(15)

 千世は、眉を下げて困った顔になる。


 隣に座る七瀬は、わずかに身を乗り出して四郎に苦情を申し立てる。


「あれからまだそう時間は経ってないんですよ。そういうデリケートなことは――」

「……わたしは」


 七瀬は、言葉を途中で打ち切った。それから、隣にいる千世を戸惑った目で見た。


 七瀬の言葉を遮る形で切り出した千世は、そのまま真っ直ぐに四郎を見て、言う。


「わたしは……どこかでこの力を振るいたかったのかもしれません。そういう隙……みたいなものが欲しくて、だから、あのひとは刺されてしまったのかも」


 どこかたどたどしい口調で、千世が舌に乗せたのは、懺悔のような言葉だった。


 千世の言葉に、大の大人の男三人ともが一瞬、呆気に取られた。


「それのどこがいけない?」


 三人の中で真っ先に言葉を発したのは四郎だった。


 まったく無垢に見えるまなこで、好青年のごとき微笑を浮かべて、四郎は千世を見る。


「己の才能を振るう機会を見逃さないのは、良い部分だ」


 四郎からすれば、そうだった。しかし千世からすると、その四郎の価値観は呆気に取られるものだった。


「なにかを守るために躊躇なく暴力を振るえるのは、長所だ。お前の素敵な部分をお前が否定してどうする」


 千世はじっと四郎を見つめた。


 しかし一心に見つめたからといって、四郎の価値観を理解することができるはずもなかった。


「それにあいつが刺されたことをお前が気にする必要はない。護衛官の仕事とは常に危険と隣り合わせ。そういうものだ」

「……その言葉だけは土岐さんに同意しますよ。――千世。彼が刺されたのは不幸な出来事だったんだ。間違っても君のせいじゃない」

「そ、そうですよ千世さん。護衛官がいるのにもし千世さんが怪我をしていたら、それこそ責任問題ですから」


 千世はまた困ったように眉を下げてから両隣の朔良と七瀬を見て、次いで再び四郎に視線をやる。


 三人の言葉が、単なる慰めではないことは千世も理解していた。四郎には、他ふたりと違って別に千世を慰める意図がないことも、なんとなく察した。


 しかし千世がどう返したものかと考え込んでいるうちに、七瀬が四郎に詰め寄らんばかりに言う。


「土岐さん、変なこと言わないでくださいよ!」

「変なこと、とは?」

「そりゃあ、『なにを思って暴力を振るったのか』とか聞くことです」

「どこか変なんだ」

「変ですよ! 変! ねえ、宮城先輩?!」


 七瀬が憤懣やるかたないといった勢いで朔良を見た。


 朔良は、薄く微笑んで四郎を見据える。しかしその目は剣呑な色を帯びて、まったく笑ってなどいないのだった。


「……土岐さん、面会はここまでにしましょうか」

「まだ彼女の答えを聞いていない」

「千世はまだ長くしゃべることに慣れていないんです。――少し疲れたよな、千世」


 朔良が言ったことに嘘はなかった。


 実際、長期間父親から抑圧されてきた千世はまだ発話がたどたどしく、長くしゃべると喉が疲れてしまう。


 しかしこの応接室に入ってから、千世はそれほど長くしゃべったわけでもなかった。


 だがまた、少しの精神的疲労を感じたのもたしかだ。


 千世は、朔良の言葉を肯定すべきかどうか、悩んだ。


 千世からすると朔良も七瀬も、千世と四郎の面会を打ち切りたがっているのは明らかだった。


 朔良にも七瀬にも、千世は恩義を感じている。そのふたりが嫌がっていることを我欲から強いてもいいのかどうか、千世は困った。


「そうか。――では、俺は仕事に戻るとする」


 四郎の言葉に、彼以外の三人ともがおどろいた。


 七瀬などは「え?!」と小さいながらも驚愕の声を上げた。


 千世は、ソファからおもむろに立ち上がった四郎を視線で追い、焦げ茶色の瞳で見上げる。


「会ってくれてありがとう」


 四郎はそう言って、またくだんの好青年にしか見えない微笑を浮かべた。


「いえ……こちらこそ、またお会いできてうれしかったです。あ、そ、そうだ……父を捕まえてくれてありがとうございました。お礼……言えてなくて……」

「礼を言われるようなことではないな。それが俺の仕事だ」

「そう、ですか……」

「けれど、ありがとう。礼を言われるのはまあまあ好きだ」


 七瀬は「『まあまあ』なんですか……」と呆れた様子で力なく言う。


 千世はまた、四郎の心の内を探りたいとでも言うような目で彼を見たが、やはりその胸中を覗ける気はしなかった。


 四郎を見つめる千世を見て、朔良は胸の底がざわつくのを感じた。


 そして思った。土岐四郎は、「理性を持った獣」なのだと。


 理性はあるにはあるが、本質は獣であるから、土岐四郎という男はひときわ厄介なのだ。


 それは四郎と相対した千世の反応から、痛いほどに理解する。


「……あの、またお会いすることはできますか?」

「ちょ、千世さん?!」


 四郎は、千世の興味を引き出すことに成功したのだから――さかしい獣だ。


「お前の担当官と恋人が『いい』といったのなら、いつでも」


 そう言って四郎は応接室を出て行った。

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