さん、左側から突っ込んできた良くわかんない軍艦は沈めちゃったけど良いよねぇ?」


 先程の爆音の正体は彼女だった、昼間とは違い白衣を脱ぎ捨てテンガロンハットと真っ黒なコートと革のブーツを身にまとう女医……もといアメリカのエージェント。アンダーテイカーである。

 左胸につけられた国旗のバッジで龍五郎もなんとなく彼女の素性を察した。


「あんた……医者じゃ」

「医者でもあるさね。たまたまあの爺さんの警護でアメリカ本国から命令されててねぇ……のんびりするつもりだったんだけど」

「……おかしいとは思ってたが。助かった、どこの船だ?」

「米軍の駆逐艦だよ。乗組員は全部こっちの船に放り込んどいたよ……多分ねぇ」


 ひらひらと手を振りながら龍五郎に説明するアンダーテイカーに眉を顰める灯子。そうだとしたら自国の船を躊躇なく沈めた事になる。


「あなた本当にアメリカの人?」

「生まれも育ちも西海岸のアメリカ人さね。命令次第で誰であろうと棺に収めるのがアタシの、アンダーテイカーの仕事さね……例えそれが大統領であってもねぇ、ひっひっひ」

「今回の命令は?」

「灯子、連夜の二名を無事アメリカへ迎え入れるまで死守せよ。だねぇ……と言ってもアタシは日向が苦手でねぇ……こっそりと護衛するつもりだったんだがね」


 それがこんな派手な襲撃となっては正体を隠す利点などどこにもなく、堂々といつものスタイルで出てきたのだ。


「貴女、泳ぎは得意?」

「うん? アタシはカナヅチでね。 なんでまた?」


 龍五郎と灯子が顔を見合わせて静かに海を指差す。

 そんな二人を見てアンダーテイカーの特徴的な笑み、つり上がった口の端がへにょん……と垂れ下がった。


「なあ、アンタたち。確認したくないんだけどさ……斬鬼、まさか海に落ちたんじゃないだろうね?」

「「……そのまさか」」


 現実は無情だった。

 

「おいおい、まだ斬鬼はアタシの葬儀リストに名前を書いてないのさね……誰か救助に向かってるんだろうね?」

「いや、気球と一緒に落ちたから助けるも何も……もうどこに流れたか沈んだかわからん」


 そう、龍五郎が連夜の救出に出ない理由は2つあった。

 一つは所在がはっきりせず、今は夜で闇雲に飛び込んでも見つけられず二次水難を引き起こしかねない。

 2つ目は……


「まあ、連夜殿には千里があるしな」


 連夜しかまともに扱えない360度自在の高速機動具足があるのだ。自力で抜け出す可能性が高いから下手をすれば助けに行った瞬間に戻ってくるかもしれない。


 そういった信頼から連夜を放置しているのだが……アンダーテイカーの頬から汗が滴り落ちる。


「な、何言ってんのさね!? 千里は火薬が湿気ったら飛べないんだよ!? 気球って……あんのバカども!! 爆雷投下用の気球飛ばしてたのかい!! 急いで明かりをつけて探すんだよ!!」

「あ、知ってたんだ千里のこと……大丈夫よ」

「大丈夫って!!」

「翁さんが改造したから」


 灯子がため息混じりに風に乗った潮で汚れた眼鏡を外套で拭いてキレイにしていると……


 ――ばっしゃぁぁぁぁん!!


 船から少し離れたところで水柱が立ち上がる。


「あ、多分あれ」

「はぁ!? 水の中で火薬を!?」

「そうよねぇ、そう思うわよね……」


 どうやらアンダーテイカーも連夜の千里のことは知っているようで、しばらく前の灯子と同じような反応を返してきた。

 ああ、きっと私もこういう顔をしていたんだろうなと妙に安心感を覚えながら灯子は生暖かい笑顔でその水柱の方角を見上げる。


「ロ、ロの三番……うぶっ」


 かすかに灯子の耳に届いた連夜の声に続いていつもの千里が放つ破裂音が周囲にこだました。


「おお、無事のようだ」

「あれって無事なの?」


 暗くて良くわからないが灯子の目にはいつもの連夜のシルエットよりも大きく見え、なにかを担いでいるのかもしれないと予想する。


 実際、連夜は両腕に気球の操作をしていた兵士二人を抱えて飛んでいたりした。


「もう、驚かないさね」


 かくん、と肩を落として連夜が夜空に引く炎の線を見ながらアンダーテイカーが力無く呟く。どうやらあんな状況下で、なおかつ船酔いで最悪のコンディションでも人命優先を選んだらしい。

 国は違えど暗部としてのあり方はそう変わりはないと思ってるアンダーテイカーからしたら呆れるしか無かった。


「……どうやって着地するつもりかね?」


 代わりに真っ直ぐ吹っ飛んでくる連夜がどう見ても着地できそうにないと思ったアンダーテイカーが疑問を述べる。

 その答えは当の本人からもたらされる。


「たすけてくれぇぃ! 着地まで考えておらんかった!!」

「「「あ……」」」


 ひゅん! と風切り音と悲鳴を残して連夜が甲板へ激突して軽めの荷物を積んでいた荷置き場へ転がり込んだ。


「いわんこっちゃないねぇ」

「連夜!!」

「連夜殿!!」


 盛大に大小さまざまな版画や書物、反物をぶちまけてやがて静かになる。三人は顔を見合わせて、恐る恐る連夜の墜落現場へ向かうと……目を回して気絶している連夜とぐったりして失神中の軍服姿の兵士が仲良く並んでいた。


「大したもんさね」


 もちろん悪運の強さという意味で、アンダーテイカーは連夜を称賛する。


「まったく……連夜ったら」


 腰に手を当てて盛大なため息を吐きつつ、灯子は安堵した。


「やれやれだ、アンダーテイカーとやら。嬢ちゃんたちの護衛なんだろう? 後は任せた。俺は船の損傷を確認する」 

「任されたよ。左舷中央の激突でできた穴は無理やり荷物で塞いで鎖で縛ってある。早めに処置した方が良いさね」

「助かる。じゃあな嬢ちゃん……連夜殿が起きたら刀は俺の部屋に保管してあるって伝えてくれ。そこらに置いておけないしな」


 わかった、と灯子は龍五郎に答え。小走りで連夜のもとへ向かう。

 その後をのんびりとついていくアンダーテイカーはとりあえず追撃もなさそうだと、落ち着きを取り戻した水面を一瞥した。


「全く、何を考えてるんだかね。強硬派の連中は」


 そうぼやいて、この船の船医として連夜の治療に向かうのだった。


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