(2)
その言葉を聞いたとき、一筋縄ではいかない女か、あるいはそうでなければただの馬鹿だと四郎は思った。
四郎が休日を返上して臨時で警護の任を負うこととなった女性――瓜生千世は、あのあと資料を読み込んで今年で一九歳だとわかった。
わかったが、四郎にとっては「だからなんだ」という話ではある。
それよりも千世への加害や拉致、誘拐などを危惧されている、父親であるという瓜生透也の身体的特徴を頭に叩き込んだ。
千世はコンシェルジュが常駐するような高層マンションの上階に、大切にしまい込まれるようにして保護されていた。
千世の担当官である七瀬によると、今回の一件で一時的に避難している場であり、つまるところ仮の住居であるらしい。
エレベーターを使い千世のいる部屋へと向かえば、中にはすでに顔見知りの護衛官がふたりいた。
ふたりの護衛官はいずれも今年三一歳の四郎よりも若い、後輩であったが、一瞬明らかに「このひとか」というように苦い表情になり、互いに顔を見合わせるようにして、視線を交わし合った。
そういった心の動きや視線は四郎にも理解できたが、彼にとっては「だからなんだ」という話だった。
「千世さん。このひとは護衛官で土岐と言います。かなりの腕利きですよ」
ひとりがけのソファに無表情のまま座る千世へ、七瀬がそう声をかける。
四郎はまったくの好青年といった顔を作り、千世へ微笑みかけた。
そうするとたいていの人間は四郎という人間について油断をして、また微笑みかければ同じように微笑み返す。四郎の知るたいていの人間は、そういうものだった。
しかし千世は無表情のまま、なにも言わずに虚ろな、無感情的な焦げ茶色の瞳に四郎を映しただけだった。
千世は、ゆったりとしたワンピースを着ていたので体格のほどはよくわからなかったが、露出した脚を見ればそちらは無駄なく筋肉がついているのがわかった。
それに――思ったよりも、隙がない。
四郎が微笑みかけても千世はまったく油断というものを見せなかった。
あからさまな警戒心は見せなかったものの、しかし、思ったよりは
「強いんですか」
千世が不意に小さな唇を開いた。
か細い声だった。
おまけに、しゃべり方がどこかたどたどしい。いかにも、しゃべることに慣れていないか、長いあいだ声を出したことがないというような感じだと、四郎は思った。
「現役の護衛官の中じゃ一番強いって噂ですよ。ねえ? 土岐さん」
「さあな」
「……ちょっと、千世さんが不安になりそうなこと言わないでくださいよ!」
四郎は、己が一番強いだとか、あるいは一番になりたいだとか、そんなことを考えたことはなかった。
暴力を振るいたいから、振るう。
それがひたすら悪漢にだけ向けられるのは、四郎だって単純に臭い飯を食いたくないというくらいの常識的な感性があったからだ。
とにかく四郎は、己の力が強い自覚はあっても、それが上から何番くらいの強さなのかとか、そういった比較をしたことはなかった。
暴力を振るいたいだけの四郎にとっては、「だからなんだ」という話だからだ。
しかし七瀬にはその塩梅は伝わらないらしく、小声で文句を言われてしまう。
これもまた四郎にとっては「だからなんだ」という話で、彼がまったく堪えるわけがないのは、火を見るよりも明らかだった。
四郎は改めて千世に目をやる。
千世の第一印象は「大人しい女」だ。
なんの変哲もない、ありふれた女性像を携えた、つまらない女。抑圧されて意志を持たなかったか、失った、人形のような女。
四郎からすると、そういう人間はこの世で一番つまらない。
けれども四郎の直感は、千世は「それだけではない女」あるいは「そうではない女」だと告げていた。
「わたしの父よりも、強いですか?」
「さあな」
「そうですか」
「だが貴女に加害するというのなら、瓜生透也のすねに歯で食らいついてでも逃がす気はない」
「……捕まえる自信がある、ということですか?」
千世は一瞬、きょとんと無防備な目で四郎を見た。
四郎はそれを見て、微笑んだ。その顔は、まったくの好青年に見えた。おおよそ、暴力など振るいそうにない――。
「捕まえる自信はない。しかし痛めつける。確実に痛めつけて貴女に加害する気が起きないようにする」
千世は瞬きをした。
七瀬は四郎の脇を肘で小突いて、「ちょっと!」と小声で抗議の声を上げる。
「そういうこと言わないでくださいよ! 僕ら公務員なんですよ?! 言うにしても言い方ってもんがあるでしょ!」
「俺は本心でしか話せない」
「アンタ本当に三一歳ですか?!」
「ははは」
「『ははは』じゃないですよ……」
四郎の視線の端で、後輩の護衛官ふたりが顔を引きつらせているのがわかった。
しかし千世は――
「……ずっと、考えていたことが、あります」
と、先ほどまでの虚ろで、無感情的な瞳はどこへやら、どこか決意を固めた――闘志に満ちた目で四郎を見た。
四郎は、千世のその視線を受けて、一瞬だけ背中の表面が粟立ったような気分になる。
しかしそれは、決して嫌な感覚ではなかった。
「わたしを囮にして、父を捕まえて、ください」
そして四郎は、千世は一筋縄ではいかない女か、あるいはそうでなければただの馬鹿だと思ったのだった。
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