25:限界

「海藤隊長! 戦車が……」


 鳴り響く金切り音の中、闇狩りの隊員は半数以上が戦意を喪失していた。

 準備は万端だった……斬る事を主体にした斬鬼相手に、鋼の鎖帷子を装備して銃を揃えたのに……結果は燦々たる有様。むしろ何も知らなかった大使館の兵隊の方がマシだったのである。


 火を噴く具足を纏い、防爆仕様の大使館の扉を蓮夜から標準装備の盾で守った為か、その異常極まりない打撃を何とか逃れて避難した。

 

「黙って動かしてろ、くそっ……あの野郎本当にナイフだけで戦車を解体しやがる」


 必死に弾倉を入れ替えて蓮夜に向かい銃弾を放つ海藤も、流れ弾ならぬ流れ刃によって頬にざっくりと深い負傷を負っている。

 その目の前には宙を自在に駆け回り、その足跡の代わりに装甲への傷を残していく蓮夜が映っていた。


 火薬の匂い、鉄同士の擦れる火花、手に伝わるじっとりとした汗の湿り気……それらすべてが海藤へ今の現状が真実だと告げている。

 そして……今まさに成す術無く、戦車の一両が蓮夜の斬撃を受けてとうとうその車体を止めた。

 

「これで一台」


 蓮夜は止めとばかりに戦車の横腹に爆音付きの回し蹴りを放つ!


 ――バガンッ!!


 10tを超える車体が数メートル横滑りして、それでも逃しきれなかった衝撃でごろん、と横転する。それでもなお蓮夜はつまらなそうにため息をついて、断続的に迫る射撃を右に左に身体を揺らしながら避けていった。


「化け物め……」


 何度愚痴をこぼしたかわからないほどに繰り返した言葉は、その場にいる全員の共通認識になっている。


「隊長、もう弾が……」

「わかってる! 黙れと言ってるだろうが!! 突っ込ませろ!!」


 最早なりふり構わない海藤の指示で隊員がペダルを精一杯に踏みこむ。

 片側のキャタピラが半壊して斜めに傾ぐ視界の中、海藤は戦車の中に転がっていたダイナマイトの導火線に火をつけて蓮夜に投擲した。


「む」


 その海藤の投擲物を視認して、蓮夜の動きが変わる。


「それは困る」


 距離を取るように飛び跳ね、直線的な軌道で離れていく……逆に海藤は銃弾すらも前に進んで避ける蓮夜が急に距離を取った事に疑問を持つ。


「あ?」


 ダイナマイトが爆発する先、その遠くに逃れた蓮夜は再び具足から火を噴いて接近してきた。

 なぜ? その答えはすぐに解ける事となる。


 再び突っ込んできた蓮夜に向かい、もう一両の戦車からダイナマイトが放られた。それは蓮夜の視界の外であり気づけなかったが……見当はずれの位置に跳んでいきながら爆発する。

 次の瞬間。


「しまっ!」

 

 爆風の影響で姿勢が崩れたのまでは海藤が気づくが……そのせいで蓮夜は明後日の方向へ飛んでいき、大使館のレンガの壁に自ら激突した。

 すさまじい勢いで軽く地面が揺れる中、ダイナマイトを投げた隊員もぽかんとして土煙を上げる壁に視線を向ける。


「かはっ……く、そ」


 蓮夜はずきずきと痛む頭を振りながら、足に力を込める。

 ナイフを取り落としてしまったが……どうせもう斬れないしと諦めた。それどころではないのだ……蓮夜の身体は限界を迎えている。否、超えていた。


 実は千里には……蓮夜を無敵足らしめている月夜連製の具足は欠陥品である。

 強力な炸薬によって爆発的な推進力と継続的な速度維持をもたらす『イの炸薬』、瞬間的な爆発力を持って回避と打撃力の上乗せを行う『ロの炸薬』、状況に応じて入れ替える様々な補助効果を持つ『ハの炸薬』をそれぞれ3個づつ搭載していた。それはただでさえ速い蓮夜の歩法を向上させ、その脚力に物を言わせた蹴撃の威力をさらに増し、一対多数になりがちな戦闘を蓮夜に有利にさせてきた。


 しかし、自動車で一番重要な機構は何であるかと問われれば……技術者の大多数がブレーキと言う様に……千里には調整機構が一切付いていないのだ。

 正確に言えば……どうしようもなかったのだ……火薬はあくまでも量に応じて燃えるのだから量で調整できればと考え試行錯誤されたものの、蓮夜の望む効果を得るためにギリギリのバランスを搭載すると調整する機構を乗せる事が不可能である。それを蓮夜の体幹や勘がうまく何とかして来ていた。


「目が、霞むのう」


 つまり蓮夜が万全な状態ならばどれだけ暴れ馬の千里でも、乗りこなせるという事なのだが……わき腹からの出血はどんどん増えていき。人間という生物である以上、血液量の低下に伴い脳に届く酸素量も減っていく。

 挙句の果てに高速移動を繰り返す蓮夜の身体は血の流れが偏りがちで、長時間の戦闘は負担が蓄積しやすい。そう、爆発の風圧で自分自身の軌道を乱されても修正できないほどに。


「せめて……刀があればなぁ」


 だからこそ、切れ味鋭い愛刀が生きていたのだ。

 触れれば斬れるを体現した愛刀がその戦闘時間を短縮し……千里がそれをさらに押し上げていく、その好循環が途切れるといくら超人的な戦闘力を持つ蓮夜も……疲弊するのである。

 すでに全身を虚脱感が襲い、怒りで奮い立たせていた。


「いきなり、吹っ飛んだかと思えば……そう言う、事か」


 土煙が晴れる中……合点がいったとばかりに海藤が戦車からゆっくりと降りてくる。

 今まで……海藤は蓮夜に爆弾など足止め以上の意味は無いと思っていた。実際爆薬は罠で仕掛けでもしない限り爆破させる前に斬られると思っていたからだ。


「斬鬼も……寄る年波には勝てねぇって訳かい」

「その爺一人に戦車まで持ち出しておいて……良く言うわい。せっかく……死人が出ぬように加減してやったというのに……恥知らずめ」

「それは見方の違いと言うもんだ、てめえは手加減してやってというが……俺達はそうでもしねぇと伝説の斬鬼を殺せない。大きな利益のために多少の損が必要になるのは金でも戦いでも同じ事さ……この程度で勝てるなら安い」

「損得勘定か……儂が苦手な考え方じゃ」


 片膝をつき、鋭い眼光で海藤を見据える蓮夜も……海藤が良く見れば脇腹から出血し、全身がすすで薄汚れ……ほんの数発であるが銃弾は蓮夜を捕らえていたのだろう。肩やこめかみ、太ももからも出血をしていた。

 一般的には満身創痍そのものの蓮夜の様子を見て、それでも海藤は警戒を崩さずに銃を構える。


「あの世で算盤でも習うんだな……このご時世ビジネスで回ってるんだ」

「びじねす……か、世知辛いのう……儂には生きづらい世の中じゃ」

「そんな心配も今日、ここで終わりさ……刀から銃に代わった世の中、伝説と共に去れ……斬鬼。言い残すことは?」

「無い…………」


 蓮夜の様子を注意深く観察し、足掻く様子が見えないので海藤はせめてもと蓮夜の脳天を銃で狙った。

 少しづつ近づき、外し様が無い距離まで来た時……不意に蓮夜は口を開く。


「いや……一つ疑問がある。冥土の土産に教えてはくれまいか?」

「……知ってることなら」

「なぜ、お主等は闇狩りとして再起できた? 5年前、儂はたしかに全員叩き伏せたはず」


 なるほど、確かに蓮夜が疑問に思うのは当然だろう。

 あの一揆に関わった者は軒並み逮捕され、裁判無しの無期懲役とされていた。なのにこうして政府の機関として居座った理由は想像もつかない。


「簡単なことさ……俺達は売られたんだ。収容所の刑務官が小遣い稼ぎの為にな。ヒデェもんさ……網走で獄中死なんて日常茶飯事だからって全員まとめて、タバコ一袋程度の金で売り飛ばされた」


 そう言って海藤は胸ポケットから紙タバコを一本取り出し、オイルライターで火を付ける。

 

「その後は地獄さ……娯楽のために痛めつけられ。まともに食える飯なんぞありゃしない、横浜で一揆を考えてた時以上の地獄があった……そんな時さ。一人の金持ちが俺等を買って、言葉を教えた、食い物をくれた、金がいかに大事かということを教えてくれた」

「……そして、復讐を?」

「ああ、この国はどうだ? 斬鬼……古めかしい習慣に先進国から一足も二足も遅れた文化。そして……圧倒的に狭い国土。他国から見りゃあゴミ捨て場にするのにちょうどいいと来たもんだ。あの時、俺達が実権を握り対等に交渉できれば……こんなことにはならなかった!! もはやこの国は手遅れだ、あの偉そうな大使様に遊び場としてくれてやっても良い価値しか無い」

「…………そうか」

「本当はもう半年早くできたんだ。それなのに前の大使は人権がどうのとかこの国が素晴らしいとか、鬱陶しい美辞麗句を並べ立てて厄介な事この上なくてな……だから退場してもらった。俺達の新しい過去と身分を手に入れる金を穏便に出してもらった後にな」

「なるほど……どうにも合点がいかぬ襲撃だったが。前の大使殿は……お主等が持ち出した金を横領したと誤解されて殺されたのか」 

「だから今回は、バカを選んだ……おだてりゃなんでも出す人形をな」


 もちろんその人形とは、DT・ホウのことである。

 海藤はこれで終わりだと、拳銃の撃鉄を上げた。


「のう、海藤。お主達がなぜ横浜で一揆を企てたのが失敗だったのか知りたくはないか?」

「時間稼ぎのつもりか斬鬼……何を、企んでいる?」

「企んで何ぞおらんよ……一手でひっくり返すには刀がなければどうしようもない」

「なら、なおさら聞く必要はない。死ね」


 引き金に手をかけ、海藤がタバコを紫煙と共に吐き捨てる。

 

 銃声が鳴り響き、騒々しかったアメリカ大使館の中庭が静まり返った……。


「な、あ?」

 

 銃身が半ばから弾け飛び、海藤の右手が痛みを感じるより早く跳ね上がる。

 無論、海藤はまだ引き金を引いてない……ではどこから? 


 周りの闇狩りも、誰一人として海藤を狙っている者はいない。そんな中……ひゅんひゅんと風を斬る音が蓮夜の下へと向かう。それは闇夜の中でも炎の光を受け、キラリと輝く二条松の紋を付けた……一振りの日本刀だった。


「蓮夜!!」


 その声の出所は大使館でひときわ高い執務室の二階にある、大きな窓。

 金色の髪をした少女が身を乗り出して叫ぶ、その頬に大きな青あざを作り、トレードマークの眼鏡が無く……ろくすっぽ蓮夜の事も見えてないはずなのに……その瞳は真っ直ぐに蓮夜と交差する……。


「ごめんなさい!!」


 喉が張り裂けんばかりに灯子は叫ぶ。

 色々考えた、悩んだ、悔いた、悲しんだ、千の言葉を尽くしても蓮夜は自分のことを許してくれない悪夢を見た。


 だから、最初の言葉はこれしか思い浮かばなかった。


「儂こそ……謝らねばならぬのに」


 全く、これではどちらが子供かわからぬ。

 蓮夜の口元に、笑みが戻る。意識に精細さが戻る。失われた血の代わりに気力が戻る。


 だから、蓮夜は答えた。


「儂は、侍に非ず……ただ斬るしか脳のない鬼じゃ」


 この局面をひっくり返すためのたった一つの手。

 鬼に金棒、蓮夜に刃物。


 虚空に弧を描いて、数日ぶりに手にする蓮夜の愛刀は刹那の間に周囲十二間(およそ22m)を斬り刻む。

 月夜連合が誇る開発部局長……翁の打った唯一の日本刀はそれでもなお、刃こぼれ一つ起こさなかった。


 そして、海藤達治は……最後まで。

 蓮夜の命を奪えないまま、5年前と同じように……ゆっくりと燃え盛る光景の中。


 意識を失った。


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