3:腹が満たされたらまずは一休みじゃな

「もう食えん……実に旨い蕎麦じゃった」

「幸せ……五臓六腑に染み渡る蕎麦湯の温かさ」


 それぞれ5枚、周りの客も呆れる勢いで平らげた蕎麦は幸せの味だった。

 濃い醤油の味の中に共存する鰹の風味と昆布の出汁。

 しっかりとコシの強い蕎麦は風味が強く、一口啜るごとに鼻を抜けていく。


 しかも……


「良い食いっぷりだな。こっちも気持ちがいいぜ」


 重なる器の勢いに気を良くした店主が天婦羅をおまけしてくれたのだ。

 真ハゼの淡泊な白身にサクサク触感の衣、それに染み込んだ天つゆのインパクト……。


「こんなにうまい蕎麦は初めてじゃ。感謝する」

「天ぷらサクサクであったかい……こんなにマトモな食事……いつ以来」


 満足気で緩み切った二人の顔に笑い声をあげる店主。

 まだ昼前と言う事でもあり客は数人、店主は買ったばかりのラヂオをつけて従業員に配膳を任せる。

 

「こっちこそ、少しは恩返し出来て良かったぜ。いつでも食いに来てくれ」


 蓮夜に声をかける店主の目じりには感極まったのか涙が浮かぶ。


「恩返し? すまぬがお主とは……今日が初めてなはずじゃが」

「そうだな。初めてだが……爺さんのそれ」


 そう言って店主が指差したのは洞爺の腰、刀の柄で揺れる根付だ。


「うむ?」

「その根付は政府のお偉いさんが退職する時に貰うもんだろ? 俺は関東大震災の時に月夜連合と言う政府直下の組織に助けられたんだ。お袋と一緒にな……あん時は礼の一つも出来ないガキだったが覚えてる。平屋が燃えてもうだめだと思った時に……黒髪の侍が飛び込んできて壁を斬り割いてよぉ、逃げ道を作って貰ったんだ。おふくろは数年前に無くなっちまったけどよ……ずーーっとそん時の侍に感謝してたんだよ」


 鼻の下を指でこすりながら店主は笑う。

 そんな店主に蓮夜は箸を止め、穏やかに質問した。


「……そうか。なぜ月夜連合とわかる?」

「最近知ったんだ。先月の新聞で書いてあっただろ? 暗部解体の閣議決定」


 そう言って、店主は休憩所からくしゃくしゃの新聞を持ってくる。


「……月夜連合、解体。国に尽くした忠義の者たちに感謝を」


 斜めから首を伸ばして新聞の見出しを読み上げる灯子。

 実は蓮夜が漢字の読みが怪しいのを注文の時に察しての行動だった。


「この時に今まで何か大きな事件の時や災害の時に暗躍したって発表があってな……暗躍っつうか活躍だよな。それ以来いつか会う事があれば、そう思ってたんだ。まさかすぐに叶うとは思ってなかったけどな」

「退役の証、切子硝子の二条松の紋……」


 灯子が新聞の端に書いてある文を読むと、なるほど蓮夜の根付と同じ紋様と手出し無用の付け加えられた見出し。

 

「幕末から今にかけて……俺たちの暮らしをお月さまみたいに見守ってくれてたお方だ。これぐらいは返してぇじゃねえか」

「……感謝する。店主殿」

「ふうん……蓮夜、偉いんだ」

「いや、政府が不干渉と言うだけあって儂もまた、口出しはできぬ身じゃ……現に他の皆は伊豆や大分へ湯治に出たりと……何をしておるのかは全くわからん者もいる」


 これからは、静かに暮らせ。

 月夜連合の頭領はそう締めくくり、皆を送り出した。

 彼もまたきっとどこかで悠々自適に暮らしているだろう。


「そうなんだ、なのになんで蓮夜は行き倒れてたの?」

「む? その……実は」


 蓮夜はこめかみを恥ずかしそうに掻きつつ、視線を泳がせる。


「「実は?」」


 なんとなく気になるその様子に、灯子と店主も先を促した。


「儂はその……勉学が苦手でな。斬る事しか能が無いのじゃ……今までは連合のおかげで衣食住、何の不便も無く暮らしておった……世事にも興味がなく新聞も恥ずかしながら、読んだ事すら無い」


 大なり小なり、同じ組織の同僚は任務のついでに世間を知るのだが……蓮夜はまるで興味を示さず任務と組織の宿舎の往復と刀を振る訓練だけ。


「だから銀行の利用方法も知らなかったのね」

「助かった灯子殿。危うく一銭も使わず餓死するところじゃった」


 それならば蓮夜の今までの言動にも説明がつく。


「じゃあ、今は宿無しなのか? 蓮夜の爺さん」

「うむ、じゃが今は金がある……今晩はどこか宿にでも泊まって疲れを癒すつもりじゃ」


 流石に浮浪者一歩手前のままでは何かと面倒ごとに巻き込まれる可能性もあったし、服に纏わりついた匂いも気になってきた。 


「ならよ。明日で良いから神田町に行ってみると良い。あの辺は都市開発とやらで盛んに家を建てているらしい、丁度あの辺には世話好きな女将もいてな……今晩出前を頼まれてるから話を通しておく。どうだ?」

「良いのか? 儂は多分震災の時におぬしらを助けた者ではないが」

「同じ月夜連だろう? 良いって事よ! じゃあ明日の朝ここに寄ってくれ。地図と弁当位しか出せねぇが」


 快活に笑う店主に灯子と蓮夜が苦笑いを浮かべる。

 ただただ空腹を満たすためだけに来たはずが、住まいの話まで進んでしまった。


 ――ザザッ


 そんな怒涛の勢いで世話になる事が決定した二人の耳に、ラヂオのアナウンスが飛び込む。


『政府は国際的平和の象徴として、まずは国内の平和を第一に考え。闇狩り法案を可決しました。これにより国内の不穏な動きを抑制し、国外への治安の良さを広く知らしめるとの声明を発表しており。アドバイザーとして先月、米国大使館に赴任したダーティ・ホウ大使を招き。大国の治安維持の実績と方法を直に得るとの考えと……』


 ――ブツッ……


 唐突に切れる音声、店主がラヂオの電源を切ったのだ。

 その顔は不満気で先ほどまでの笑顔はない。


「ったく、何でもかんでも外国の真似すりゃいいってもんじゃねぇだろうに……」

「店主殿……今のは?」

「要は危険な連中を表で大々的に摘発するんだってよ……わざわざ暗部を解体したのに何をやってるんだか。月夜連がみーんな掃除した後に新参者が偉そうに幅を利かせて……国の当主ってやつは何考えてんのか分かんねぇな」

「なんか物騒」

「本当にそうだよな。噂じゃあその新参者は首に輪をかけた元ごろつきばかりだって話だし、悪い事が起きねえと良いんだが……ま、蓮夜の爺さん達には関係がない話だ! なんせ手出しできねぇんだしな」


 なんたってお国にとっての恩人なんだから。そう言って店主は先ほどまでの様に笑い。

 店内も昼時が迫ってきたのか客足も増えていく……二人も残りの傍を平らげた後、客が外に並び始めたのを見てあまり長居しては困るだろうと、明日の約束と礼を店主に告げて蓮夜と灯子は店を出る。


 客の多くが笑顔を浮かべる中、ラヂオの内容が気になるのか二人の表情はどこか上の空だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る