17:水無月蓮夜

「こっち、縫合早く……そっちはしっかり押さえて出血止めて」


 白衣に身を包む壮年の男性が額に汗を浮かべながら次々と助手の女性たちに指示を出す。

 綺麗な布団の上で寝かされ、痛々しい銃創を晒すのは元月夜連合の最強と呼ばれた鬼。水無月蓮夜その人だった。

 青白い顔で時折苦悶の声を上げているが……その原因は痛みではない。


「まだうなされてます……」

「麻酔は効いてる、まったく……倍以上投与しているのに元気なもんだ」


 カチャカチャと手術道具を駆使して、医師は蓮夜の治療を続ける。


「一体……何が」

「輸血が必要だ……おい、誰か下に行って蓮夜殿の輸血人員を呼んで来い」


 口を覆うマスクをずらし、仲居の一人に声を掛けると腕まくりをしてその仲居は頷く。


「良し、隣に布団を敷け……時間との勝負だ」


 その部屋は、奇しくも灯子と蓮夜が牛鍋を食べた部屋だった。




 ――二日後




「う、む?」


 蓮夜が目を開くと、見覚えのある天井があった。

 月夜連合での仕事の際はしょっちゅうこの天井を眺めていた気がする。特に駆け出しのころは……怪我も多いし、間抜けにも風邪を引いたりした。


 いつからだろう、そんなに床に伏せる事も少なくなり。

 天井を見上げる機会などそうそう無い、はずだったのに……。


「よう、目ぇ覚めたか爺さん。大したもんだ……二日で起きたか」


 座布団に胡坐をかき、湯飲み茶わんでお茶をすするナナシが笑う。

 しかし、その眼の下は隈ができていてあくびをかみ殺しているので碌に寝ていないのだろうと蓮夜は推測した。


「二日か、儂も年を取ったのぅ」

「……撃たれて月島から泳いで逃げて、宿まで歩いただけでも十分頑丈だぜ? 失血も洒落になんねぇし、月夜連合はつくづくしぶといもんだ」

「説明されると自分がどれだけ異常か思い知らされるところだが……そんな場合ではあるまい。すぐ動く、儂の服と……刀は捨て置いてしまったんだったか」


 ぼんやりとする思考を無理やりたたき起こし、記憶をたどる。


「まあ待て、もう爺さん一人の問題じゃねぇ。とりあえずなんか食うか? 丸二日食ってねぇだろ」

「……ふむ」


 痛むわき腹をさすりながら、蓮夜のお腹は思い出したかのように空腹感を音で知らせてきた。

 恐らく護衛を兼ねて付き添っていてくれたのだろうナナシも疲労の色が濃い、とりあえず食べて落ち着く必要はあるだろう。


「それもそうじゃな……なかなか手痛い目にあったしのう。お主を笑えない所だ」

「じゃあ、仲居に腹持ちが良い物でも作ってもらってくる。勝手に動くなよ? 医者が縫いづらい傷だったってぼやくぐらいだからすぐ開いちまうぞ」

「じゃろうなぁ……」


 海を泳いで逃げる時も手で押さえていたが、怪我に慣れている蓮夜もなかなか出血が止まらなくて難儀した記憶がうっすらと蘇った。


「まるで狙撃銃を至近距離から撃たれたみたいだってよ、弾が回転するから周りの肉も引き裂くんだってさ」

「狙撃……なるほど、仕込み銃にそれの弾を使ったか。念入りなもんじゃ」

「それで始末できないもんだから間抜けなもんだな。闇狩りは」


 甘く見過ぎだぜ、とナナシは笑うが……その笑みが凍り付く事実を蓮夜は紡がねばならなかった。

 からからに乾いた喉にへばりつく様な重苦しさを蓮夜は振り払うかのように首を振り、口を開く。


「闇狩りではない、儂を撃ったのは……灯子じゃ」


 はは、は!? と蓮夜の想像通りの驚き方でナナシが目をまん丸くして固まった。


「勘違いするでないぞ? 儂が悪い。真に悪いのは山田権兵衛とかいう海藤の部下じゃ……奴め、前アメリカ大使の救出要請を逆手にとって灯子をだましておる」

「だ、騙されるって……どういうことだ!? アイツ前のアメリカ大使の娘なのか!?」

「なんじゃ? 知らなかったのか、そうらしいぞ?」

「前も言ったが社長に押し付けられただけで素性なんざ知りもしねぇよ!? おいおい、待て! すげぇやべぇ事に首突っ込んでるぞ俺達!!」


 まさに血の気が引いた青い顔でナナシが自分の頬を手で挟み、天井を仰ぐ。

 反対に蓮夜は何が問題なのかわかっちゃいない。単純に灯子の誤解を解いて、海藤を叩き伏せるなり斬り捨てれば終わるものだと本気で思っていたりするのだから。


「わかってるか爺さん!! コレ、下手するとアメリカとケンカになるぞ!?」

「それは困るの、何人斬ればいいのやら」

「真顔でバカみたいな事言わないでくれないか!? しかもできそうだからこえぇんだよ!!」

「確かに、一人では難しいのう……誘ったら何人か手伝ってくれそうなもんじゃが」

「人災が拡大するだけなんだが!? 何、月夜連の戦闘部隊は皆爺さんみたいに馬鹿なのか!?」

 

 酷い言われようだが、実はあんまり間違ってなかったりする。

 おかげで年齢だけなら蓮夜がダントツで年長者なのだが……ついぞ管理したり導き手としての道は開かれることは無かった。

 他の隊員たちも似たり寄ったり……類は友を呼ぶと他部署の職員からは苦笑い混じりに揶揄されている。


「じゃあどうするのじゃ?」

「いいか、今から言う事を良く聞いてくれ爺さん!」

「うむ」

「今から俺は一階で仲居に飯を作ってもらう!」

「うむ」

「そうしたら俺と一緒に食おう、腹いっぱい」

「うむ」

「そしたら俺が考えまとめて一寝するからだまーって俺が起きるまで療養しろ!! 良いな爺さん!」

「しかし、それでは灯子が……」


 ただでさえ二日も開いたのだ、無事でいる確証がないので……蓮夜は食べたらすぐにアメリカ大使館に殴り込むつもりだった。しかし、ナナシは盛大なため息と共にちゃぶ台を叩き蓮夜を叱る。


「はぁぁぁ……爺さん、いいか? もうすでにな? 闇狩りの連中が爺さんが生きてると仮定して爺さんの買った家の周りの連中を一人ひとり調べてんだよ! ただ単に声を掛けられただけの奴までしょっ引かれてる……幻陽社も火消しと対応に動き始めている状況下なんだよ!」

「……そうか、じゃあなおさら急がねばな?」

「こ、この爺……まあ、まずは飯を食ってからだ。灯子の処遇も社長に指示を貰って……」


 蓮夜の顔がこわばる、ナナシからしたらいくら蓮夜が身請けしたとはいえまだ口約束だ。

 ただでさえ蓮夜は国家権力で保護されている手出し厳禁、それをどういう理由があるとはいえ……協力組織の幻陽社が傷つけたとなれば……それなりの処分、例えば。


「先も言ったが、儂がちゃんと話しておかなかった落ち度がある。頼む、この件は儂に……」

「ダメだ、私情は挟まない。担当官としての心得であり規律だ……月夜連と言えどもこの判断に異論は認められない」

「い、今の儂は月夜連では……」

「なおさら駄目だ。良いか、爺さん……いや、蓮夜殿。規律は守られなければならない……特に月夜連が解体した今、俺たち幻陽社が裏の顔だ……こんな手まで使う闇狩りは名前の通り闇に葬るしかねぇ」


 すでに民間人に迷惑も掛かり、蓮夜も深手を負っている……元月夜連の人員に手助けも求められない。もしかしたらもっと大事を企んでいる可能性だって無い訳では無く、現アメリカ大使だって黒かもしれない状況では……蓮夜の考え、いわゆる脳筋な解決方法。悪い奴を斬って終わりでは無くなっている。


「わかってくれ爺さん、もう……力がモノをいう時代じゃなくなってきてるんだ。頼むから……うかつに動くなよ?」


 そう言って、ナナシは今度こそ席を立つ。

 食事をとりながらも幻陽社の支援を要請して……と頭を抱えるような困難を夢想してしまいながら。


「……わかった」


 蓮夜はすっかり気落ちして、しょぼくれるのを視界に収めながら。

 すまんな、と声を掛けるナナシ……ゆっくりと部屋を出てふすまを締める。


 しばらく、遠ざかる足音を聞きながら蓮夜は静かに目を伏せた。


「どうせ、老い先短いのじゃ……後始末は任せるぞナナシ」


 政治の事など微塵も理解できていない、だがしかし……時代が変わる時、蓮夜はいつも感じていた。

 

「そろそろ隠居の時が来たという事じゃ」

 

 それから数十分、仲居が急いで雑炊やらを作りナナシと蓮夜の居た客室に戻ると……。


 綺麗に折りたたまれた布団、血の付いた包帯が一か所にまとめられており……。


「あ、あの爺!!」


 拙いひらがなで……ちゃぶ台に一言。


『せわになった。あとはたのむ』


 そう書いてあった。




 

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