(26)

 結論から言えば、佐藤優吾が千世の父親違いの兄だというのは、本当だった。


 しかし当然のように朔良も四郎も佐藤優吾の素性を怪しみ、一度彼を帰してから、急遽デートの予定を取りやめて女性保護局へ向かった。


 朔良は佐藤優吾の名前にはすぐにぴんとはこなかったものの、かすかに引っ掛かりを覚えていたのだ。


 朔良は上司の京橋にすぐ話を通し、七瀬から渡された千世の資料を当たれば、佐藤優吾の名前が出てきたわけである。


 千世の父親である瓜生透也が逮捕され、千世が保護されたあと、その引き取り手は当然肉親を検討されたのだが、しかし当時はだれも引き取る意思を見せなかった。


 難色示した理由は、瓜生透也が千世を拉致した目的にあった。


 つまり、復讐の道具として千世が暴力を「仕込まれた」ことを知って、手に負えるかわからないと感じたためだった。


 そういうわけで、千世は肉親がまだ存命ながら、その身柄は宙ぶらりんとなってしまった格好となる。


 そのときはまだ千世は未成年だったために、成人するまで一時的に朔良が後見人を務めることになって――なんやかんやとあって、今現在に至る。


 佐藤優吾は千世の父親違いの兄だが、彼女の引き取りを打診されたのだから、当時もすでに成人して就職していた。付記すると、千世と佐藤優吾自身の母親を殺害した夫とは、血の繋がりはない。


 そんな父親違いの兄は、千世を引き取りたいらしい。――今さらになって。


「もう一年以上経っているのだろう。今さらだな」


 四郎はあからさまに怪訝そうな顔をして言うが、朔良も同じ気持ちだった。


 けれども、大事なのは千世の気持ちだ。


 朔良がいくら心情的に佐藤優吾の存在が受け入れられなかったとしても、千世が兄のもとに身を寄せたいと希望をするのであれば、朔良はそれを止めるつもりはなかった。


 しかし、「今さらになって」千世に接触してきた佐藤優吾には、うさんくさいものを感じる。


 女性保護局を通して千世に連絡を取ろうとせず、待ち伏せをしてまで直接接触をしてきたのだから、朔良の中にどうしても警戒心が生まれる。


 女性が安心して住める地域というのは限られているため、住居を特定すること自体は、残念ながら難しいことではない。


 だが先の通り、千世に連絡を取りたいという意思があるのであれば、女性保護局を通すというのがまっとうな方法だろう。


 そうしなかったことはすでにあの場で四郎が指摘していた。


 佐藤優吾は、「思いつかなかった」と釈明していたが、朔良と四郎には苦しい言い訳に聞こえた。


「千世がお兄さんのところで暮らしたいと言うなら、私は止めないよ」

「――正気か?」


 朔良が千世の意思を確認しようとそう優しく言えば、四郎から辛辣な言葉が飛んでくる。


 ――まさか土岐四郎に正気を疑われる日が来るとは。


 朔良は内心で苦笑してしまった。が、四郎の言い分はよくわかる。


 しかし千世には、妙な先入観を持って判断をして欲しくはないという気持ちも、ある。


 一方、社会経験に乏しい千世は、他人の悪意には鈍感だ。


 だから朔良や四郎が感じている、佐藤優吾に対する懸念や、彼から感じるうさんくささをしっかり伝えるべきかどうか、悩ましい。


 女性保護局の応接室のソファに座った千世は、少しうつむいて思案する様子を見せたあと、朔良を見上げた。


 その黒目がちの瞳には、はっきりと不安が浮かんでいた。


「あの……わたしがもし、兄のところに行ったら、朔良さんたちとはあんまり会えなくなりますか?」

「……そんなことはないと思うけどね」

「『思いたい』の間違いじゃないか」


 再び、朔良の優しい言葉に対して四郎から辛辣な指摘が飛ぶ。


 朔良は「土岐さん」と咎め立てるように名前を呼んだが、四郎は大げさに肩をすくめて挑戦的に笑った。


「事実だろう。あの男が信用に値するとはとても思えない」


 朔良は千世がいる手前、四郎の言葉にどう返すべきか悩んだ。


 千世からすれば血の繋がった兄なのだ。


 たしかにうさんくさいものは感じるが、今現在は裏取りもできていないから、その直感が正しいのかどうか、確証はない。


 そんな風に朔良も迷いを見せたからなのか、千世が戸惑いをあらわにしつつも、たどたどしい口調で言う。


「あの、正直……兄といっしょに暮らすところが、想像できなくて。それに」


 千世は一度言葉を切った。言うべきかどうか大いに悩んでいる様子だったが、それでも――口にした。


「なんだか、イヤ……です。『どこが』って、言われたら、うまく言えなくて……けど、なんか、でも……なんとなくイヤな感じがして」


 朔良は、自分の態度を後悔した。


 引っ込み思案なところのある千世が、勇気を持って本心を告げられたのは、恐らく四郎の歯に衣着せぬ、佐藤優吾に対する評価があったからだろう。


 朔良が千世のことばかり、見当違いに慮っていれば、この本心は引き出せなかったかもしれない。


 少なくとも朔良には、そう感じられた。


「……私も、ちょっと佐藤さんにはすぐに千世を預ける気にはなれないかな」


 遅まきながら朔良も本心を告げれば、千世はホッと安堵した様子を見せる。


 なんとなく、歳下の千世の前では格好をつけて、余裕ぶった大人の態度を取りたくなるが――そういうのはよくないなと、朔良は改めて思った。


「佐藤さんについては私たちのほうでちゃんと調べてみるから。結論はそれからでも遅くはないと思うよ」


 佐藤優吾については、千世が彼を嫌がろうがそうでなかろうが、ハナから徹底的に調べるつもりではあった。


 千世は法的には成人してはいるものの、その精神状態等を考慮すれば、まだ信頼できる人間のサポートを必要とする身だ。


 千世を預けられるかどうかについては、たとえ実の兄という肉親であろうと、慎重にならなければならないだろう。


「どうせロクでもない人間だ」


 わかりきったこととばかりに四郎が言う。


 そして残念なことに、四郎の言葉は真実を射ていたのだった。

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