第18話 姉妹
両手いっぱいに花を抱えたシンシアが、私からブラッドへ視線を移す。
「レンフィード様……?」
私の隣に立つブラッドには今気付いたのか、彼の名前を小さく呟いたシンシアが目を見開く。凄く驚いたといった風に大袈裟に反応して見せるシンシアは、ふわっと笑みを浮かべ、私達に向かって走り寄って来る。
こういった素直な反応が愛らしいと言われるシンシア。回帰前は私も、素直に感情表現ができるシンシアを羨ましく思っていたのに、今改めて目にすると、計算されたわざとらしい振る舞いにしか見えない。
「お姉様」
「貴方、まさか一人なの?侍女はどこ?」
私達の行く手を遮るように道の真ん中に立ったシンシアの側には侍女が見当たらず、またかと呆れ咎める。
「侍女なら皇女宮です」
「宮殿の中とはいえ、一人で行動してはいけないと言っているでしょう?」
「でも、お花を摘むだけだったので」
「たったそれだけのことだとしても、何があるか分からないのだから侍女を帯同しなさい」
「はい」
瞳を潤ませ悲しそうな顔をするシンシアに溜息を吐く。
忙しそうだから、普段のお礼がしたいから、疲れているように見えるから。そう言ってシンシアが自身の侍女達に度々休憩を与えているので、第二皇女宮の侍女達は皆が口を揃えてこの子のことを慈悲深い皇女だと語る。その話が知らぬ間に宮殿にも広がり、第二皇女宮の侍女を希望する者が後を絶たない。
「あの、お姉様」
「何?」
「お姉様がこの時間に外に出られるなんて珍しいですね?いつもだったら、まだ寝ていらっしゃるでしょう?お茶会に誘っても嫌がられるし、皇女宮へ会いに行くと追い返されてしまうので、偶然でもこうしてお姉様に会えてとても嬉しいです!」
シンシアは私に屈託のない笑顔を向け、姉を慕う妹のような振る舞いをしているが、この子の口から出てくるのは私を貶める言葉だけ。
「最近はこの時間に起きているのよ。でも、シンシアが私を訪ねてきたことなどあったかしら?」
「伝わっていなかったのかもしれません。お姉様の侍女達は、私に意地悪だから……」
「意地悪?侍女が第二皇女に嫌がらせをするわけがないでしょう?」
「だとしたらどうして私がお姉様を訪ねていたことを知らないのですか?このお花だって、お姉様に届けようと思って摘んでいたのに」
「私に?」
「お姉様がお花に全く興味がないのは分かっているんです。でも、私が育てたお花だから見てほしくて。あっ、今お花を渡せますね!だから侍女のことは叱らないであげてください」
「だから、侍女は」
「お姉様。お客様がいらっしゃるのに、このような所で話すのは……」
確かに客人であるブラッドの前でする話ではない。
私の侍女が不適切な対応をしているようなことを言っていたが、侍女に第二皇女であるシンシアを追い返す権限はなく、この子が私の皇女宮を訪れるようなことがあれば、何においても真っ先に私に伝えられている。この子を無下にすれば、また何を噂されるか分かったものではなかったから。
「お姉様にはこちらのお花を。あの、レンフィード様にもお花を差し上げますね」
渡された花も、まだ腕の中に沢山ある花も、全て小振りで可愛らしい花で、シンシアが好きそうな花ばかり。私の為に摘んだという嘘を、まるでそれが真実かのように微笑みながら口にするシンシアが恐ろしい。こんな子だっただろうか?と考えていれば、黙ったままでいたブラッドへシンシアが話を振る。
「はい、どうぞ」
返事を待たずにブラッドへ花を差し出したシンシアは、その花を彼が受け取ると思ってのことだろう。皇女からの贈り物を断る人のほうが珍しいから。
――でも。
「要りません」
ブラッドはその普通枠には入らない、珍しい部類の人だった。
「ぇ……?」
「私には必要ありませんので、どうかお気遣いなく」
「侯爵家の別宅には素敵な花壇があると、侯爵夫人はお花がお好きだと聞いたのですが」
「だとしても、第二皇女殿下から花を頂く理由がありません」
「遠慮なさらないでください。私が育てたお花もとても綺麗なので、是非侯爵夫人にお渡ししてほしいのです。絶対に喜ばれると思いますから」
ね?と首を傾げ可愛らしく微笑んだシンシアは、ブラッドの手に花を持たせようとするが。
「不要だと、そう言ったはずですが?」
ブラッドは素っ気ないほどきっぱり断った。
愛想笑いすらなく、冷ややかな眼差しをシンシアに向けるブラッド。先程までの彼とは違い過ぎるのでは!?と驚き、ジッと彼の動向を窺う。
「お花は、お嫌いなのですか?」
「興味がありません」
「でしたら、侯爵夫人に」
「直接本人にお渡しください」
「でも、侯爵夫人は夜会に出席なさらないし、お茶会も開かれないでしょう?」
「そうですね」
上目遣いでお願いするシンシアに対し、無表情のまま淡々と断り続けるブラッド。
どちらかが諦める限り続くと思われた攻防だったが、先に折れたのはシンシアだった。
「仕方がありませんよね。侯爵夫人には直接お会いしたときに差し上げますね」
「はい」
ふうっと小さく息を吐き、悲しげに微笑むシンシアの姿を前にして、こんなにも冷淡な反応を見せた男性がいただろうか……?
相手がブラッドでなければ、この時点で男性側が折れ、悲しげな顔をするシンシアを慰めたりするのが常である。
「では、そろそろ向かいましょうか」
「そ、そうね……」
私に向かって優しく微笑むブラッドの言葉に了承し、私達の前に立つシンシアを窺う。
「……ところで、お姉様。どうしてレンフィード様とご一緒なのですか?」
思い通りにいかず苛立ったのか、シンシアの顔からは笑顔が消え、微かに語気が強まった。
「どうして、とは?」
「お二人がお話しているところを見たことがなかったので。仲が良いという話も聞いたことはありませんから」
「そうね」
「もしかしてお父様から宮殿内を案内するように頼まれたのですか?それとも、レンフィード様が道に迷われて此処に?だとしたら私がお姉様の代わりを務めます。お姉様は見知らぬ男性がお嫌いですから」
勝手に解釈し、自身の都合の良い方へと持っていく手腕に感心しつつ、「あのね」と口を開くが……。
「私達は親しい仲なので、どうぞご心配なく」
ブラッドが私の言葉に被せるように答えてしまった。
「親しい仲、ですか?でも、お姉様は……その」
態と言葉を濁すシンシアに何が言いたいのかと目を細めると、私を見て怯えるような仕草を見せる。またいつもの手かと反撃する為に再度口を開く寸前、ブラッドの腕に添えていた手が握られ、驚き口を噤む私の代わりに、何故かブラッドが反論した。
「私達がどういった仲で、どうして一緒にいるのかなど、第二皇女殿下には関係がありませんので、ここで失礼させていただきます」
「レンフィード様……!」
「とても大切な用事がありますので」
「用事ですか……?」
「はい」
「……お姉様、私もご一緒してはいけませんか?」
ブラッドでは埒が明かないと思ったのか、私に尋ねてきたシンシアに微笑む。
「聞こえていなかったの?シンシアには関係がないことだから、駄目よ」
そう口にしながら、ブラッドに促されシンシアの隣を通り過ぎる。
回帰前の私なら、あの子を疎ましく思ってはいても何でも答えてあげていたし、ああしておねだりされれば仕方なく頷いていた。だからあの子は私に尋ねたのだ。
「大丈夫ですか?」
シンシアから逃げるように足早に歩く私を気遣ってか、ブラッドが身を屈め私の顔を覗き込む。私とあの子の仲が悪いという噂を知っていての気遣いなのだろう。
「シンシアとは」
「お構いなく。私は第二皇女殿下には全く興味がありませんので」
しれっとそう口にするブラッドを見つめると、彼はふっと優しく笑う。
「ご存知ありませんでしたか?私は異性の好き嫌いが激しいと有名なんですよ」
「シンシアを嫌う人はいないわよ?」
「どうでしょうか?現に私はあの方が好きではありませんから」
「そうなの?」
「想像してみてください。話したこともない異性に、さも自分を知っているだろうというように擦り寄られ、それが当然であるかのように腕を取られるのです。丁寧に何度お断りしても遠慮するなと迫られ、顔を合わせないようにしてもいつの間にか隣にいます」
「それは、嫌だわ」
「挙句、周囲を味方につけ断るのは悪だと糾弾させます」
「顔も見たくないわね」
「私と第二皇女殿下がそのような関係です」
「……」
シンシアが男性に思わせぶりなことをすることは知っていたけれど、まさか異性に興味がないと噂されるブラッドにまで手を出しているとは思わなかった。
「何度も断っているのよね?」
「それで泣かれたこともありました」
「凄い子だわ」
「そうですね」
二人で一度足を止め、庭園がある方へと顔を向けたあと、逃げるように宮殿へと入った。
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