オムレツにならなかったよ

オムレツにならなかったよ

            森川 めだか



 俺についてこい。


僕はミシェル。女みたいな名前だけど、モン・サン・ミッシェルにあやかって付けたわけじゃなくって、「フルハウス」のミシェルからなんだ。

ちょっと残念だよね。

雲は全て飛行機雲だと思うんだよ。君はどう思う?

でなきゃちょうど雨が降り出すなんてことあるわけないもの。

ところで、長生きの秘訣は? って聞いたことがあるんだ。「クソしてベンして寝ることだ」って言ったね。

「クソしてベンして」は重複してるね。きっと彼はキかかってたんだと思うよ。その後、急に死んじゃったし。

できれば、「人生、長かった?」って聞いてみたかったね。

多分、「あっという間に」か「素直になれなくて・・」を歌い出すんだ。

キリストはマスかいてたのか?

って、友達に言われたことがあるんだ。友達と言えるのかどうか・・。

きっと奴は映画狂だったんだね。「マスかく」なんて言葉は映画の中でしか通用しないよ。

それもこれも僕が色盲だからなんだ。

色の区別がほとんど付かないんだよ。

その人が何色を見てその事を言っているのか分からないんだ。

だから、心の中では僕を馬鹿にしてるんだよ。「イド」の中ではね。

屈折が違うだけだろ。屈折がね。

そのおかげで僕は醜形恐怖症の気があるんだ。醜形恐怖症ってのは自分をもっと醜いと思う病気のことだよ。

鏡の中では僕は土気色をしてるんだよ。

僕はいつも死相が出てるんだ。

そんなこんなで小説を書いてるんだ。目下、修行中の身ってわけさ。

インクがどんな色してても構わないわけだろ?

僕はそれをオムレツにしようと思ってる。

オムレツってのは本で見ただけだけど、マッシュルームか何か包んでひっくり返す簡単な料理だ。

「卵本来の美味しさ」でって書いてあったけど、バターやチーズなんかを挟んでこっそりハムなんかが覗いてたりするんだ。

きっとみんながおいしいと思うはずだよ。

こんがり焼けてれば間違いなしさ。中まで火が通ってなければ「卵本来の美味しさ」でじゃないからね!

人間はみんな神様に似ているね。

神様がいたとしたら、だけどね。

僕が二人いればいいのに、って思うことないかい? 一緒に遊べる。

感動や悲哀妄想で泣く事はあるけど、追いつめられて泣く涙もある。涙には少なくとも二種類あるんだ。

自己紹介の時に声に詰まっちゃう時なんかは、後者だね。前者は映画の中でしか通用しないよ。

神様っていえば、この世界は支配されてるんだ。「カスタネット」にね。

神様がいれば支配なんかしないと思うんだけれど、誰が呼んだか知らないが「カスタネット」っていうのはAI2なんだ。要は機械。完全に機械じゃないんだけれど、木が生えてるしね。世界遺産でいえば複合遺産だね。

「カスタネット」って呼ばれてるのは、多分、男女が睦み合った姿に見えるからじゃないかな?

シミュラクラって言うんだって。三つの点が顔に見える現象。車や木の節がそう見えるのもそうなんだ。

「キーキー」って言うんだよ。カスタネットの前では。「「キーキー」って。

何されるか分かんないから、人間はみんな猿のマネをするようになったんだ。

現生人類がいなくなる代わりに、アシテナガザルが発生したんだ。

人間が絶滅したら生態系は狂うのか? って思ったけど、崩れた。

見ることによってこの世界は成立してるから、鳥が飛んでても大地は存在しないんだ。

その分、みんなハイミナールで遊んでる。

ハイミナールってのは処方箋なしで買える催眠薬さ。

キマってる時はガラス街が見えるんだ。

ピンクの象や桃なんかは見えたりしないで、おそらく人類が残し得たであろう末期が見えるんだ。

僕がカスタネットに怯えてるのは、それが人間の遺品になるだろうからなんだ。

変だよね。喪中葉書を大切にしてるなんてさ。

カスタネットは誰もいない野っ原に鎮座している。寂しいもんだよ。近寄りがたい。

誰が建てたのか知らない。

どうしようもなくて通り過ぎる時は「キーキー」って言ってお茶を濁すんだ。

そうすれば、助かる。

カスタネットが何かしたってわけじゃないんだよ、ただ何の意味もなくそこに座っていることはないと思うんだ。

ああ、泣きたくなってきたなあ。だってこれは自己紹介だろ? 立たされて一人で喋ってるなんて学校みたいだ。

学校は嫌いなんだよ。殴ってくださいって言ってるようなもんだから。ミシェルなんて女の子みたいな名前・・。



 ひどい顔だ。幽霊が手招きしてる。

幽霊がいたとしたら、だけどね。この頃、肩こりもひどいんだ。

ストレスは現代病だね。だからみんなハイミナールをやるんだな。

神様はストレスじゃないからね。

僕の作品はね、「愛と炎の歴史」っていうんだ。

愛煙家の遍歴を著したもので、ミッチェルとエマが旅をするんだ。

ミッチェルは、僕の名前じゃなくて、「終わりない物語」のミヒャエル・エンデなんだ。

アイゥオーラおばさまが好きでね。帰る家があるって素敵なことだなあ。

エマはエマニエル夫人じゃなくて、エマージェンシーなんだ。

エマも色盲でね。

何より、「レタスネット」に支配されてるんだ。

そういう世界観しかできないんだよ。才能ないのかな。

カスタネットがない時代を生きてないから、かえってポピュラーとかつくりたい。

ハイミナールをやってる時は、自分がバラバラになる感覚を持つんだ。

ユリシーズのように旅をするんだ。エマと。

きっとどこかに煙草を吸う場所があるはずなんだ。

煙草にはアンモニアが含まれている。

クマリンも含まれてるのかな?

舞台はアイオワ。行ったことも行こうとも思わないけど、とにかくアイオワなんだ。

炎が燃えてる感じがするんだよね。アイオワってさ。

季節の変わり目だからかな、ヒヒまで戻りそうだ。

カスタネットは睦み合った姿とは裏腹に、「断絶」を感じさせるんだ。そこだけ地獄を落っことしたみたいに、69してるんだ。

希望って何だ?

なぞなぞじゃないよ。

はらぺこあおむしさ。

食べ過ぎてお腹壊してワンワン泣いて、緑の葉っぱを食べて蛹になって、まるまる太った蝶になるんだ。

愛は美しい蝶だ。

緑って涙色のことだろ?

さよならなんて法螺さ。

動物は泣かないだろ? 人間だけが泣くんだ。それが嘘さ。

そういう人は、気付けば、天の国にいるんだろうね。

ここでひとつsighをした。

sighってのはため息のことだよ。

僕の小説はため息を吐いてばっかなんだ。

西の空は茶色い。僕はいつも夕日が終わろうとしてる頃に外に出ることにしてるんだ。

青い闇の中を走るためにね。光を見つけられる気がするんだ。

それまではインドアもインドア。真っ暗な部屋で小説書いてるよりいいだろ?

走るのは体にもいいし心にもいいよ。夜が僕の中の炎を追い出してくれるまでね。

終わりのない物語を書くためにね。

月を見過ぎると狂うっていうけど、僕が狂いそうになるのは部屋の中で水滴の落ちる音を聞いてる時なんだ。

蛇口が一本壊れてるんだ。

鍾乳洞に閉じ込められて水滴の落ちるのを聞いてるだけで狂っちゃった人の話を実際聞いたこともあるんだ。

とかく、人ってのは狂いやすいもんだね。

時々、僕は色盲なんじゃなくて色覚過剰なんじゃないかって思う時があるんだよ。全てが色で見えるんだ。数字だったり、人だったり文章だったりその時のムードなんかもね。

だから、光を見つけられたとしても、光として認識できるのかな? やっぱり青いんじゃないか。

そんなことを思うのは月を見過ぎたせいかな。太陽を見るのはなかなか応えるけど月は見えるように工夫されてるんだ。

星なんかもそうだよね。超新星爆発してもうないのかも知れないけれど、どっかの遺跡が目に浮かぶんだ。

それはもう誰もいなくて空もなくて星の周回軌道に神話を語ってるんだ。石がね。

宇宙人がいたとしてもそれが生命と言えなかったらどうするんだろう。毒ガス吸って生きてるのかも知れないのにさ。命って細胞のことだろ?

ただ宇宙空間を漂ってるシースルーみたいなものが宇宙人だったりするんだよ。

黄昏に透き通る瞳は宇宙人だね。

僕がやってる事は芸術の輪姦だよ。芸術でカスタネットに勝とうとしてんだから。



 アビゲイルはイカれてる。舌に耳飾りしてんだから。

ハイミナールをやってフラフラだったな。

「キーキー」

「キーキー」

丁度カスタネットの前だったから、アシテナガザルのマネをしたんだ。

その瞬間に、エマとミッチェルもアビゲイルに会ったんだ。

「マイ・ウェイ」を歌ってたな。うん。

カスタネットは銀のジャケットを着てるみたいだったよ。

カスタネットは錫でできてるんだ。

「ミシェル、ミゲルになるろ」アビゲイルはてんで呂律が回ってないんだ。

ガラスの原料は珪砂でできてるんだけど、アビゲイルの目には僕は珪砂に見えてるんだろうよ。

アビゲイルは指で歯を磨き出したんだ。

「どうしたの、吐きそうなの?」

「違うの、戻しそうなの」

エマとミッチェルは呆れてたな。割と常識人だから。

僕は小説を書く時はハイミナールはやらない、酒も飲まない。煙草はその時になったら吸うよ。

コーヒーを飲んだら小説だけになるよ。

ボクサーは刺激物はだめだからコーヒーも避けるっていうけど、ただでさえ興奮してるんだからいいと思うんだけどなあ。セコンドに戻る時に、瞼やなんかを一瞬で止血するだろ? あの術が欲しいんだ。血を流すことなんてないけどさ。

いつかの時、「朝からコーヒーと煙草しか飲んでません」って高らかに自慢してる人がいたんだ。ボロボロの合成皮革を着てたな。それがちょっとトラウマになっててね。

自分の語彙にないことを、自分の言うはずのないことを見たり聞いたりすると、泣いてる時に何度もリフレインするみたいに嫌な時に限って思い出すんだ。

僕はコーヒーと煙草を吸ったりすると、自分が細く細くなっていくような気がするんだ。僕はボクサーじゃないけどね、減量してる気分になるんだ。月が細く細くなって、猫の目が細く細くなって、ボクサーの瞼が腫れあがって閉じてるみたいになっていつか僕は消えてしまうんじゃないか。そんな時に一瞬で止血したいな。

愛と炎の歴史は砂まみれの顔を洗う水みたいなものなんだ。

アビゲイルのことをほったらかしにしてたけどとっくに吐いてた。

「アビゲイル、僕はミックだよ」

アビゲイルはハイミナールをもう一錠口に入れた。

みんなはハイミナールはピンクだって言うけど、僕には白く見えるんだ。

どうしてさっきカスタネットが銀に見えたんだろう。

夜だからかな。

何々が全てだって言い切れる人がいるけど、いっそ小説が全てだって言い切れれば楽だろうなあ。でも、僕は言い切れないでいるんだ。そんな、スイカの先端だけかじるようなこと出来ないよ。

いくらアシテナガザルでも、僕は人間だから。

前に全てが色に見えるって言ったね? それ、共感覚っていうんだ。具合悪い人につられるのも共感覚だね。

吐きそうだし、煙草も吸いたくない。

芸術は今死にかけてる。

大事なのは、「なぜ、それを知っていたか」だと思うんだ。共感覚もそうだけど、誰かが考えた前のことを僕は真似しているに過ぎないんだよ。

でも、それは盗んだとも違う。

すれ違う時、傘を傾け合うのを傘かしげと言うけど、小耳に挟んだ情報なんかも人との出会いと同じように運命的だと思うんだよ。

科学に学ぶ事も多い。発見することと発展させることを重用するんだよ。誰が盗んだの、それは俺が前やったの、芸の潮はゴミの高さで死んじゃうかも。

どんな分野も正統派、王道を継ぐ者が一番偉いと思うんだ。アビゲイルはジッカのことを気にしてる。

「あの子、また実家に帰るって」

ジッカは実家、実家と繰り返すからジッカって呼ばれてる。本当の名前は誰も知らないんだ。夫のワーイプなら知ってるかな?

人間はカマンベールで、芸術は生ハムかな? 火をかけたら台無しになっちゃうからカマンベールだけにしてよ。

「お父さんは喜んでる?」

別れ際、そう聞いたら、アビゲイルは「ううん」って首を振ったな。

どうしてそう聞いたかっていうとそれがアビゲイルの名前の由来だからなんだ。

大事なのは「どうして、僕がそれを知っていたのか」なんだ。

アビゲイルがかわいそうになっちゃった。

だって、アビゲイルが泣きそうな顔をしていたからさ。

透明なリボンを付けてあげたかったよ。誰だって好きでハイミナールやってるわけじゃないんだよ。

アビゲイルの後ろ姿は幽霊みたいだったな。



「キーキー」

僕は猿のマネをしてカスタネットの窪みに手をかけた。

レタスネットの参考にするためにね。

僕は耳を澄ましてみた。

「カスタネットが歌ってる」

聞き間違いじゃなくてカスタネットのすき間から歌声が漏れてるんだ。

「誰かいるの?」

隠れんぼした子供が帰れなくなったんじゃないかって思って咄嗟に話しちゃった。

でもカスタネットは夏の夜のように穏やかだったし、何もされなかった。歌はまだ聞こえてる。

僕はすき間に体を半分挟み込んで手を伸ばした。何か指に触れたけど人間じゃなかった、回ってるのを見るとターンテーブルだった。

どこかで聴いた曲だなと思ったら、Can't Take My Eyes Off Youなんだ。

カスタネットに「君の瞳に恋してる」が埋め込まれてたんだ。

アイラブユーベイベー・・ビーオーライ。

アイラブユーベイベー・・ロンリーナイト。

僕は驚いて足を踏みはずした。コーティングがはがれて中が剥き出しになったんだ。

僕はスモッグパーカのフードを肩に回して中を覗き込んだ。僕の着てるのはサンドカモなんだ。

女の方だったな。肉みたいに柔らかいゼリーが脈打ってて白い物が見えた。

骨ができてる。

「人間になろうとしてる」

大鋸屑のような物が敷き詰められてあってそこに卵もあったな。

カスタネットもオムレツを作ろうとしてるのかな。

ハムが足りないね。

その卵はダチョウの卵大で、まだら模様が全体に吹き流してあった。恐竜の卵みたいだったな。

恐竜の卵なんて見たことないけどね。

小説ってのは大風呂敷広げてそれを綺麗に畳んで渡すことだと思うんだな。もっと言えば預かったつまらないものですが・・の風呂敷を解いて、中身を確認して、もう一旦それを綺麗に畳み直して相手に返すことかな。間違っても自分の所有物じゃないんだ。

それが心の表。目標なんだ。

この世界に私物化していいものがあるだろうか? これは反語だよ。ニヒト、ミケランジェロは大理石を見たら、その中に「ある」彫刻が見えたっていうけど、表すだけなんだ。芸術家にとって芸術ほど遠いものはないね。

僕は調子に乗って、いい気になってカスタネットの木に登ったんだ。そこは黄色いライラックで、花が咲くと文字通り金字塔になるんだ。

今は葉っぱしかないけど、酸素の匂いがしたな。

こんなだっけ? と思ったけど、葉っぱがやけにフワフワしてるんだ。表面に黴が生えてるみたい。

うどんこ病だ。このままじゃ枯れちゃうよ。二、三枚の葉っぱを見たけどどれも水虫みたいに白っぽくなってた。

カスタネットは世界の智慧熱なんだ。

花が咲いたら、時が止まった花火みたいにいつでも愛でることができるんだ。

こういう時は殺虫剤かな、と思ったけどそんな物持ってないし、花も枯れちゃうかなと思って、僕はその葉っぱを食べ出したんだ。

モシャモシャ食べてるとはらぺこあおむしみたいで涙が出てきた。とても食べきれない。

はらぺこあおむしがもっといっぱいいたらいいのに。

空には月が、あ、ストロベリームーンだ。ストロベリームーンって赤っぽく見える六月の月らしいけど、僕には白く見えるんだ。

どうして今まで気が付かなかったんだろう。とても綺麗だったよ。

それを見たら幸せになれるかも知れないのに、僕はちっとも幸せじゃなかったな。嫉妬してたんだよ。

何だ、ハムがあるじゃないか、って。

僕のハムはどこだろう? つまらないものですが、がハムだったらいいな。

もう猿のマネをすることもないだろうと思ってカスタネットを下りたけど、ミッチェルとエマはレタスを食べることに決めた。

タロ芋だけを食べて生きられる部族がいるらしいけど、レタスだけを食べるハムスターがいたら栄養失調になっちゃうね。

時にはチーズも食べないとね。

月の光を受けて、カスタネットは西陣織を着てるみたいに綺麗だった。

「キーキー」

僕は猿のマネをした。嬉しくってだよ。

固まってきたな。愛と炎の歴史が。

微かに蠕動の音がしたけど、Can't Take My Eyes Off Youにアシテナガザルは尻尾が生えたよ。

土気色の尻尾がね。



 綺麗、綺麗って言うけど運命は慇懃無礼だね。

surrenderだよ、もう運命ってやつは。

愛と炎の歴史の、愛のテーマは迷える明日だ。

人類を放しました、それでも帰ってこないため、やむなく大洪水を起こしました。

それで、最後は、愛されていたことを知って、死刑を受け入れるんだ。

「赤と黒」のパ・・、どうして僕が知っていたかなんだけどね。

愛ってのは本当は不公平なんだよ。愛は平等だって思いたがるだろうけど、愛は不公平なんだよ。

駄目な人が愛されたり、しっかりしてても愛されないんだ。僕は不貫だけど、不貫ってのは不良になりきれないこと。自分で考えたんだけどね。人を愛したことがないんだ。いつからそんな考え方をするようになったのかな。

もう一つの愛のテーマは、考え抜かれた世界。

目ヤニ取ってる場合じゃないよ。エマとミッチェルはアイオワを後にするんだ。

みんなAI2に怯えて出て行くのだろう。

でも、この二人は違うんだ。違うはずなんだ。

僕の小説は逸脱していくんだ。最初これと決めても、水は低きに流れるっていうけど支流に分かれていくんだ。

でもエマとミッチェルは別れないよ。僕が二人いるようなものだから。

目は二つあって遠近感とか方向感覚とか分かるんだって。目が二つあるのにどうして僕は色盲なんだろう。どっちか片方でも色が見えたらいいのに。

僕の作品は大体、不幸な人が逆境の中でハッピーエンディングに終わりにすることが多いんだけど、本音を言っとくね、苦労なんてしない方がいいよ。

他人は他人事で苦労は肥やしになるって言うけど、そういう人は天の国にいるから分からないんだね。僕は弱くなった。

逆境に立つことで強くなったり優しくなったり人は言うこともあるけど、もう懲り懲りだ。

誰一人僕がここにいることを知らない生活がしてみたい。

失ってみて初めて気付くってよく言うけど、よくあるよ。初めて気付くんだ、失ったものは戻らないって。

人は失って失って欠片になっていくんだね。

得るものも大きいよ、大人になるんだ。神に祈る大人になるんだ。

神様ありがとうって言って死ねたらいいね。がんばったって。

顔が熱い。殺人や死や病気とかは本当はもう嫌々なんだ。

僕の色盲だって本当は飽き飽きしてるんだ。

そういうカタストロフィーってボクサーにとってのコーヒーみたいなもんで、どうせろくな結末にはならない。未熟なものを愛する傾向にあるよね。非の打ちどころのない、例えば、完全支配者のカスタネットなんかは愛されないんだ。

成熟したものはアを取っただけのマチュアって呼ばれるけど、カスタネットを作った人ってどういう人だろう?

その人も愛されなかったんじゃないかな。何かに到達してる人はかわいくないんだよ。

何でターンテーブルなんて埋め込んだんだろう。何でCan't Take My Eyes Off Youなんだ。

きっと誰かに愛してることを伝えたかったんじゃないかな。エンドレスで。

神様は至極マチュアだけどやっぱり未熟なものを愛するのかな。彼、勝手に男だけど、にしてみればどんな人だってくそガキなのかも知れないね。

だから運命は慇懃無礼なんだ。寝る子は育つ。朝は決まって嫌な事を思い出す。朝は自分を失うんだ。昼まで寝てる方が太々しくて無難かもね。

昨日は本当にひどい一日だったな。だって、一日中、夢を見てるようなものだったもの。

ハイミナールを飲む前に書き出しだけは決めておかなきゃ。

どんな話になるか分からないから、「長い話になる。」だ。



 タテイシは僕より醜い。人間の中で美しい汚いを引き比べるなんて狭き門だね。動物から見たら大差ない。見た目は90%が生まれつきだと思うんだ。

しかしね、問題は清潔感なんだ。僕は女の人に理想をすり合わせてるだけなのかも知れないけど、男は不潔だよ。だから、せめて清潔感だけでも大事にすべきだと思うんだ。

タテイシの何が汚いってね、タテイシはわきがなんだ。会う日ごとに臭いが変わってるんだ。

ある時は花の臭いがしたり、ある時は芳香剤の臭いがしたり、ある時は消臭剤の臭いがしたり、ある時はカレーライスの臭いがするんだ。

イドの中には優越感と自己防衛本能が隠れていると思うんだ。イドは大まかに言えば無意識のことだよ。

僕はイドの中で会った女の人を即座に恋人にしちゃうんだ。多かれ少なかれ男はそうだと思うけどね。

タテイシの恋人にされちゃった人はかわいそうだ。多分、裸にされて、延々と愚痴を聞かされるんだ。

自己防衛本能ってのはね、例えば、色盲が治ればいいなーと思った瞬間に、治らなくていい、って思うんだ。ぬか喜びほど辛いものはないよ。

タテイシはイドの中でもわきがを気にしてるんだろうな。氷山の一角が幸せだとして、残りの大半は不幸せが詰まってるんだ。

だから、自己防衛本能で不幸せでいいって思うんだろうな。残りの優越感で自分を慰撫するんだ。

他の動物たちは自己分析なんかするんだろうか。腹が減ったなとか思うくらいだろうか。

そうやって考えれば、今日明日の食事に汲々としていた狩りをしていた頃の方が幸せだったのかも知れないね。秋になったら栗の実を拾って笑うんだろうな。もうすぐ春だから。

みんなで笑い合ってた頃が懐かしいから人は物を食べるのかも知れない。進化して枝分かれして脳みそだけが偉くなった人間だけど、草創期に生まれた人は有利だよね、何たって火が諸世界の根源だって言っただけで歴史に名前が残るんだから。覚えてないけどね。現代でいえばそれは間違いだ。

火なんてない方が人は幸せだったのかも知れないのに。智慧の実は生で食べたんだろ?

偉人たちが現代に生まれてたらって時々夢想するんだ。アインシュタインは撮り鉄になってたかも知れないし、キュリー夫人はスムージーに凝ってたかも知れないね。フロイトはネカマになってたりして。

ああ、タテイシはなんて不幸なんだろう! みんな臭かった時代に生まれていればああなることもなかったのに。

タテイシに敬意を込めて愛と炎の歴史は「The Rose」を意識するようにしよう。

朝は決まって嫌な事を思い出す。今日は昨日のことを思い出した。本当にひどい一日だった。神様は「何にもしてないよ」って言うだろうけどね。

変な時間に寝たせいだ。



 インバネスを脱ごう、振り向かない。いきなり脱線した。食傷気味だな。誰よりもかっこいいと思ってるでしょ? 自分の設定に溺れるのが悪い小説の典型なんだ。ミッチェルはエマに会えないんだ。当分はね。ミッチェルは剽窃の罪で投獄されてるんだ。「恥じらい畠でつかまえて」を書き起こしたからなんだ。瞳は愛の欠片だろ? 鏡の中にエマがいるんだ。

舞台はパルプ・オーリンズ。物語はミッチェルが鏡を見ることから始まる。鏡を見てもバロック、歪んだ真珠が映るだけだと思うだろうけどね、その中にエマがいるんだ。エマは鏡の中の自分なんだ。最初はね。

普通、鏡に自分じゃないのが映ってたら枠に手を押し付けるよね、ミッチェルもそうするんだ。その内、もっと鏡見てミッチェルは鏡の外に逃げ出すんだ。

ミッドファーヤーのおじさんに会いに行くんだよ。ミッドファーヤーのおじさんってのはね、丁度遠い所にいてヤーだからだ。

マーブリングラブにしようと思うんだ、ミッチェルとエマはね。マーブリングってのは、水に絵の具を垂らして丁度色が混ざり始めた時に紙を置いて、その色合いを写し取る技法だよ。

上手くいくと、地球みたいになるんだ。間違ってもポップカルチャーじゃない。そこまでしか決まってない。また不幸がハッピーエンディングを探す羽目になってしまったよ。僕は不幸なんだろうか?

カスタネットはディープラーニングを続けてる。

ワーイプとジッカは今も夫婦喧嘩を続けてるんだろうな。愛想が尽きるのも愛情だろ? 僕は一人暮らしを続けてる。いつから一人暮らしをしてるのか分かんない。それは小説を書くためかも知れないし、愛想を尽かされたのかも知れない。

実家に帰る時に「まさいま」って言うのはジッカだけだよ。まさいまって言葉があるのはジッカに教えられた。

ワーイプはいなくてもいい存在だと僕は思っている。どうしてこんな美人が、って思う夫婦になるんだろう人がいるだろ? どこが良かったのか、ジッカはイカした女なんだ。僕が男を見る目が厳し過ぎるのかも知れないけど、男から見て魅力的な男なんていないね。

ジッカはそのことに時々気付いて、実家に帰りたがるんじゃないかな。まだらボケみたいに時々ハッと我に返るんだ。

ワーイプとジッカの共通点はシナダレって神様を信じてるだけ。半人半蛇の神様なんだけれど、絵を見せてもらったらコブラに似てた。ジーンズのインディゴはガラガラヘビを避けるためにカウボーイのために作られたって話だけど、シナダレはどういうご利益があるのか知らない。

宗教のために様々な戦争が引き起こされた定石は鼻で笑いたいけど、同じ神様を信じてても夫婦は喧嘩するんだね。ワーイプはジッカが実家から帰っても何も言わないらしい。

ただ新聞を読んで、「帰ってたのか」って背中で全身の喜びを表すんだって。

愛と炎の歴史ではレタスネットは出てこないかも知れないな。僕には大理石の中に「ある」彫刻を見ることはできないよ。僕はミケランジェロじゃなくてミシェルだから。好きな物を詰め込んでオムレツにするしかないな。

ミケランジェロは彫刻だけじゃなくって絵もやったんだろ? 現代では何でもする人は何にもできない人って思ってたけど万能の天才っているんだね。芸術には本来なら垣根は無いのかも知れないね。その時その場に生まれたのが運命ならキュリー夫人もスムージーに凝ることもないだろう。運命って流れに岸が削られていくようにその人が浮き彫りになっていくんだね。

どんな小石もそうあるべくしてその姿になったんだ。いなくてもいい存在なんていないんだ。

鼻で笑わないでね。僕なんて計算しなきゃ書けないもの。

駆け出したミッチェルはミッドファーヤーのおじさんに電話をかけるんだ。

ミッドファーヤーのおじさんはコニャックの底を片手で揺らして温めながら昔懐かしい黒電話で応対する。「今夜はパーティーだよ?」ってミッチェルに告げるんだ。

それが神の黙示のようにね。



 そぐわない。レイカと僕はそぐわない。この前、カスタネットができるまでを聞いたら一気に好きになっちゃった。諸説ありなんだけど、レイカのは信憑性が高いんだ。何たって僕が好きなんだから。

それによるとカスタネットは月外への脚本らしいんだ。

僕はレイカを前にすると上手く話せないんだ。体を斜め45度に傾けて考えてるフリをする。土気色の顔が光の加減だって言わんくらいにね。

「友達の友達から聞いたんだけどね、それには「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」って書いてあるらしいの」レイカはブリュレをティースプーンで食べてたな。

「カスタネットに?」

レイカは肯いた。「ゴーレムには胎児って書いてあって一文字削ると死になるって。あれと一緒」

日の当たるサンルームは暑いくらいだったな。僕らはそこで遅い朝食を摂っていたんだ。

「マントル深くまで達しているんだって、叔母さんに聞いたんだけどね」

「それで、作った人は?」

「自ら命を絶った・・」

「ホラーだね」

「姪が言うにはね、カスタネットはプルトニウムを吐き出し続けてるらしいの、まるで冷蔵庫のフロンガスのようにね」レイカはブリュレの表面を割って中の物だけ食べてたな。ジャック・オー・ランタンじゃないんだから後で食べるのかなって眺めてた。僕はもう食べ終わってたんだけどレイカのことを好きになったのは食べ終わった後だったんだ。

「姉の仲人のスピーチではね、私怨なんだって」

「親戚何人いるの?」

「数え切れないくらい。私、誰にも似てないんだな、きっと雨の日に生まれたからだわ」

僕は食後のコーヒーに何をしようか悩んでた。マンドリンにしようかなと思ってたけどこういう時はすかさず男の方が手を上げて同じの二つって頼むべきだろうって思ってたから手に汗をかいちゃった。レイカの方はゆっくりゆっくり食べてたけど、喋ってたのもあったけど、好みを聞くのも喉から火が出そうに口の中が渇いてたからマンドリンにしようか悩んでた。

「カスタネットを作った人はね、ひたすら歩くのよ。はとこの娘婿のおばあさんが見たんだって」

「あれ? 死んだんだよね?」

「体は死んでも心は生きてたのよ。砂と風の間に消えていったんだって、大叔母さんのご近所さんがまだ生きてた頃にあった美容師さんのお客さんでそのまた・・」

「いいよ、いいよ、もう」

「カスタネットができるまでは、って執念よね」レイカはやっと食べ終わった。蓋は食べず終いだった、食べない物と決めてるらしい。

僕はレイカの顔に涙黒子を見つけてますます好きになった。奮起して人差し指を上げた。

本当にイイ男は「おすすめは何ですか?」って聞いてくれる人かなって思ったから、来てくれた人に僕は「おすめすは何ですか?」って聞いちゃったんだ。レイカは一気に引いてたな。来てくれた人が男でよかった、聞き間違えた男の目をしてた。

「それで善悪の区別がつかなくなっちゃったんだって」

誰に聞いたかは言わなかった。多分、自分で考えたんだろう。片手をつなぐから片思いなんだね。

レイカは残ったブリュレをカップの底に落としにかかってた。さもありなんって感じだね。

もうティースプーンを使うのはやめてくれ! って叫びたかったけど、カップで出てくるんだからそれもアリかなと思ってそのままにしておいた。

やっぱりマンドリンが出てきたよ。

だって、「今日のおすすめ」って書いてあったから。

けど、僕はずっとレイカのことが好きなんだよ。広いおでこを出してそれがシーツみたいに綺麗なんだ。



 ミッチェルは修学旅行のバスの中にいるんだ。行けなかった修学旅行にね。多分ハイスクールの奴らだろうけど、顔は見えないんだ。窓の外を見てるから。

観光地図を広げてる。それを自分の頭の中の地図と重ねながら、彼はどこに着くか知らない。その頃は自分が小説を書くなんて思いもしなかったんだ。

さびれた街並みが続く。観光地に着くためには観光地じゃない所も通らないといけない。どっちが本物の姿かって、それは彼が今いる日常が本物の姿なんだろう。

次の場面では彼は船の中にいる。お母さんといっしょに。多分、歓楽街なんだろう、船の窓には夜にも関わらずシェードがかけられていてそれでも、猥雑な光が浮かんでいる。ファイアーワークみたいな光が。そんなに大きい船じゃないよ、彼のお母さんはさっきまで寝ていたベッドに腰かけて何かを楽しみにしてるんだ。

テーブルの上には大きなバターケーキがある。黄色い大きな何の飾りもないバタークリームを塗ったタッチがそのままの。とても二人じゃ食べ切れない、多分、猫もいる。飼ったこともない痩せた上品な猫が窓辺に立っている。赤い首輪をして鈴が付いてる、首輪を嫌がらない猫なんだろうな。

誰かの誕生日なのか、何かの記念日なのか。もしかしたら二人で旅ができた記念なのかも。

ミッチェルは部屋に入ってきたばっかりなんだ。だから母は起きたのかも知れない。だってインバネスに外の雨が付いてる。夜だよ。そうじゃなかったら窓に光が映るわけない。

ミッチェルは厨房でもらってきたであろうヘラでケーキを二つに割るんだ。彼のお母さんは甘い物が食べられないのにね。インバネスのままなのは彼がまたすぐドアの外に出ていくからだろう。ヘラを返しに行くのか、あるいはもう受刑者の身で逃げてる時に立ち寄ったのかも知れない。

誰だって最後はお母さんに会いたくなるよね。ケーキは何層にも分かれていてスポンジ、バタークリームの繰り返し。お母さんもミッチェルも口を付けない。見てるだけでお腹いっぱいになりそうな大きなケーキなんだ。切ることに意味があるような気がしてお母さんは喜ぶんだ。

僕はずっと親不孝だった。何も悪い事してないのに、どっかで間違えたんだろうな。それがハイスクールだと自分では思ってるけど、それにお母さんを巻き込んじゃったんだと思うと親孝行よりも先に罪滅ぼしをしないと。

僕はあやふやな線を越えてしまったんだ。温泉街に着いたよ。埴生の宿って書いてある。ミッドファーヤーのおじさんに会いに行くんじゃなかったっけ。まだ夜だ。ぼんぼりに灯が点いてる。僕は一人で浴衣の袖に両手を入れて中国人の真似をして歩いていくんだ。よくある階段。近くに川が流れてる。

夜になると川も真っ黒くなるから不思議だ。夜よりも黒くなるんだ。そこに護岸があって、柵があって、明かりが映っていないと川だと気付かないくらいだ。川は流れる音がしないから。

僕は何かを気にしてる。何を気にしてるんだ?

船の中の母のことか? いや、もっと現実的な事だ。

ミッチェルは橋のアーチの頂に立って何かを考えてる。長い長い休みだ。

いつの間にかエマがいる。そう、愛はいつもいつの間にかなんだ。ミッチェルとエマは川に下りようとするんだ。袂に梯子がある。恋人になったら変な事をしたがるもんさ。

二人で下りたら、ほらほら、梯子ごと落っこっちゃった。川の中に。でも二人は笑い合ってるんだ。おかしくてどうしようもないんだ。それで僕は何かを囁く。エマに何を誓うんだ。もう悪さしないよ、みたいな、そんなことを。

頭の中では子供を気にしてる。二人の子供だ。男の子だけど出て来ないんだ。

明かりが川面に映ってる。水鏡のようにね。

青い帯みたいな光が横へ流れてる。そうだ! 僕は金のレイトを気にしてたんだ。

「恥じらい畠でつかまえて」で儲けた金を全部ゴールドに換えたことを忘れてなかったんだ。

濡れたらみんなオールバックになるよね。川に浮かびながらミッチェルはそんなことを考えてる。



 僕は書き出すと早いんだ。改心したかと思ったらミッチェルはまた悪さをするんだ、オープンエンディングだろ? 上に浴衣を着て、下には黒いカプリパンツを穿いてる。多分、風呂上がりだろう、風呂上がりの独特な顔をしてる。よくある土産物屋に入る。そこにはエマも男の子もいるんだけど、出て来ない。

そこにはミッドファーヤーのおじさんも売ってる。ミッドファーヤーのおじさんは頭に輪っかが付いててストラップにもなるあみぐるみだ。何個も売ってる。

ミッチェルはすみの方に行って棚からスフレを一個抜き取る。彼はカプリパンツの後ろの隠しポケットにそれを入れるんだ。そしてテレビに向かって笑うんだ。この時のスフレっていうのはレイカと食べたブリュレを参考にしてるんだよ。

それをみんなが見てる。修学旅行で行った奴らとは違う、もっと気持ちのいい奴らだ。あー、やっぱりみたいな感じで、みんなが笑うんだ。

帰りにも船の中にいて、やっぱりシェードがかかってる、また大きなバターケーキが用意されてるんだ。ミッチェルはまたそれを二つに割る。お母さんがまた嬉しそうに笑うんだ。

お母さんに頼りにされる。COUNTされるんだ。

その時に兄も笑った気がする。

そこでミッチェルは目が覚める。二度寝の夢だったんだ。現実を夢に見たんだね。

ミッドファーヤーのおじさんと外でパーティーをしてる。絶好の天気だ。イージーオープンエンド、あの缶の開けるプシュッってやつ。エマはそれを怖がって開けられないんだ。ミッチェルがそれを開けてあげる。

「女は恥じらいだよ」って言ってミッチェルはコークをエマに渡す。エマはへそ出しなのにね。何でコークかって言うとパーティーはピッツァだからだよ。

おじさんが、さあいよいよだ、ピッツァを切り分けるよ。車輪型のピザカッターを使って六等分するんだ。お客さんはもっといっぱいいるのにね。

そこで初めてピッツァの上の世界にいることに気付くんだ。世界が平らにできている。そんなことをみんな信じてただろ?

「君が悪いんじゃない」ピザの余韻に浸って、ミッチェルはエマを抱きしめる。本当は罪を償うことでしか至福は得られないんだけど、ミッチェルは何もかも終わって二番煎じを飲むのが至福なんだ。出がらしだけどね。

チューリップが咲いてた。

「お母さん、チューリップ植えた?」

ラストは「もっとよくある話。」で締めようと思うんだ。どうだろう?

サックスだ。

レタスしかなびかない。

バーンアウト症候群っていうのはね、いわゆる燃えつき症候群、やりきった、って感じではなくて、もっと他にできたことがあったんじゃないかって思い続けることなんだよ。後悔がいっぱいだ。アイオワにした方が良かったかな。何でミッドファーヤーのおじさんがあみぐるみなんだ。煙草も吸わなかったしレタスネットも出てこなかった。何よりカプリパンツがいけなかったな。僕のイメージでは縦縞の付いたスーツ地のトラウザーなんだ。でも変だろ? 浴衣で下がスーツなんて。

世界が平らにできてるなんて僕は信じてもいない。

僕はほとんど癖で煙草を咥えた。

「・・」

煙草吸ってるのが僕らしくないのかな。



 目を休めたくて外に出てみた。遠くを見ようとしたら、もう黄色いライラックが咲いてるんだ。

僕は誘われるようにしてカスタネットの方に歩き出したよ。

ツンと鼻を撞く匂いがしたよ。銀杏だ。加齢臭みたいな匂い。

かぼちゃ色の空に黄色いライラックがよく映える。

カスタネットにはもう亀裂が入ってる。

別れ話を切り出されたのかな。

僕はカスタネットに登りもしないで下から花を見上げてた。

僕は下から見える木の枝の影が大好きなんだ。それは神秘的で、偶然というより必然でできた血管みたいなんだ。やっぱり自然には勝てないな。葉脈より綺麗だ。

鼻の頭にヤンマが止まった。自然ってのはどうしてこんなに綺麗なんだろうねえ。レイカも自然なら僕も自然だ。自分が見えないのが自分なのかな。

世界は三角錐だ。肩車あるいは鶏のとさか。底辺はオムレツでできてるのかも知れないね。

さやぐ音に耳を澄ましていると何か世界が平和になった気がするんだ。公孫樹の木にそっくりなんだ。だからかも知れないね。

虎柄のジャガード織りの花が祝福するように降ってくるんだ。とても綺麗だったよ。

「キーキー」

花霞みにCan't Take My Eyes Off Youがこのまま抱きしめてに聞こえたな。オラトリオって知ってるかい? 映画やドラマじゃあるまいしバックグラウンドミュージックは流れないけど、誕生日を祝ってくれてるみたいだったな。

りんご病で胎児の内に死んでもいいってくらいに感極まったな。

これは追いつめられて泣く涙じゃない、だって自己紹介がまだだろ? でも泣かなかったな。僕はアシテナガザルだから。

鼻水は殺菌の作用もあるんだよ。いつか花粉症になるのはそういう訳なんだよ。

僕はずっと上を見上げてた。ミケランジェロがそうしたみたいに。首が疲れただろうな。

僕は色盲だけど、誰もそんな世界見たことない。僕だけの世界だ。

この世に理想郷があるとするなら、人は生まれた季節を好きになるっていうけど、死ぬなら冬にしてよね。喪服って暑いだろ? 死んでまで人に迷惑かけたくないんだ。

僕の墓にはこう彫ってほしい、「へったくれ」って。

見たもので十分なんだ、後は老人になったら「人生、長かった?」って聞かれてみたい。そばに誰かいたら。

僕は「Moon River」を熱唱するんだよ。

ハックルベリーフレンドってどういうものか知ってみたい。それはきっとOver the Rainbowで会えるものなんだろう。

天国に行ったら僕の色盲も治るかな。そんなの嫌だよ。

何かが降って来る。あの卵が大きくなったのかな。

きりもみ状に。旋回して。



 空から女の子が落ちて来た。裸ん坊だったんだ。

その門の前には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書いてあった。野蒜が伸びていたっけ。一年中生殖可能なのが人間なんだからカスタネットは本当に人間になったのかも知れない。エレカはカスタネットから生まれたんだから。

僕はサムライになったつもりで雨宿りしてた。いいかい? サムライが、雨宿り、してたんだ。これは換骨奪胎だよ。一種のパロデーだね。これから何が起こるかは大体予想がつくだろう。

気取られようが察しがつこうが僕はこのパロデーを続けるよ。芸術には発展が必要なんだ。

雨がしとしと降れば心もしとしと濡れるし、雨がポツポツ降れば心もポツポツ濡れるんだ。

門の中へ入ると野戦病院さながらに遺体が転がってた。蛆虫の匂いがしたな。蛆虫みたいに何か動いてると思ったら一人の老婆が遺体から服を剥ぎ取ってた。何か歌いながら。呟いてたのかな? これは狂女だろうと思って僕は腰から刀を抜く代わりにsighをした。

振り向いた老婆は白髪で顔が見えないんだ。肯くとため息を吐くと呟くは三種の神器だな。窓にはガラスなんてはまってないもんだからモロに雨が吹き込んで凄惨さを増してた。たまに雷が光って老婆の顔を照らしてたな。

これも一切の希望を捨てるアトラクションなんだと思えば、気が楽だ。恣意的な発想はどうだろう? 自己欺瞞じゃないか。

まあ、どうでもいい。老婆は何枚も着物を羽織って、寒いのかな? と思ったけど、ハイミナールをやらないでもここまで狂ってるなんて正直怖かったんだ。

僕は一枚分けてほしいと思っただけなんだけど、だんだんこの老婆が憎くなってきたんだ。それはこの老婆が醜くて僕に似ていたからかも知れない。僕はライトセイバーを握って、「服をよこせ」と言ったんだ。

「ベアトリスだ! 私はベアトリスだ!」と老婆は叫んだよ。何のことか分からない。事の重大さを二人とも理解してなかったんだよ。

外ではエレカが待ってる。雨がこの部屋だけで外には降ってないといいな、と思いながら僕は足で遺体をつついてみた。ごろんと寝返りを打った人はまだ服を着てたけど汚かった。老婆は綺麗な服を選り好みして自分のものにしてたんだ。それぐらい正気はあるらしい。

どうして女の子はピンクが好きなんだろうね。僕はピンクを探したけど、老婆が着ていたカシューナッツ柄の着物がそれだったんだ。

僕は引っこ抜けそうな老婆の腕を掴んでその着物を引っ張った。老婆はクルクル回って転んだ。こんなに着物を着込んでるのに足は裸足だったんだ。

「お前がやってもいいことは、私がやってもいいのだな」僕は老婆から一枚一枚服を剥ぎ取っていった。犬を洗ってるみたいで老婆は小さく小さくなっていった。

カシューナッツのを腕に巻いて、冷や汗を拭うと、老婆は「ご無体な」と言ったよ。僕は優しく服を着せかけて「冷えるだろう」と言ったよ。老婆は「ありがとうございます」と言って、もう何のことか分からない。

僕は外に出て行って、エレカに後ろから服をまとわせた。エレカは服の着方も分からないみたいで、袖に腕を通さないで、肩にかけてたな。

目映い雷光が走った。山が見えた。

「勝ったのは百姓だ」僕はしみじみその言葉を噛み締めて、この雨でライラックは散ってしまっただろうかと思いを馳せた。

僕は濡れた髪をオールバックにして、エレカの黄色い髪を見た。髪を耳にかけててその耳がずっと見ていたいと思うほどチャーミングなんだ。生きててよかったと思えるくらいにね。

ライラックは枯れてしまっただろうか。



「まさいま」

誰かが待っていてくれるって奇跡だね。エレカは一人じゃ何にもできないんだ。

エレカも僕もあの雨の中でフィーバーしちゃったから休んでたんだよ。

カスタネットは雌雄同株なんだ。黄色いライラックはもう花を落としてしまったけど、事件前夜なしでそのことは起きた。カスタネットが動き出したんだ。かつてないことだった。

女の方が伸びをするみたいに69を解いたんだ。今思えば69は失苦だったのかも知れないね。

みんな唖然としてそれを見ていたよ。猿のマネをすることも忘れて呆然としていた。

Can't Take My Eyes Off Youが埋め込まれていることは僕だけの秘密だったけど、エレカを取り返しに来たのかも知れないと思って、手をぎゅっと握った。

何しろエレカにとってカスタネットはママだからね。パパがいるのかは分からない。男から見ても魅力的な男なんていないから、カスタネットはそれに気付いたのかも知れない。

日盛りの中だった。まずエレカによく似たたわわな黄色い髪の毛が姿を現した。遠くから見ると蛹みたいになってそれから腕が伸びて髪の毛を触ったんだ。女の人は気になったら髪を触るって言うけど本当みたいだ。誰もが見ているんだもの。

それから脚が伸びたんだ。男の人が女の脚に興奮するって言うのは、人類が脚から発生したからなんだ。

巨人だったけど、遠くから見ると普通の人だった。

ボロボロとコーティングが剥がれていったよ。そしてライラックの木が落ちた。

顔はなかなか出てこなかったな。誰もがそれを待ち望んでたんだけど。大体人は顔で判断するからね。

正に「断絶」だった。男は斜めに止まって、まるで押しのけるようにして女の乳房が見えた。

女の横顔はまるで詩神のように美しかったな。大事なとこはちゃんと紺色のブルマーみたいなものを穿いてたよ。

カスタネットが心を挟んだのだとしたら、エレカがそれだったのかも知れない。子育てが一段落したらもうパパとママじゃなくて成長の開きのギャップに苦しむただの男と女になるけど、男はいつまでも子供で私はあなたのママじゃないってことかも知れないね。

それでも、とぎれとぎれのアイラブユーが聞こえてきたんだ。気付かなかったけどターンテーブルには手拍子も吹き込まれていたんだ。きっと結婚式や誕生日の頃に歌ったものだろう。

女はくしゃみをして、きっと花粉症か何かだろうね、モーニングショックを起こしたらしい、何回か鼻をこすると、目ヤニを取ってやっとこっちを見た。

沈黙、そして「キーキー」

人間のマネをしたんだね。

みんな笑ったよ。世界は一つになったんだ。変な臭いがしたな。でも、みんな笑ってたよ。

それから強奪が始まったんだ。僕がベアトリスから奪ったのとは訳が違う。バーゲンセールみたいに残ったカスタネットから金目の物をひっぺがしたんだ。ターンテーブルもむちゃくちゃに破壊された。現金に換えるためにね。

みんなハイミナールを買うんだ。猿に戻るためにね。

カスタネットはどこかへ行っちゃった。おそらく山の方へ行ったんだと思うよ。そこから日が昇るから。僕らより人間に近い気がするよ。

檻からサルが人間に進化したみたいに生を享受しているんだ。女だけ人間になったのはなぜか分からない。

多分、昔から女性が神格化されていたからだと思うんだ。特に妊婦が崇拝されてたみたいに無から有を産み出す命を宿す行為っていうのはあれの後なんだけど女性はそれを上手く隠していたんだと思うよ。

そうじゃなかったら子供が殺されてただろ?

残ったカスタネットは違う意味で裸にされた。木肌が剥き出しで、家具を動かした時みたいにそこだけ生っちろくなっていた。

僕はエレカと手をつないで、レコードの破片を拾い集めて花で埋めた。

「キーキー」って、エレカは泣いてるみたいだったな。ママのマネをしたんだね。

僕は神に祈った。今日がいい日になるようにって。

十字を切るのは忘れたけど。



 僕はニュースを見る度思うんだ。今日死んだ人は虫の知らせがあったのかって。ニュースなんてめったに見ないけどね。色盲を突き付けられてる気がするんだ。

あのバスに乗っちゃダメとか、出かけない方がいいとか思わなかったのかな?

朝はトラウマを思い出す。僕なんか毎日嫌な予感がするんだ。

昼寝をしたらしたで青息吐息だし、コーヒーを飲んだら飲んだで嫌な予感がするんだ。心が休まるのは寝る前くらいなもんだよ。

エレカには何でも伝えてほしいと思ってる。エレカがいつ「ダニーボーイ」を歌うか分からない。何たって木の股から生まれたんだから。

髪の毛が伸びたこととか、欲しい物があるとかちゃんと伝えてもらわないと分からない。

家族には秘密は厳禁だ。家族にはその家族にしか分からないルールってもんがある。そのルールは掟だから破ったら何にも言えなくなっちゃう。

ハイミナールをやってることは秘密だけどね。エレカにはすくすくと健康に成長してほしいと思ってる。でも、本当だよ。ハイミナールが減ったんだ。一時間に一つしかやらない。

煙草も一時間に一本。それはこの家族のルールだ。エレカは破ってもいいよ、それは僕が勝手に決めたルールだから。これからどんなルールが作られるか楽しみだ、僕はそれに従うよ。

モーセの十戒みたいに有難く受け取るよ。空が落ちてきても箇条書きにしてもらえると分かりやすいな。

人間にはそのままでいい人とそのままじゃいけない人がいると思うんだ。いつまでもガラス街が見える僕じゃダメなんだ。分かってるのに止められないのが酒と煙草とハイミナールなら、一つずつ止めていくんだ。そうすると分かることが一つずつ増えていくと思うんだ。

人生はギャンブルじゃない。それは酒を止めて分かったことだよ。

ニュースではカスタネットの紺色のブルマーばっかし映してたな。あの時は確かに紺色っぽく見えたんだけどテレビでは違う色に見えた。

エレカと時々お墓参りに行くんだ。花もだんだん枯れてきて枯れ切ったらレコードを埋めようねって話してるんだ。

レコードは土の中で分解されずに残るんだろうけど土の中で色んなお友達ができるよとも話してるんだ。

土の中の蚯蚓や土竜やお螻蛄なんかは歌を知らないだろうからきっと人気者になるよ。いつか秋の虫たちが出て来てどこかでCan't Take My Eyes Off Youを歌ってくれてるといいな、って思ってるんだ。

キリギリスだってアリにとって良いことをしてると思うんだ。音楽がない世界なんて想像できるかい? アリだってふとした労働の合間に楽しんでたと思うんだよ。

小説がない世界ってのは想像できるな、パピルスに書いてた頃が黄金期だったんじゃないか。それからは、あるからやるって追随者が多いんじゃないか。

現実は小説より奇なりってよく言うけどさ。小説はもうレクイエムに入ってるんじゃないか。それが現実のレクイエムなのか、芸術全般のレクイエムなのか。

この時代ではもうあんまり芸術は生まれなくなったんだよ。

人間が芸術を必要としていないのかな、芸術が人間を必要としていないのかな。

鼻を明かしてやりたいね、何かBIBLEみたいなものを作ってさ。

僕はエレカを連れて、欲しくもないオーディオを買ってHMVのビニール袋を手に入れた。花はもうしぼんでお別れを告げてた。

エレカと手をつないで、そのビニール袋にレコードを入れて、僕らは歩き出したんだ。象の墓場を探すつもりで歩き出したんだ。シートン動物記だっけ? あれしか思い出せない。

後は狼王ロボかな。確か妻を捕らえられて、それを餌におびき寄せられて殺されちゃうんだ。熊の話もあったな、血を何か、洞窟の上から垂らすんだよね。何だ、思い出せるじゃないか。絵しか思い出せない。

小説がお別れを告げてるように、「バイバイ」ってエレカの手を振らせて僕たちはカスタネットを離れた。

歩いていくうちに虫の知らせがあったけど無視した。いつものことだから。

そういう人もそうだったんじゃないか、って頭を上げたその時に後ろから黒い光が走った。



 爆風で僕は飛ばされた。タピオカが顔に付いた。レイカの言った通りだ。カスタネットが核爆発を起こした。善悪の区別がつかないってのがちょっと分からないけど。

カスタネットは文字通り大輪の花を咲かせたんだ。マッシュルーム雲が浮き立っている。

何だ、マッシュルームまで持ってたのか。

一帯は砂漠になったけど、アラバマだからしょうがないかなと思った。エレカとここまで来られたことを良かったと思ってる。

水色の砂漠だ。

エレカは高鼾をかいて寝てた。気を失ったように寝てた。頭を打ったのかも知れないと思って僕はクレイマークレイマーよろしくエレカを抱えて走ったんだ。

横断歩道も信号も無視して、総合病院へと急いだんだ。アンビュランスが何台も通った。

病院の待合室にいると、みんな、空が落ちてきた、とか、光を見た、とか訳の分からない事を言ってたな。

エレカの治療室に僕は立ち入らせてもらえなかったんだ。僕は顔に付いたタピオカを取ってみた。それはネチャネチャしてガムみたいだったけど、タピオカだと思ってたものはトリニタイトだったんだ。

トリニタイトってのは、核実験や何かで砂がガラス質になったものだよ。

外では水色の雨が降っていて、ガラス窓が曇った。みんなの吐く息で。僕はそこに十字を引いた。それが人の顔の下絵みたいに見えたな。

みんなガラス窓が曇ってることに気付きもしないんだ。ワイパーみたいに手を動かして露を払う人はいたけど、クリスマスだってそうはいかないよ。

僕は一人でビニール張りのロビーチェアに腰かけて、後から後から人が押しよせてくるのに一人の気がしたな、破れた箇所をほじくってた。よく子供がするように。外で泣けるのは子供だけだから、僕はウレタンをほじくりながらそれを見ていなかった。

ウレタンはあかぎれを起こしたみたいにそこだけ陥没したりはみ出したりしてた、それがここで待っていた人の証拠だと思えば苦にならなかったよ。でも、どうせこうなるならビニールが透明じゃなかったらよかったのにとは思ったけどね。

僕はあかぎれのロビーチェアを立って、閉じられたドアをノックした。「叩けよさらば開かれん」ってね。「何ですか?」ってマスクをしたナースが顔を出したよ。

エレカはもう寝かせられてた。僕は色盲だから手術がもう終わってるか分からなかったんだ。

「肋骨が折れてます」って医者は言った。「ご家族の方ですか」って言われて、僕は「はあ、そうですか」って言った。

立ち去ろうとした医者の肩を掴んで「神様ありがとう」って言ったよ。ずっと言いたくて言えなかったんだ。

僕はエレカの傍らに座った。僕の傍らには小さな子供のための絵本の本棚があった。僕はそこからはらぺこあおむしを出して、終わりから読み始めた。

ずっと子供のままでいてほしいとは思わないけど、チョコレートケーキを食べるところで僕は不覚にも涙ぐんでしまった。

エレカの体の中で肋骨が折れてて、それがどういう風にくっつけられてるのか知らないけど、僕は悲しくてたまらなかった。

はらぺこあおむしを戻して、窓の外を見るともう雨は止んでた。僕はエレカのおでこにキスをした。最初からそうすればよかった。

僕は煙草を吸いに外に出た。そこは煙草を吸う人の交遊場みたいになってた。ああ、煙草を吸う所はここにあったんだと思ったよ。

耳がおかしいなとは思った。耳の奥に水がつまったような変な感じ。耳を塞いであーと言ってみた。人に聞こえる自分の声と、自分が聞いてる自分の声は違うって言うけど、いつもと変わりなかったな。

総合病院だから耳鼻咽喉科もあるはずだと思って案内板を見るとちょうどエレカの寝ている部屋の真上に当たる。

そこは閑散としていた、打って変わって水を打ったように静かだった。医者がいんのか? と思ったけど喉を診てもらってる最中だった。

医師らしき人は一人で、何人ものお手伝いみたいな人が一緒に喉を覗いてた。どれも女の人だった。

嫌だな、とは思った。僕は醜いからきっと笑われるだろう。おばさんばっかりだったけど何もこんな時に耳を診せに来るってどうなの、って目で見られるだろう。

でも、僕は自分の耳を見たことがないからきっと美しいかも知れないと思って飛び越えたんだ。



「どこも悪くない」って言われた。

「でも気になるんです」

周りは呆れてるみたいな感じだったな。

「気のせいじゃない?」

「でもどうしても気になるんです」診てもらうのはこれ一回きりだと思って僕は引き下がらなかったよ。

「綺麗な顔して」揶揄するような声が聞こえた。

たしなめるような雰囲気もあった。

聞き間違いか嘘を言っているのかそのどちらかだと思った。

耳に黄色い糸のようなものを入れられた。

心にもないことを言って僕を騙そうとしてるんだ。僕を馬鹿にしてるんだ。

耳の奥の変な感じは消えなかった。このままだと一回開いて閉じるとか訳の分からない事を言ったから、僕はすごすごとそこを出たよ。

診療費を払う時は、すごくめんどくさそうに対応してくれたな。耳の中に垂らす薬も出されたけどこれ以上耳の中に水を増やすのはどうなんだ、って思ったけどやっぱりもらった。毒を以て毒を制すって感じかな。

もらった点耳薬はすごい冷たくて、耳の奥に留めるなんて無理で、すぐに垂れたな。耳って意外と熱いんだなと思ったよ。

目が疲れたから、外を見ようと思ったらガラス窓はまだ曇ってた。そこに映っているのはキリストさんかと思った。僕の顔は彫刻みたいな顔なんだよ。曇っているのに気付かなかったんだ。僕も歳だから中間色がよく映える。

黄色に青を足すと緑になるように、僕の顔色は土気色じゃなかったんだ。人が見ている自分の顔と、自分が見ている自分の顔って違うんだね。僕の顔色はピンクだった。

憂鬱が吹き飛んだよ。踊り出したい気分で僕はエレカの部屋に行った。一段飛ばしで階段を駆け下りた。

エレカはまだ目が覚めてなかった。女の子がピンクを好きなのは遺伝だな、と思ったよ。エレカが僕の本物の子供だったらいいのにと思って髪を耳にかけてあげた。

今の僕のように楽しい夢を見ているといいなと思って本棚にある絵本全部でベッドを飾った。友達がいっぱいできますようにって。

僕も寝る時間だ、と思ってまた煙草を吸いに行った。本当は寝る前に吸わない方がよく眠れるって分かってるんだけどついつい吸っちゃうんだ。そこにはもう誰もいなかった。

青い夜空が綺麗で、煙草がなくなっちゃったから手で箱を握り潰した。

病院には煙草は売ってないんだね、薬になると思うんだけどなあ。仕方ないからポケットに財布とライターを入れてエレカが起きる前に帰って来ようと思った。

砂漠になった辺りに煙草の自販機があるから、もう眠かったけど、エレカの寝顔をじっと見てから出かけた。

誰かに見せてあげたくて人は夢を見るのかも知れないね。

トリニタイトはもう乾いてるだろうからそのままの靴で二度目の夜に踏み出した。



 カスタネットは跡形もなくなくなってた。まるで悪い夢を見てたかのように。

自販機は料金箱がめちゃくちゃに破壊されて表に出てた。煙草なんて一本も残されてないだろうな、ってのが火を見るより明らかだった。

後ろはドロドロに溶けてて、横には「シンドロームシンドローム」って書かれてた。何かやりのこしたものでもあったのだろうか、バーンアウト症候群だろうな。

僕はその自販機を通り過ぎようとした、砂と熱の間にユラユラと湯気みたいな物が見えるんだよ。よく見知ったような、でも初めて見るようなそんな感じ。

それはエマだった。想像した通りの人。周りにはクマルの木の並木も見えるんだよ。クマルってのは煙草の木のこと。クマリンって最初言っただろ。

きっと声をかけてくれるだろうと思ってた。誰かとつながりたい、ひな鳥のような気持ちだったんだ。僕は自販機の前にいて、エマもきっと買うだろうからって少し足をどけたんだ。

その瞬間、何も言わずすれ違った。エマは一瞥もしないで我関せず、って感じで僕をよけたんだ。

「エカ・・テリーナ」

僕が見えますか? ミッチェルとエマは仮定の呼称だから僕が見えないとおかしいんだよ。

でも、僕には見えなかった。愛と炎の歴史が。

今ここにいるのは誰?

「言葉にしないといけないのかしら」気が付くと後ろでエマが腰に手を当てていた。僕が振り向いたのかエマが振り向いたのか、そんなこと言われたの初めてだから僕は平静を保てなかった。

「ヤー」それが否定なのか肯定なのかも分からない。ただの挨拶のつもりだった。

エマは消えていた。神様が見せてくれた虚像なのか、灰色の先に何が見える?

一丁目一番地だ。

そこにいるのは誰? エマとエレカは異種同胚だ。

エレカも虚像かも知れないと思って、僕はとても怖くなった。その前にハイミナールをやった。とてもグロッキーな気分だったからガラス街も見えなかったよ。

僕はどっかおかしいんだ、僕は立ちながら眠ってたよ。元々ハイミナールは睡眠薬なんだからそう言われればそうなんだけど、僕は歩きながら眠ってたんだ。

病院に着いた頃にはもう夜が明けてたよ。洗濯板みたいなエレカを見ながら、僕は吐き気を我慢してた。

エレカは虚像じゃなかったんだ。ちゃんとここにいる。僕はバラバラになった自分を組み立てながらちゃんと椅子に座った。

「ごめんよ、レコード忘れてきちゃったよ。色んなことがあったんだ。エレカ、もういいから目を開けてよ。隠れんぼはおしまいだよ、オニが出て来たよ。僕は消えてしまうよ。君を笑わせるジョークをいっぱい思い付いたからさ、それを言わせてくれよ。忘れない内にその金色の瞼を開けてくれ。面白いかどうか分からないけど聞いてくれよ。面白いジョークは二度言わない、つまらなそうに切り出す、自分で笑わない。それが三原則だからね、友達にも聞かせてあげなよ。自分で考えたように言うんだよ。君の友達が笑ってくれたら、その輪がどんどん広がって友達もその友達もみんな僕の友達だ。笑顔がバラバラのピースにはまったらきっとこの世界は良くなるよ。何が悪いのか分からないけど君がこの世界を好きになってくれるといいな。いい、うん、それだけでいい」

だるい眠い寒い、死ぬ時はこんな感じなのかな、と思って僕はベッドとベッドの間で眠った。

ありがとうって言うんだよ。



 煙草を吸わなかったからよく眠れた。僕は夢の中で空を飛んでいた。

正確に言うなら空を飛べる骨を掴んだ。空を飛べる骨は「気を抜く」ことにあるんだ。

そうすりゃフワフワ浮く。思い通りにはいかないけど、風に流されたり、山にぶつかりそうになったり、大体事なきを得る。

やっと骨を掴んだのに、目覚めると忘れてしまうんだ。

朝、起きるとエレカがバナナとヨーグルトを食べていた。夢のように嬉しかったよ。

「僕の分は?」

エレカは元気がなかった。本当にイイ男は誰かを慰めたり励ましたりできる男だと思うんだよ。

「おすすめは何ですか?」

エレカはそっと笑ってチョココロネかクロワッサンか選べと言ってきたよ。

僕はさんざん迷ったあげくチョココロネを選んだ。

「嬉しいなあ、ちょうどチョコとコロネを食べたい気分だったんだ」

エレカはケラケラ笑った。僕はまずチョコの棒を引き抜いて食べ始めた、残ったコロネを見て「クロワッサンじゃないか」と言ったよ。

次の「おすすめ」はブラウンシュガーの乗ったプディングだった。エレカは枕を口に当てて笑わないようにしてた。僕はブラウンシュガーをこぼさないように食べ始めた。

「ティースプーンはないかな?」

エレカはヨーグルトを食べてた先割れスプーンを差し出した。僕はそれでブラウンシュガーをすくってヨーグルトにかけてあげた。

舌を上唇に入れて猿のマネをして、交互に指差し「食べろ」とジェスチャーした。子供には下らないジョークが通用するもんだね。エレカは足をバタバタさせて枕を叩いて笑ってた。

エレカのヨレヨレのスリップからシースルーの肌が透けて見えた。僕は全てが色で見えるんだけど、エレカは全身がピンク色だったな。

大人になってくると白色になるんだけど、女の子はピンク色を友達と思ってるのかも知れないね。

僕のポケットにはなぜか輪ゴムが入ってた。僕はそれでエレカの髪を三つにまとめてあげたよ。ぐっと大人っぽくなった。

クロワッサンだけが残ったから、それを僕の「おすすめ」にしようとして取っておいた。エレカの退院手続きをしていると、そこにワーイプ、ジッカ夫妻がいた。「次の世界が来た!」って言ってたよ。シナダレって神様は輪廻転生の神様らしい。

生まれ変わりなんてナンセンス。それじゃあ、この世は何のためにあるんだい? あの世は何の意味があるんだい?

「実家に帰れ」って僕は言ったよ。現金かと思われるかも知れないけど自分がさほど醜くないって分かってから何だか夢が湧いて来たよ。

タテイシは足を折ったみたいで宙吊りにされてたな。ナースがマスクをしてるのは臭かったからじゃない、みんな人間は人間らしく働いてるんだな。

「どこに居たんだい」「家で転んだんだ」そういう奴もいるさ。

「虫の知らせはあったかい」「何の話だ」僕はエレカと病院を出た。

灰色とピンクはよく合うから僕は灰色になろうと努めたんだ。幸い僕のスモッグパーカはサンドカモだったから砂漠と見分けがつかなかった。色のない水色の砂漠は空が落ちてきたみたいでどっからが空で、どっからが地で、海に来たみたいだったな。

エレカは体が強張ってた。多分、思い出したんだと思うよ。トラウマにならないといいな、僕みたいに朝しかめっ面しないで、トーストとコーヒーでどうか健やかに大人になって。

そのとき僕はいないだろうけど、青い目をした人がいたと思って。

いつだって愛だった。

そこに僕がいるから。



 耳に羽虫が。しつこい。僕はまっすぐ帰るつもりでいたんだ。もちろん、曲線がないわけではないけどね。

僕は唖然としたよ。家がなくなってたんだ。アラバマだからしょうがないかなと思った。

水色の砂の大地に埋もれて、いつか発掘された時に、こんな馬鹿らしい生活してたんだと思われればそれでいいよ。

それでも、一人暮らしの部屋は、僕がぎゅっと凝縮されたみたいで、友達が知らない間に死んでたって訃報を聞かされたみたいに、水臭いなと思ったよ。

故郷は遠きにありて思うもの。僕らはエレカの故郷の砂漠に戻ったよ。エレカはウインドペンのシャツを着てた。

カスタネットがあった所はそこだけ爆発があったみたいに抉れてるんだ。マントルまでどうのって言ってたけど、地球の芯は見えなかったな。

旅の果ては砂漠か。エレカと。タピオカなんて。オムレツを作るんじゃなかったのか、なあ、カスタネットよ。

暑い。僕はスモッグパーカを脱いでTシャツ一枚になったんだ。ヘインズを僕はずっとハーネスと読んでたよ。

「おみず」エレカがどこからかコップ一杯の水を持って来てくれた。「ああ」僕はそれを飲もうとしてこぼしちゃった。ヘインズが見る見る汚れていった。汚染水だったんだ。きっと誰かが煙草で汚したんだろう。

僕は色盲だけど、ちゃんと水色に見えるんだ。僕は、「どういう風に見える?」ってエレカに聞いた。エレカは手で大きな丸を作ってそれを割ってもぐもぐ食べてたな。オレンジなんだなと思ったよ。エレカは僕よりジェスチャーが上手かった。

僕にはオレンジが茶色く見えるんだけど、これは一体どうしたことかと思ったけど、放射線も見えてるんだなと思ったら合点がいった。

ジャクジーみたいに暑かったな。サウナスーツに着替えたらそれが制服になるだろう。僕のハイスクールは海の近くにあったからヨット部まであったんだ。

一回乗ったことがあるけど、ちっとも楽しくなかったな。だって、みんなに嫌われてたから。女みたいな男ばかりだったな。僕はそれよりも絵を描くことが好きだった。美術の先生に教員免許がいらなかったら美術の先生になってたかも知れないな。

あの時から一人暮らしが始まってたんだな。

スミソニアン博物館まで見えそうな遠い目をしてたら、水色の砂漠が僕の目に映り込んだ。ああ、そうか、目が青いから実在しない砂漠が見えるんだ。

みんながオレンジって言うんだからオレンジなんだろう、それを見てる僕の方こそ実在しないんじゃないかって思えてきたよ。

目から雨が。

「ナカナイデ」エレカが座ってる僕を心配してくれたんだ。

ああ、僕はずっと寒かったんだ。

僕は気付いたらエレカにすがり付いてた。

君の中に僕がいるよ。

いつもそばにいるからね。

終わりのないのは目を閉じてるからなんだ。

オレンジの果汁で書いた絵手紙みたいに火を近づけたらきっとこの光景が浮かんで来るよ。

美術の先生になりたかったなあ、生徒に絵を教えて、自分でも好きな絵を描いて、自画像で目を大きく描いて本の表紙にしたかった。

他人が書いた本でも僕のフォトグラフィーにするんだ。

僕の絵は進化してきっと喋り出すよ。

「ご賞味あれ」ってね。



 夢だと気付いてる夢があるよね。それとも当たり前に思ってるかな? 僕はすぐに夢だと気付くんだ。夢の中じゃ色盲じゃないからだよ。

僕はハイミナールをやった。味をしめたら忘れられないんだ。ガラス街は白濁してた。トリニタイトでできてたんだ。

そこにはアビゲイルもいたよ。よくあるだろ? 映画の中で距離を取り合って進む奴。鏡や何かでお互いが見えなくなったり、隠れたりするんだ。その内に自分が自分じゃなくなったような気がして鏡に映った女が自分だったりするんだ。

アビゲイルは黄色い歯をして、ピンク色の服を着てた。僕らはすれ違うようにしてお互いを意識してるんだ。アビゲイルは口臭がひどかったな。

きっと、舌にピアスをしてるせいだ。ハイミナール作ったのは誰? 僕はトリニタイトに手を付いて、その向こうにいるアビゲイルに聞くんだ。

ベルギリウス、アビゲイルがそう答えたかは定かじゃない。二人とも手を這わせてるんだけどその手が触れ合うことはない。

アビゲイルは始終笑っていた。微笑んでいたと言うべきか。「核の時、大丈夫だった?」と僕は聞いたよ。それは、アビゲイルがもう死んでるんじゃないかって予感がしたからなんだ。死んだ人が夢に出てくることあるだろ?

「ミシェル、ミカエルになるろ?」ああ、やっぱり死んでるんだ、と思ったよ。天使の名を呼ぶなんて。

「僕はミシェルだよ、アビゲイル。君を迎えになんて行かないからね。君はずっと僕の友達だよ」一瞬で止血することができればアビゲイルを助けられたかも知れないと思ったな。

アビゲイルは恐るべき無表情で僕の前を通り過ぎた。僕はオディロン・ルドンに描かれた絵みたいな奇妙な顔をしてたな。

僕はアビゲイルを追いかけようとして、つまずいた。ニョロニョロが見えたんだ。あのムーミンのニョロニョロだよ。青い目をしてた。

あの世での食べ物を食べちゃいけないっていうから、僕はエレカからもらったクロワッサンを死守したんだ。それはバスケットに入れてた。ピクニックかハイキングか知らないけど、いつか、何もかも終わった時にエレカと一緒に行けたらいいな。

進化も弱さの表れだと思うんだ。人間は不完全に進化した。植物や虫の方がよっぽど完全だよね。人間は進化し過ぎた嫌いがあるっていうけど、天敵から身を守るために進化したわけだから弱さってのは必要なんだ。

弱さも含めて完全なんだ。もしそうじゃなかったら弱い人がいる説明がつかない。植物や虫は食物連鎖で進化していくけど、人間はああ言えばよかった、こう言えばよかったで進化していったと思うんだな。

大昔の人はそれをよく知ってた。狩りや何かで一人占めしただろうか? 仲の良い友人だけで折半しただろうか? 違うね、みんな友達だったんだよ。だから、弱い人も生き残れたんだよ。

アビゲイルの舌には血豆ができてた。シミュラクラって覚えてるかい。僕にはそれが一つ目の巨人に見えた。カスタネットの男の方が人間になったらちょうどそれになったみたいに。

舌を噛んじゃったのかな。痛そうだった。僕にはアビゲイルの顔が見えなくて、舌しか見えなかった。

それがだんだん存在感を増して、僕に迫ってくるんだ。お前は人間かってね。僕はよく分からなくなった。人間だと思っていたものがただの三つの点で、この世界はカスタネットの頭の中なんじゃないかって。

「あー!」

アビゲイルが舌を飲み込んじゃった。食べちゃったんだ。もう戻れなくなるよ。あの世での食べ物は反対な、ん、だ、か、ら、ね。



 何かが落ちる音で目が覚めた。目覚まし時計が鳴ったのにも気付かなかったけどイドの中で音を止めて落とした音で目が覚めたんだ。

僕は夢を覚えてた。僕はユースホステルに居た。

アビゲイルもタテイシもワーイプもジッカもレイカも三つの点だったなんて!

ミ・シ・ェ・ルだって。

僕はもう一度「あー!」と叫びたい気分だったけど、止めておいた。エレカがまだ寝てたから。子供はよく寝るね。エレカの寝顔をよく見てみると三つの点じゃないんだ、三つの線なんだ。

ああ、安心した。アビゲイルが嘘をついた。ハリウッドではイメージが固まるから、同じ役はやらないんだって。そうじゃない人もいるけどね。

僕もそういう面があるんだ、髪型は生まれてこの方ずっと一緒。「短く」って言って二カ月くらいしたらまた「短く」って言うんだ。

イメージが固まるなんて考えたことないよ。バイタリスじゃあるまいし。手を入れたのは銀歯くらいかな? 手術もしたことない。できればこのまま一生、しなければいいな。

20年後に会っても「変わらないね」って言われたい。20年間で何度「短く」って言うんだろう。今日も朝が来て日が下りる。この地球は何年たっても「変わらないね」

君も変わらないでいてほしいな。相変わらず、引っ込み思案で照れ屋でマヌケな美人でいてほしいな。きっとそう信じてるよ。空から女の子が落ちてくるくらいだから、何が起きても不思議じゃないんだ。

この世界はノンフィクションじゃない。フィクションだから春の足音がするんだろ?

顔を洗えよ。きっと美しい顔が現れるはずだ。目ヤニさえ美しいんだ。全ては色だ。カスタネットは黄色かった。まるで午前様のようにね。

君を照らす太陽になる。仰々しいだろう? この世界は出来過ぎてる。誰かが起きてくるまでシューズデーだ。

そろそろエレカの起きる時間だ。僕は目ヤニを取ってるんじゃない、泣いてるんだ。よしよししてくれよ。

そろそろ髪を切りに行かなくちゃいけないから「短く」って言う前にこの髪に「頑張ったね」って言わせてほしい。

追いつめられて泣いてるんじゃない、法悦して泣いてるんだ。だって授業参観にお母さんお父さんが来てくれたから。僕はいいのに兄の方には後で行くのかな? あの時泣かせてごめん、って天の国に行ったら言うよ。それまで人生、長かった。

エレカが起きて来た。ご機嫌よう!



 砂漠の中に味屋っていう一軒家がある。ハイミナールも煙草も売ってる。僕は煙草を買おうとして、エレカを待たせた。いきなり殴られた。多分、僕がミシェルだからだ。

みんな現金に換えたカスタネットでハイミナールを買おうと殺気立ってたな。在庫ってもんがあるからね、躍起だったよ。

ハイミナールも煙草も買えなくなった。しょうがないから僕はバスケットを開けて、エレカと二人でクロワッサンを食べ始めたんだ。半分に割ってね。みんな羨ましそうに見てたな。

バスケットの中にはスイートブールも入ってた。驚かせようとして入れておいたんだ。エレカは嬉しそうにしてたな。アビゲイルも指を咥えて見てた。あっ、そうか、アビゲイルも来てたんだ。

ハイミナール買う金でパン買う奴ぁいないよ。取られそうになって僕は持ち上げて背伸びした。何かに似てるな、とは思ったけど分からなかった。

誰かを呼ぶ声がした。カスタネットだった。ママが迎えに来たんだ。エレカは山を向いて逡巡してた。僕は組み敷かれてスイートブールを取られちゃった。

僕はエレカの方を向いて、それでいいと肯いた。子供にはママが必要だ。

僕はエレカに手をやって「You've Got a Friend」と囁いた。僕は君のハックルベリーフレンドだからねって意味だ。

もし戻って来るようなら、アビゲイルもタテイシもワーイプもジッカもレイカも君の友達になってくれるよ。

「シーユースーン」

寂しくて死ぬんじゃないよ。僕は無理やりエレカと握手した。

Can't Take My Eyes Off Youの意味が分かった気がするよ。

君の瞳に恋してるならしからば、「僕の瞳は君のもの」と言おう。

詰めかけた客たちを尻目に野糞を固めたスカラベが三点倒立で持ち上げたのはフンコロガシなんだ。

心の愛を見つめて、日はまた昇る。



 エッセイでも書こうかな。

俺にはredって色が分からないんだ。

redってどれだろう。

redって・・。

聖書はredか。

クソしてマスかいて寝る。

一歩、二歩歩いて、僕は疲れちゃった。

蜃気楼みたいな太陽に跪いて、ちょうど夏至の頃だったんじゃないかな、僕の口をついて出たのはいみじくもだった。

ぼくのだいすきなクラリネット

ドとレとミのおとがでない

どうしようどうしよう

ドとレとミとファとソとラとシのおとがでない

パオパオパ

ヲパ

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