おかわりは自由ですか?

めぐむ

プロローグ

 白いもっちりとした太腿が、しどけなく晒されている。

 横になっていても分かる胸元の膨らみは目の毒だ。


「んぅ……」


 濡れそぼった唇から漏れた吐息に、胸が弾む――

 ところなのだろう。

 だが俺は知っている。この唇の湿っぽさは食後が故のものであり、この人目憚らない無防備さはただただ寝入っているだけだと。


「おい」

「うへへへ」


 口の端から僅かに垂れるよだれに、額を抑えた。

 むにゃむにゃと動く口元は、続けて発語を試みようとしているらしい。へなちょこな滑舌では、てんで何を言っているのか分かりやしなかった。


「おい。寝るならちゃんと布団は入れよ」

「しあわせぇ……おかわりー」


 ここまで絵に描いたような、完璧な寝言を言うやつがいるだろうか。少なくとも、俺の周りではこいつ一人だけだ。


「ひかり!」

「お米のお布団に入ってるよぉ」

「馬鹿か! つーか、どんな夢見てんだよお前は⁉」

「さいこぉ」

「起きろって言ってんだろ!」


 寝言に言葉を返しちゃいけないんだったか?

 頭の片隅が静かな疑問をチラつかせたが、そんなものは藻屑も同じだった。


「ひかり」


 再度声をかけ、腕を揺する。


「もう食べられないよぉ」


 表情は、でろでろに蕩けていた。食べられないなんて嘯いておきながら、腹いっぱいに食べている夢を見ているに違いない。

 ひかりは食事中が最も隙だらけで、無邪気だ。それは夢でも現実でも、貴賤がないらしい。


「ひかり、起きないとデザート食っちゃうぞ」


 絶賛、夕食後。そんなものはないけれど、嘘も方便だ。

 ぱちり。


「うっわ……」


 効果は抜群だった。あまりにも顕著過ぎて、引く。開かれた瞳はまだ焦点が合っておらず、ぱちぱちと長いまつげが幾度も瞬かれた。


「食べる」

「もう食べられないんだろ?」

「なんで?」

「寝言言ってたぞ」

「そう! 白米のお布団で寝てたの! ほかほかのふかふかで気持ち良かったぁ」

「よだれ」


 指摘すれば、手の甲が慌てて口を覆い隠した。

 まだ寝惚けてるな。


「寝るならちゃんと布団入れって。風邪引くぞ」

「デザートは?」


 しょぼんと下げられた柳眉に、呆れ果てる。


「ない。夕飯十分食っただろ」

「デザートは別腹……」

「同じ腹にしか入らない」


 じっくりと目を細める。こんなものは、ガンを飛ばすうちにも入らない。

 けれど、ひかりには効き目があったようで、むっつりと唇を尖らせだ。ビビっているわけじゃなくて、拗ねているんだろうけれど。


「だいたいもう眠いんだろうが。寝る前に食べたら太るぞ」

「うううう」

「ただでさえ食うくせに」


 ひかりは唸り続けた。

 ひかりは大食いだ。いや、大食いと言うほかない。そのくせ、それなりにスリムだ。ダイエットに明け暮れる連中が耳にしたら羨ましさで捩じ切れるだろうが、体質的に太りづらいようだった。

 けれど、上背があるため、体重は周囲の女子に比べれば重い。適正だとは思うのだが、それでも大食いのツケが回ってくるかもしれないという危惧はあるようだ。

 太るぞという忠告は、この大食い娘を抑圧する呪文の一つである。


「兄ちゃんの意地悪」

「兄ってのは往々にしてそんなもんだよ」

「釣れないなぁ」

「いいから、さっさと寝ろ」

「じゃあ、明日はデザート」

「……諦める気はないのか」

「ないよ!」


 元気の良い返事に、こめかみを抑える。呪文の効力は、近頃めっきり喪失気味だ。流用し過ぎかもしれない。


「ねぇ、兄ちゃんお願い」


 珍しく上目なアングルで、首を捻ってくるさまがしゃらくさい。日頃から過度にあざとい仕草を繰り出すキャラではないはずだ。

 いや、妹のそんな習性知らないけれども。

 見上げてくる頭を、ぐりぐりと撫でる。許容とも取れる親密度の高いスキンシップに、ひかりは爛々と瞳を輝かせた。まるで餌を前にした獣だ。


「さっさと白米の布団にでも戻ればいいんじゃないか?」


 はっと目が見開かれる。


「そうする‼」


 ひかりは素早い身のこなしで、俺の手のひらから逃げるように布団へ潜り込んだ。


「おやすみ、チカ」

「……ああ、おやすみ」


 呟いて数秒。あっという間に寝息が聞こえ始めて、俺は深い溜息を吐き出してしまった。


「コントかよ」

「うへへぇ」


 穂村ほむらひかり、十五歳。

 俺の妹の頭の中には、白米でも詰まっているのかもしれない。

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